2012年7月26日 連帯・共同ニュース第276号
■ 毎週金曜日に首相官邸前行動は原子力規制委員会委員の人選に抗議をし、撤回を要求するものとして行われる。主催者などが若干変更するものの同じ形態の集会である。時間は18時(6時)からである。もちろん、経産省前正門や別館での抗議行動も展開される。7月29日(日)には国会包囲行動もある。毎週金曜日のデモだが、7月25日の東京新聞は社説「人々の声が政治を変える」(反原発抗議行動に考える)で論評していた。読んだ人も多いと思うが、少し紹介しながら話をすすめると、このデモが1960安保闘争を典型とするものとは様相を異にするものであることを述べている。要するに人々の行動様式が多様であり、国家権力との関係が第一義的に考えられていたという点が大きくちがうのである。今回の行動は多くの人々が様々のスタイルで登場しており、人々の意志表示の仕方が多彩であるということだ。デモや集会は人々の意志(政治的意志)の表現(意志表示)であることは共通のことであるとすれは、その形態がちがうのである。今日の形態は諸個人の直接的で自然発生的な意志表示という面が強い。これは直接には政治集団や社会集団の指導的力が後ろに退いて、大きな役割を演じていないということである。集会や行為において政治集団やグループの役割は逓減しており、あまり機能していないこととして現象している。このことは代々木公園で行われた「さよなら原発10万人集会」についても言える。国民や地域住民の声が主体であるという意味では現在の行動が本来的なものと言える。歴史を変える国民の意志や声というのはこういう形態をとるのが本来の姿であり、それが行動的《過激》になったり、穏やかなであったりするのはそこに関与する契機に過ぎない。
■ それならばかつての集会やデモなどで大きな役割を演じた政治集団やグループはどうなっているのだろうか。これは集団やグループとしては機能しえず、現実には身動きが取れずに個人や小さなグループとして対応しているのである。国民や地域住民の政治的意志表示は直接的であればある方がいい。また、この意志は誰かに代弁してもらうことが少なければ少ないほどよい。だが、その意志表示には媒介が必要である。それを運動という言葉で現わせばその方向性を指示できる存在も必要だ。これは現在的な課題としてあるのだし、それぞれが問答している所である。
■ 7月27日(金)6時首相官邸前。7月29日(日)14時日比谷公園かもめ広場(女たちのアピ―ル/かんしよ踊り),15時30分日比谷公園中幸門,16時30分デモ,19時国会包囲。 (文責 三上治)