『第二江戸思想史講義』の序章を書いた
コロナで閉じこもりながら、最低の精神状態のなかで『第二江戸思想史講義』の序章をともかく書いた。その序章を次のような言葉をもって閉じた。
「私は江戸思想の読み直しを考えながら、朱子学の読み直し、形成期の朱子を見ることから始めている。この結果が何をもたらすかは分からない。最初私は『中庸』首章の「天の命ずる、之を性と謂う。性に率う、之を道と謂う。道を修むる、之を教と謂う」というテーゼをめぐる日本の近世儒家による諸解釈を通観しながら近世儒家思想史を手際よく提示することを考えていた。だが今年の初めから中国で始まりやがて世界を覆っていったコロナヴィールスによる禍害と苦難とは、私の手際よい思想史の叙述を許さなかった。私は宋代という中国近世的世界を思想的に担う朱子学の形成の初めを見ることからわが思想史を読み直し、書き直すことを考えた。そこから本稿「天の命ずる、之を性と謂う」が書かれたのである。だがこの先は分からない。あたかも『朱子語類』を手探りで読むように、手探りで書き進めるしかない。」
この序章は集会が許される状態になれば5月16日、23日に大阪梅田と東京飯田橋の教室で話します。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2020.4.9より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/82656520.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1114:200412〕