「2003年、僕が21才の時、長年胸に秘めてきた計画を爆発させる機会が訪れた!」と、サラーは、自分一人の大革命を語ります。 「フランスで開催された10,000メートルのレースに、僕はモロッコ代表として送り込まれた。待ちに待ったチャンス到来だ!僕はゴール直前に西サハラ国旗を高く掲げて、そのままテープを切った!!モロッコが禁じている西サハラ国旗を体に纏って、僕が西サハラ人であることを、堂々と公表したのだ!!!」
平田伊都子
⑤西サハラ国旗を掲げてゴールイン!
屈辱の雌伏3年半、サラー・モロッコ・アスリート :
1999年の初冬、17才のサラーは寒々としたモロッコの首都・ラバトに戻り、モロッコ・ナショナル・ランニング・ジュニアチームに復帰した。故郷のモロッコ占領地・西サハラで起きた18日間の占領警察による拷問事件は、寝食を共にするチームメイトに既に知れ渡っていた。コーチ陣やサラー自身が語らなくても、生々しい拷問の痕が雄弁に語ってくれるからだ。
冷たい周囲に負けじと、サラーは練習距離を増やし記録を更新していった。これまでのように、コーチ陣を冷めた眇めで見ることも、わざと正則アラビア語で応答することも、止めた。自ら進んでモロッコ・ナショナル・ランニング・チームのジュニア選手として国際試合に出場し、血染めの旗のために賞金を稼いだ。気を良くしたモロッコ・ナショナル・ランニング・チームのコーチ陣はサラーを、海外での中長距離レースに、モロッコ代表として頻繁に派遣するようになっていった。そしてコーチ陣は、密かに、2004年アテネ・オリンピック候補にサラーの名前を挙げていた。モロッコの神話的陸上中長距離選手・ヒシャム・エルゲルージの後継者にしようと考えていた。ちなみにそのヒシャムはアテネ・オリンピック1500メートルで、悲願の金メダルを獲得することになる。
一方のサラーは、「僕が振る旗は血染めのモロッコ国旗じゃない、赤緑黒白の西サハラ国旗だ」と、心で叫びながら、モロッコ選手として国際陸上大会の表彰台に登った。
「僕は本当の想いを隠し続けなければならなかった。僕は苦しんだ、、しかし、一つの確信が僕を励まし続けてくれた。が、僕自身の秘密にしておいた。それは、僕の出生と立場を声高らかに叫ぶ日が必ずやってくる、という確信だった。西サハラ人なのだと、公に認められたかった。そして、、そのチャンスを何度も何度も探った」
サラー、我慢して、我慢して、まだ、まだ、、
栄光の日、到来!:
「その機会が2003年、南フランスのアグドで訪れた。僕は10,000メートルのレースで独走した。僕は、ゴール前200メートルで、支援者から西サハラの旗を受け取った。そして、残り200メートルを、高々とその旗を掲げ走り切った。勿論、その行為が僕のスポーツ歴に何を意味することになるのかを、知っていた。それは、犠牲ではない、義務だ。そして、僕にはそれをやってのける勇気と自信があった。世界に、僕の同胞がどんな目にあっているのかを、知ってもらいたかった」と、サラーは淡々と、<栄光の瞬間>を語る。「一旦、僕が決めたら、必ずやりきる!」と、サラーは口癖を繰り返す。
しかし、占領支配者にたてつくことは、特にモロッコ王に被占領民の子せがれが歯向かうことは、極刑を意味する。気に食わないジャーナリストの首をはねたサウジ皇太子の例を出すまでもなく、王族は残忍だ。サラーは12才で王様のランナーにスカウトされ故郷モロッコ占領地・西サハラを後にしたが、想いはいつも故郷にあった。17才でモロッコ占領警察に逮捕され、18日間拷問され、故郷を捨てることを強要された。が、強要は、故郷への想いを募らせてくれるだけだった。
サラーの感動的な<西サハラ国旗デモンストレーション>を、地元のアグド住民はどう受け止めたのだろうか?人口約21,000人のアグドは<地中海の黒真珠>とあだ名されるリゾート地だが、観光シーズン以外は静かな街だ。10,000メートル競走はオフシーズンの街中で行われたが、見物人も少なく地元メデイアも騒がなかった。
その頃は、世界中が2003年3月20日に始まったイラク戦争に巻き込まれていた。イラクの大量破棄兵器保持という証拠をでっち上げアメリカがイラクを破壊し、ブッシュ米大統領が5月1日に<戦闘終結宣言>を発表したにも拘わらず、2011年まで戦争は続いていく。2003年の地方都市レースは、殆ど注目されなかった。監視役を兼ねるモロッコ移民も、イラク戦争に気を取られていて手薄だったことが、サラーの革命を助けてくれた。
サラーはテープを切った勢いをかってモロッコ・コーチ陣の包囲を破り、主催者アグド住民のテントに逃げ込んだ。懐に飛び込んできたランナー・サラーを、アグドの人々はモロッコ・コーチ陣に渡さず、保護した。
「彼ら(フランスのレース開催者)は、僕がモロッコに戻されたら危険だと察知し、僕の(フランス)亡命を受け入れてくれた」と、サラーは回想する。
フランスに亡命を求めたサラー:
アグドはエロー川の河口にあり地中海に面しているため、大昔から侵略者に襲われてきた。長い植民地の歴史を持つアグドの人々は、アフリカ最後の植民地・西サハラのランナーに親近感を覚えたようだ。
アグドとはギリシャ植民地時代の名称で、西ゴート族、イスラム教徒、カール大帝と支配者が代わり、859年にはヴァイキングに略奪された。その後ヴァイキングは寒い北の海に帰らず、南仏カマルグで冬を過ごしたそうだ。そして1939年、アグドにはスペイン共和派を抑留するための収容所が建設された。アグド収容所は2万人を収容する予定であったが、実際は24,000人以上が収容された。1940年末の第二次世界大戦末期には、ドイツ・ヒットラー傀儡のヴィシー・フランス政府が、30カ国、6000人ものフランス在住外国人をこの収容所へ移送し総計30,000人、地元民(当時)の約3倍の移民難民を詰め込んだ。このうち1000人以上は外国籍のユダヤ人たちだった。移民難民に対するアグド住民の寛容な精神は、歴史の素晴らしい遺産だ。そして現在、アグドは、ヌーディストビーチで超有名だ。毎年12月31日には大みそか恒例のヌーデイスト海水浴イベントが行われる。イラク戦争が勃発し、サラーが西サハラ国旗を掲げた2003年も、大みそかヌーデイスト海水浴が行われたそうだ。
「僕がフランスを亡命の地に選んだのは、モロッコを保護するフランスはそのモロッコが占領する西サハラも、当然、面倒を見なければならない責任があると思ったからだ。僕は、フランスとフランス人と世界の人々に、僕個人の現実と全西サハラ人の現実を伝えたかった。占領と、そして迫害と戦う人間の生き様を、知って欲しかったのだ。
もし、フランスのような自由と称されている国が、僕という一個人の保護をしたくないのなら、西サハラ人の保護なんて到底できないだろうと考えていた。フランスに賭けたんだ」と、サラーは亡命申請理由を語る。
そして、「僕は今、フランスという自由を看板にする国に住んでいる。しかし、自由という実感はない。それは、いつも、自由を奪われている占領下の家族や友達、そして不自由な難民生活を続けている同胞のことが頭から離れないからだ。みんなが自由を取り戻すまで、僕の自由もない」と、サラーは繰り返した。
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サラーがモロッコ選手としての出場を自ら棒に振った、2004年アテネ・オリンピックでの日本選手団活躍振りを、ざっと、振り返っておきます。 金メダル16個、メダル獲得総数は37個でした。 この金メダル獲得数は、1964年東京オリンピックに並ぶ過去最多のものでした。 柔道では、野村忠弘が3大会連続の金、谷亮子が2大会連続の金、日本柔道は男女合わせて8個の金メダルを獲得しました。 レスリングでは、吉田沙保里(レスリング女子フリースタイル55kg級)と伊調馨(レスリング女子フリースタイル63kg級)が金メダルを獲得しました。 競泳では、北島康介が100メートルと200メートルの平泳ぎで、柴田亜衣が800メートル女子自由形で、金メダルを獲得しました。 女子マラソンでは野口みずきが、体操男子団体総合では日本男子体操チームが金メダルを獲得しました。
男子ハンマー投げで銀メダルだった室伏広治は、金のアドリアン・アヌシュにドーピング疑惑が浮かび上がったため、大会最終日に失格となり、繰り上がりの金を貰いました。 ここは、辞退した方が、男前を一層あげたのではないか?と思われます。
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*難民アスリート・サラーの最新ドキュメンタリーがYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/jz7lFr2c_Jk スペイン語ですが、西サハラ難民キャンプが見られます。
*占領地からの脱出―「アリ 西サハラの難民と被占領民の物語」只今発売中です。
著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、
造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861
2020年2月3日 初版第一刷発行 定価 税抜き2,000円
*1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。
YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I
Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2020年6月24日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9876:200625〕