ドイツにいたため、8月30日の抗議集会には参加できなかった。いよいよ国会が大詰めを迎えたこの日、なにがなんでもこの悪法案を阻止したいと、国会前の抗議集会に参加した。
8月30日の参加者の体験から、遅い時間になれば地下鉄の駅から動けなくなること、国会前まで到底たどり着けなくなって来るらしいことを聞かされていた。そのため、この日は早々と午後3時頃には「経産省前テントひろば」に行き、その前に腰かけて5時頃まで時間をつぶした。いつもいるメンバーのうちの何人かと久しぶりにお会いする。
しかし、同じく何人かの常連の方たちの顔が見つからなかった。この日は、明治大学で故姫岡玲治(青木昌彦)-60年安保時の東大ブント-を「偲ぶ会」があり、そちらへ行ったのであろうか。何年振りかでお会いしたMさん(かつての「世田谷社研」の中心)が、これからそちらへ行くのだが、その前にここへカンパに来たと言っていた。顔見知りの女性、Mさん(かつての「ベ平連」活動家)も若い女性と一緒にやってきた。この日の抗議集会に参加するために来たという。まだ時間が早いので、しばらく喫茶店で時間をつぶすとのこと。福島県浪岡町で牧畜をやっていた吉沢さんが車の後ろに大きな牛の人形をつけた荷台を引いてやって来て、スピーカーで「今でも300頭の行き場所の無い牛たち、売れるあてのない牛たち、に餌をやり続けている。こういう結果を招いたのは全て東電と政府、経済産業省にその責任がある」と訴えた。彼は川内原発再稼働反対の集会にも参加してきたのだという。
5時過ぎた頃から、少しずつこの日の「抗議集会」に参加するとみられる人たちが集まってきた。「国会の正門にはどう行けばよいのですか」と尋ねて来る人もいる。
5時15分過ぎにわれわれ(僕と連れ合い)も腰をあげて、国会目指して歩く。周辺には既に多くの方たちが来ていた。とりあえず、国会周辺を一周する。途中で「ペンライト」が配られ、この日の夜の抗議のためと頂いた。
一周した頃から国会正門前はぎっしりの人だかり、もう簡単には動けない状態になっていた。それにしても日本という国は警察による「異常警備」が目立つ。少なくともドイツでは、こんなひどい規制は体験したことがない。デモやそれに伴う様々な表現、看板やプラカードなども、一般的には規制されない。それに反して、日本では横断歩道も自由に渡れず、隣で幼い子供を抱えた若い夫婦が立ち往生の末、子どもが泣き叫んでいた。旦那の方が「やはり無理だったかな」と呟いていたのが印象的だった。
「警備過剰」への抗議の幟が何本も立ち、「道路を開けろ」という警官への抗議の声があちこちから上がるが、それでも一向に彼らの横暴は収まらない。警察が「道路交通法」で決められた通行の自由を妨げている。また、憲法で保障されているはずの「集会の自由」「表現の自由」の権利を踏みにじっている。こんなひどい国は、少なくとも文明国とはいえないのではないだろうか。怒りを覚える。
それでもこの日は、およそ4万5000人の人々が抗議に参加したと伝えられている。正門前まで進んだ時にすぐ側にジャーナリストの広河隆一氏が汗びっしょりになりながら報道写真をとっているのに出会う。
集会の妨害をやるために国会周辺の道路に止められた装甲車は、何故かエンジンをかけっぱなしで、排気ガスを大量に噴き出していた。こんな卑屈な形でなければ、民衆の不満を抑えることが出来ないのだろうか。
かつての60年安保闘争ではないが、こんなことをやっていたら、自然の流れで国会突入が行われざるを得ないのではないかとさえ思う。とにかく、今週と来週が最大の山場であることには変わりがない。闘争は引き続き、粘り強くやることに意義がある。沖縄では「翁長雄志」知事がついに「辺野古承認取り消し」を表明した。反原発「経産省前テントひろば」は依然として健在である。これらをばねにして、日本における真に民衆レベルの闘いを構築する絶好のチャンスが来たと考えて永続的に闘う基盤をつくり出したいと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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