「十日の菊」と言われるかもしれないが、秋篠宮家長男の成年式についての感想である。
9月6日、秋篠宮家長男の成年式というのが、おこなわれた。18歳のときは、受験期と重なったので一年後の誕生日に執り行われたという。よそ様の家の祝いごとに、あれこれ言うつもりはない。しかし、ことは、宮家の話である。一連の行事は国費で行われたし、それらの行事は、すべて、宗教的儀式の一環であったからである。
私は、大嘗祭の違憲性についても、当ブログで、上記二つの問題点を中心に調べもし、即位礼・大嘗祭違憲訴訟の控訴審、東京高裁での陳述でも指摘したところである。
・生まれて初めて法廷に立った! 即位礼・大嘗祭はなぜ違憲なのか(2024年11月13日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/11/post-2e11f6.html
・大嘗祭違憲訴訟の東京高裁での陳述書が掲載されました(2024年12月22日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/12/post-0daf4b.html
マス・メデイアはまったくと言っていいほど、今回の私的宗教的行事に国費を使っていることの違法性に触れることなく、スルーしているとしか思えなかった。それどころか、成年式の当日の社説で産経新聞は「悠仁親王殿下 挙って成年式を寿ぎたい 政府報告書の継承策実現を」、読売新聞は「悠仁さま成年式 新たな門出をお祝いしたい」とことごとしく論じた。読売新聞では、多くの写真入りで、現天皇、秋篠宮の成年式を振り返る形での解説記事「悠仁さま成年式 40年ぶりの皇室行事、注目ポイントは?」を9月5日のデジタルで報じている。手元にある朝日新聞は、9月7日、成年式報道とともに「悠仁さま成年式」特集で全面を使い、19年間の歩み、儀式の写真、一連の儀式・行事の際の服装まで、絵入りで解説するという丁寧さであった。しかも、各儀式・行事の「公的行事」「私的行事」の別まで記してある。

成年式当日には、テレビも含め多くのメディアによって「晴れやかに、おごそかに」という常套句とともに、日の丸の小旗を持った人たちの感激のことばを街の声として、その慶事は報道された。
ところが、上記朝日新聞の記事中にある「公的行事」というのが、私には、大いに気になるところであった。そもそも、皇族男子の「成年式」そのものの法的根拠はなにもない。戦前には、1909年(明治43年)2月11日に皇室令4号として発布された「皇室成年式令」があったが、1947年5月2日に「登極令」などと一緒に廃止されている。
したがって、敗戦後の平成、令和の天皇、秋篠宮の成年式は、もっぱら「慣例」ということで、それも廃止された「皇室成年式令」にしたがって実施されてきたにすぎない。独特の神道的とでもいうか宗教色の濃厚な儀式でありながら、参列の皇族たちはみな洋装であるという、奇妙なドレスコードだけを見ても、どこか滑稽にも見えてくる。未成年皇族の装束の袍の6mもある後身?は何の由来があるのか、など不思議に思いながら「加冠の儀」の中継を見ていた。
上記、朝日新聞の記事による「公的」「私的」の判別の基準は何なのか。記事によれば、6日に行われた「冠を賜うの儀」「加冠の儀」「朝見の儀」が「公的行事」であり、宮中三殿拝礼、勲章親授、御礼言上、宮内庁長官らからの祝賀、上皇夫妻への挨拶、内宴(帝国ホテル)は「私的行事」になっている。それに続く、8日伊勢神宮参拝、神武天皇陵参拝、9日昭和天皇陵参拝は「私的行事」、10日「三権の長らを招いての午餐」は「公的行事」となっている。
宮内庁関係の予算には、皇室費と宮内庁の運営・人件費などにかかる宮内庁費がある。皇室費がさらに、内廷費(上皇・天皇・内廷関係)、皇族費(各宮家の手元金)、宮廷費(儀式、国賓・公賓等の接遇、行幸啓、外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費など)と分かれているので、判断の基準として、経費の出所の違いなのだろうか。たとえば、帝国ホテルでの宴会は、秋篠宮家への支給分から出ているということだろうか。宮廷費以外は、宮内庁経理の公金ではないとされているので、支出の詳細は公表されていないが、国費であることには変わりはない。今回、成人になることによって皇族一人当たりに支給される額が305万円から915万円になったことが話題になっているが、この皇族費とは別に、皇嗣である秋篠宮家には、一般宮家への定額3050万円の3倍にすることを先般の代替わりの際に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第6条」で決められている。
<参考>
皇族費の各宮家別内訳(令和7年度)
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/kouzokuhi.pdf
宮内庁令和7年度予算概要
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/r07-01.pdf
というわけで、公的・私的行事と分けたところであまり意味がなく、限りなく宗教的儀式の近い行事をふくむ「成年式」関連行事を国費ですること自体への疑問は大きい。百歩譲って、どうしても実施するというのならば、現状に在っては、皇族費の中で、簡素に行うべきではないか。
今回の成年式を境に、成人皇族としての「公務」が増していくと、報じられるが、その「公務」とて、法的根拠はまったくないもので、ほとんどが、「宮廷費」での支出になることだろう。平成期の明仁・美智子天皇夫妻が、拡大してきた「公的行為」なるものを公式化、定例化、恒久化することに必死になっているのが、いまの宮内庁や天皇家はじめ宮家であるかのように思える。
宮内庁も情報発信に熱意を示す。たとえば、インスタグラムで、今回の秋篠宮家の長男の近況を知らせる動画などは、垣間見ただけでも、わざとらしくて、どこか気の毒にも見えた。それに、マス・メディアは、写真一つをとっても、「宮内庁提供」「代表撮影」なるものが多く、取材の自由があるのかと思うし、訪問先での「お手振り」、日の丸を持っての歓迎ぶり、関係者や周囲への「お声かけ」といったシナリオ通りの動向をワンパターンで報じているに過ぎないのを目の当たりにすると、情けなくもなる。日本の皇室には女性差別があるなどと言っている場合ではない。もっと根本的な、日本にとっての天皇制とは何であったのか、未来にわたって必要なのかという問題提起がなされるべきではないかと思うことしきりである。
初出:「内野光子のブログ」2025.9.10より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/09/post-4cf35b.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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