青山森人の東チモールだより…政治ゲームはギリギリまで

3月3日は、ベテラーノ(元戦士)の日

3月3日は「国民ベテラーノ(元戦士)の日」です。「3月3日」が「国民元戦士の日」と決められたのは、2016年の3月1日から3日までの3日間をとおして東チモールの元ゲリラ兵士や抵抗運動の元活動家たちが一堂に会する「退役軍人・元戦士の国民会議」が開かれたときでした(東チモールだより 第320号)。

今年の「3月3日」の式場は、ニュース映像を見ると、去年の11月28日の「独立宣言の日」と同じような政府庁舎前広場の間取りでした。テントに設置された来賓席には国内の解放闘争の戦士たちがいわゆる退役軍人さながらの立派な制服を身につけて参加し、またオーストラリアの退役軍人も参加していました。

「武装抵抗はこの日に蘇った。人びとは希望を取り戻し、世界は驚いた。よって、今日、この歴史的な日をわれわれは祝うのである」とフランシス=コグテレス=ルオロ大統領は演説しました(「テンポチモール」、2020年3月3日より)。

「3月3日」が「国民元戦士の日」になった経緯と、現在進行中であるルオロ大統領とシャナナ=グズマンCNRT(東チモール再建国民会議)党首と確執を思うと、上記のルオロ大統領の演説をとおして歴史が指導者たちに仲良くするように諭しているように感じるのはわたしだけでしょうか。

1970年代後半、インドネシア軍の侵略にたいする東チモールの解放闘争をフレテリン(東チモール独立革命戦線)が一つの政党として他の対立政党を抑えながら進めましたが、アメリカの軍事支援を受ける圧倒的な軍事力を誇る侵略軍にたいして限界がありました。フレテリン中央委員会の僅かな生き残りの一人であるシャナナ=グズマンはフレテリンのやり方では戦争に勝てないと判断し民衆参加型の民族解放闘争の道を切り拓いていきます。1981年3月1~8日に「国民会議」が開かれ、「3月3日」に闘争の再組織化が始まりました。この「国民会議」でCRRN(民族抵抗評議会)が設置され、シャナナ=グズマンが議長となり、またシャナナ=グズマンはFALINTIL(東チモール民族解放軍)の最高司令官に就任し、フレテリンを離れ、そして超えていきます。CRRNはその後闘争の最高機関CNRM(マウベレ民族抵抗評議会)へ、さらにCNRT(チモール民族抵抗評議会、現在の政党CNRT〈東チモール再建国民会議〉とは違うことに要注意)へと発展し、1999年の住民投票を実現させ、独立を勝ち獲ったことは周知のとおりです。

ルオロ大統領が「「武装抵抗はこの日に蘇った」と讃える「3月3日」の立役者とは他でもない、ルオロ大統領が現在対立するシャナナ=グズマンCNRT(東チモール再建国民会議)なのですから、皮肉なものです。先月2月22日、シャナナCNRT党首をはじめとする6政党が新しい連立を組み、これからこの連立勢力は新政権を担うべくルオロ大統領の承認が必要となるし、ルオロ大統領は政治的袋小路を終わらせ国政を正常に戻すため、この新連立勢力に承認を与えることが求められているので、二人とも「3月3日」の式典を通して寛容さを取り戻し、ある程度の譲歩をすべきだとわたしは思うのですが……。

この「3月3日」式典にシャナナ=グズマンは参加しませんでしたが、来る3月6日(金)、ルオロ大統領と新しい連立勢力の代表者たちと面談する予定であると大統領府から発表されました。

シャナナとルオロ、ようやく顔を合わせる

そして3月6日、シャナナCNRT党首をはじめとする新連立勢力の6政党(CNRT〔21議席〕、KHUNTO〔チモール国民統一強化、5議席〕、民主党〔5議席〕、PUDD〔民主開発統一党、1議席〕、UDT〔チモール民主同盟、1議席〕、FM〔改革戦線、1議席〕)の代表がルオロ大統領と面談しました。国会定数65議席の過半数34議席を占める連立勢力の結成を各構成政党の代表が正式に大統領に報告するための面談です。CNRT代表者としてシャナナ党首の代わりに他の幹部が出席するのではないかとわたしは勝手に心配しましたが取り越し苦労でした。シャナナCNRT党首はルオロ大統領とちゃんと握手をし、大統領府の会議室円卓にルオロ大統領と一番近い席に座りました。報道によれば、この二人の正式な顔合わせは、2018年10月以来とのことです。去年2019年丸々一年間、小さな国土面積のなかで二人が顔を見合わせないように行動するのはさぞたいへんなことだったでしょう。

大統領の要求

新連立勢力の代表たちはルオロ大統領との面談が終わると記者団に何も語らず大統領府をあとにしました。ニュース映像を見るとシャナナCNRT党首は不機嫌な表情をしているように見えました。民主党のアントニオ=ダ=コンセイサン書記長が新連立勢力を代表して大統領面談後の記者会見をし、政治政党法に沿った要求を満たすことを大統領から求められたと述べました。

はて、この「要求」とは一体何でしょうか。それは連立を組むことを承認する党大会を各政党が開催することのようです。2017年8月に発足したフレテリンと民主党の連立政権が樹立されるさい、そのような党大会が開催されていないはずです…わたしは「政治政党法」を読んだことがないのでなんともいえませんが、党大会は必要ないという法律家もいます。しかし新連立勢力は党大会を開くことは造作もないこととして、ここは大統領に言われた通り、迎えた週末の土・日を利用して各政党は党大会を開きました。

新連立勢力、シャナナを首相に選出

週が明けて3月9日(月曜日)になってもまだ新連立勢力は誰を首相に選ぶのか明らかにしませんでした。他政党と比べ圧倒的な議席数をもつCNRTのシャナナ党首が首相になるべきと見るのが普通ですが、前回のAMP(進歩改革連盟)の場合、8議席をもつPLP(大衆解放党)のタウル=マタン=ルアク党首が首相に選ばれた経緯があります。タウルPLP党首はシャナナCNRT党首を首相に、シャナナCNRT党首はタウルPLP党首を首相にそれぞれ譲り合い、この“譲り合い合戦“にシャナナCNRT党首は勝って、タウルPLP党首は泣く泣く首相職を引き受けたといわれています。今回もシャナナCNRT党首が首相に選ばれるかどうかはこの時点ではまだ予断を許さない状態でした。

3月10日、新連立勢力は各政党が新連立政権参加を確認する党大会を開いたことを示す報告書を大統領府に提出しました。大統領から指摘された「要求」を満たしたことになります。そしてこの報告書のなかでシャナナ=グズマンCNRT党首が首相に指名されていることが明らかになりました。今回は“普通に” シャナナCNRT党首が首相になりそうです……まだわかりませんが。

なかなか承認されない新政権

政党法の「要求」は満たされ、首相も選出され、あとはルオロ大統領が新しい連立政権を認め、シャナナCNRT党首を首相に任命すれば、新首相が組閣して第9次立憲政府の樹立へと政局は進みます。ところがなかなか事態は進展しません。

新連立勢力が3月10日に「要求」を満たしたことを示す報告書を受け取ってもなおまだルオロ大統領はこの新連立勢力を新政権として承認しないのです。それにタウル=マタン=ルアク首相から2月に提出された辞表にたいして大統領は対応を依然として保留にしたままなのです。これにはシャナナCNRT党首は相当腹を立てていることでしょう。ルオロ大統領がシャナナCNRT党首を“いじっている”ような印象をうけます。シャナナCNRT党首にしてみれば、ここはひとつ、我慢のしどころです。

一方、AMPから追い出されたかたちとなったPLP幹部は3月12日、新連立勢力が首相を選出したことについて噛みつきました――タウル=マタン=ルアク首相の辞表がまだ正式に受け取られていない状態で首相を選ぼうとする行為は憲法違反でありクーデターであると。これにたいしてCNRTは裁判に訴えてクーデターかクーデターではないかを判断してもらえばよいではないかと反論しました。PLP幹部がこのような声明をだしたことは当然、党首であるタウル首相のお墨付きのうえでしょうから、これはタウル首相のささやかな反撃かもしれません。しかしながらタウル首相はKHUNTOの党大会に出席して、KHUNTOを称賛していました。これが政治というものでしょうか。それにしても「クーデター」という表現は穏やかではありません。

3月13日、控訴裁判所のデオリンド=ド=サントス所長が、新連立勢力の結成過程の合法性について同裁判所が判断できるか否かを検討しているところだと発表しました。回りくどい言い方ですが、ルオロ大統領は新連立勢力の合法性について控訴裁判所に諮ったものと思われます。どうやらルオロ大統領は憲法で与えられた60日間という時間をたっぷりと使って判断を下すようです。「前倒し選挙」の可能性もまだ十分に残っています。60日間を使い切るまであと数日、果たして大統領の判断はいかに? 政治ゲームはギリギリいっぱい続く模様です。

 

青山森人の東チモールだより  第411号(2020年03月14日)より

青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion9551:200318〕