検察官の定年延長を政権の判断で延長できるようにする検察庁法改正案について、検察官OBたちが5月15日、安倍晋三政権の理不尽なごり押しに抗して立ち上がった。44年前の田中角栄元首相らが逮捕・起訴された東京地検特捜部の「ロッキード事件」捜査に加わった元検察官たち14人。検察トップだった松尾邦弘元検事総長(77)をはじめ、堀田力元法務省官房長(86)らいずれも以前の検察捜査の強者たちである。
14人を代表して松尾さんと元浦和地検検事正の清水勇男さん(85)がこの日午後、法務省に赴き、森雅子法相あての検察庁法改正案に反対する意見書を提出、この後、司法記者クラブで記者会見した。改正案は、内閣や法相が判断すれば、検事総長、次長検事、検事長、検事正などの検察幹部がそのポストに最大3年、とどまれる。「役職定年」の延長もある。意見書は、この法改正について「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政権の意に沿わない動きを封じて、検察の力をそごうと意図している」と厳しく批判した。
OBとはいえ、検察のトップまで務めた人たちが、政権に反旗を翻すことは異例中の異例のことだ。私はこの行動を安倍首相によるメチャクチャに強引な政権運営への検察官OBの止むに止まれぬ「検察官OB一揆」だととらえている。
意見書は「かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査・公判の推移を見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった」と書いている。私もその「ロッキード世代」の一員だった。1976年2月、米国で発覚したロッキード事件の前後5年間、共同通信社会部で検察を担当した。司法記者クラブでは各社ともそれぞれ担当があり、私は東京地検の豊島英次郎次席検事(後に名古屋高検検事長)と〃ミスター検察〃といわれた吉永祐介特捜部副部長(後に検事総長)=いずれも故人=の担当だった。朝、昼、夜回りと毎日何度も顔を合わせた。検察も「国家権力」なので、これを記者クラブ記者の「権力との癒着」という人もあると思う。善し悪しは別にして、当時の特捜検察とメディアの記者の関係は「巨悪を許さない」という1点で一致していた時代だったと思う。
今回、意見書を出した14人の方々とは、お名前は存じ上げている方はあるものの、直接の面識はない。しかし、毎晩、お宅にお邪魔した豊島氏や吉永氏とは退職後も時折、交際があった。お2人とは人間的なつながりもあったと思っている。そういう意味で私も「ロッキード世代」の1人であることは間違いない。だからこそ、私は 年齢的には少し後輩に当たるが、14人の方々の勇気と正義感や危機感を共有したい。いま、黙っていることはせっかくみんなで築いてきた「戦後民主主義」を崩壊させることになる。
在京紙では、意見書全文は東京新聞が載せ、朝日新聞は紙面は要旨のみ、デジタル版で全文。意見書の掲載の仕方でその新聞社のこの問題に対するスタンスが分かる。共同通信は意見書全文を配信し、かなり多くの地方新聞がデジタル版などで使っている。長文だが、読めば心に響いてくる内容であり、ここに、検察庁法改正の問題点のほとんどが詰まっている。
意見書の中で 特に書いておきたいのは、「三」の安倍首相の姿勢に関する部分。ルイ14世やジョン・ロックまで登場させて、言及した箇所である。じっくり味わってほしい。長くなるので朝日新聞の「要旨」から紹介しておく。
▼今年2月、安倍首相は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更する」と述べた。これは、内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」という中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない。17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
検察庁法改正案を読まれた方もあると思うが、学者や弁護士でも「超難解」という人は多い。例示するのはこんがらかるのでやめるが、わざと分かりにくくしているのではないかと思うほどの悪文である。私は作文の講師をしていたが、これで及第点はとてもとれない。それに比べ、意見書の結論は分かりやすい。以下は、結論部分の要旨である。
▼正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
黒川氏の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ない。内閣が潔く改正法案のうち検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待する。あくまで維持するのであれば、与野党を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてが、この検察庁法改正案に断固反対の声を上げて阻止する行動に出ることを期待してやまない。
安倍政権は5月18日、あれだけ成立にこだわってきた検察庁法改正案について、今国会での成立を断念した。政権は国民をなめていた。「1強政権」が屈したのは、9日から始まった市民の「ツイッターデモ」の影響も大きかったが、この「検察官OB一揆」が政権に与えた衝撃ははかりしれない。18日夜になってやっとぶら下がり取材に応じた安倍首相は「国民の理解なくして前にすすむことはできない。批判にしっかりと応えていくことが大切だ」と述べただけだ。重要法案の成立断念、という政権の重大な危機にもかかわらず、正式な記者会見はなかった。法案は継続審議になった。秋の臨時国会でそのまま修正なしの法案が出される予定だ。この法案の発端となった黒川弘務東京高検検事長を違法な法律解釈による閣議決定で定年を延長した問題は、7月ごろに黒川氏が検事総長になるかどうかにメディアの焦点が集まっている。もちろんこれも「断固反対」である。
塚原政秀
1968年、共同通信社入社。ずっと社会部畑を歩み、警視庁、司法、皇室を担当、ロッキード事件で検察担当を勤めた。社会部次長から社会部長に。社会部長時代にはオウム真理教事件に遭遇した。2006年6月退社。 その後、文教大学情報学部で非常勤講師として9年間、作文と時事解説を教えた。
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〔eye4730:200522〕