こいのち通信 2021年2月 (世田谷こどもいのちのネットワーク通信)

 2月は「にげる」、3月は「さる」っていいますけれど、確かにもたもたしているうちに、2月があっという間に行ってしまいました。気がついたら、弥生3月。そんな具合で、2月中に通信を発行できませんでした。ま、いい加減ですが、2月ということでご容赦を。3月7日、本当に「非常事態」が解除になるのでしょうか・・・。解除したらそこでガラッと変わる、というのも変ですね。宣言されているから、上から言われるから、みんながそうするから、私たちは自分の行動を決めるのでしょうか。自分の頭で考え、感性に聴いてみるという当たり前のことが、おざなりになっている気がして仕方がありません。今は昔、一年前のことを思い出します。コロナという得体のしれないものを前に、右往左往していたころ。一年経つと、もちろんマスクが当たり前、人と会う頻度が極端に減り、大方はオンライン。ズームなんて聞いたこともなかったのに、今や誰もが(私でも)なんとなく操るようになりました。移動しなくていい、遠くの人(世界中の!)とも簡単に繋がれる。誰もが「引きこもり」状態になってコミュニケーションしているんだから、面白いといえば面白い。都心の家賃のかさむオフィスなんていらないし、移動の費用も浮くし、時間は大いに節約になりますね。ついでに、外での飲み代もいらなくなる。でも、行きつけの飲み屋さんはこぼしています・・・。人は来ない、時間は制限される。航空会社、旅行会社、どこも大変。誰もがハッピーになれるそんな世界をつくれるようになればいいのだけれど。せっかくコロナが奢れる人類に対して何らかの警告をすべく現れたのだとしたら、それをきっかけにこれまでと違う世界を作らなくては報いられませんよね。そんな時に、予定調和のようにオリンピックか!と腹立たしい思いです。オリンピックをやることがほんとうにいいことなのか、できるのか、という根本的な問いを脇において、組織委員会の理事の女性比率を多くする、とか、みんながそういうから仕方なくやる、みたいな、何もわかってないなあ、ということばかり。日本の社会には、オリンピック組織委員会のようなところはいくらでもあるし、総務省の接待問題だって、当たり前にどこでも行われてきたことなんですよね。誰かが辞任して済む問題では決してない。ちゃんと根っこのところが論じられずに、首をすげ替え、小手先の姑息な対応しかせず、というのが許せません。それにしても、すべての疑惑とともに去ったあの元首相はいずこに・・・。
 激変した世の中に、あいも変わらずアナログの「通信」で発信している「こいのち」ですが、旧態依然のこのメディアに関心を持ってくださる方もいて、この通信が他の媒体に「転送」されるようにもなっています。友人が関わっている「ちきゅう座」というサイト、そこにも載っています。前回の「婚外子」問題の記事は、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の機関誌「Voice」に転載されました。小さな声を広げる手段としてちっぽけな貢献ができれば、それは嬉しいことです。前号でイナセンが書いた「学校教育もの申す」みたいな記事も反響が大きかったです。ぜひ、続編も待たれています。ともかく、そういう反響は、こんな通信でもちゃんと読んでくれている仲間がいることの証で、作る側には大きな励みになります。ぜひ、いろんな声をお寄せください。
 ふと目にしたり、聴いたりしたことに感動を覚え、「こいのち」のみなさんにも共有していただけたら、と思うことが時折あります。今回お伝えしたいことの一つは、佐藤由美子さんがコピーしてくれた「新潮」2021.1号のブレイディみかこさんの「わたしのコーリング」。何度も読み返すほど感動!『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者で、その感性の鋭さに私も感嘆していますが、彼女はエリート進学校での居心地悪く学校の勉強に興味が持てなくなった時に、自分のことを信じてくれた一人の先生がいたことを書いています。「こうやって文筆業を続けてきたツラの皮の暑さには、先生がわたしを信じてくれたという成分がかなり入っていることをわたしは知っている」。「子どもにとって、自分を信じてくれる人がいるということが致命的に重要だと教えてくれたのは先生だ」と。その先生の父上が九大の哲学・倫理の教授だった滝沢克己だともあって、私は驚きました。私が大学闘争に明け暮れていたころ、最も影響を受けたのがその先生だったからです。
 もう一つ、NHKラジオの日曜の朝の番組にあった「著者からの手紙」で、たまたま耳にした加納土さんの「沈没家族~子育て無限大」。何年か前に土さんが製作した「沈没家族」を観て、とても感動したのですが、本になったと知り、これは読まなきゃと思っています。シングルマザーの母親と何人もの大人たちと一緒の共同生活の中で育った土さんが、かつての保育人たちに出会い直し、旅を振り返るというお話です。破天荒の母親の生き様もすごい。なぜ「沈没家族」?という問いに、「90年代のある日、街で配られていたチラシに『男が働きに出て、女は家を守るという価値観が薄れている。離婚をする夫婦も増えて、家族の絆が弱まっている。このままだと日本は沈没する』とあり、これを見た住人たちは、「それなら私たちは“沈没家族”だ」とそう名乗るようになったらしい」と。「沈没家族、バンザイ!」ですね。
 さて、「こいのち」ですが、世田谷の「教育」を知り、考えたいと思っています。今回は「世田谷の教育を考える会」の岸塚さんに投稿していただきました。期待されている、イナセンの第二弾。ちょっと間に合わなかったので、次号にて。GIGA構想とかICT教育とか、新しい横文字が次々とあらわれてきます。それが教育をどう変えていくのか、4月にはそんな学習会を考えています。またお知らせします。                                       (星野弥生)
                                                                                 
コロナ禍、文教委員会・教育委員会の傍聴を通して見えてくる世田谷の教育

 世田谷の教育を考える会では文教委員会と教育委員会の会議を可能な限り傍聴しています。区議の文教委員と教育委員会の鋭いやり取りは、区の新たな教育政策の概要や問題点を浮き彫りにしてくれることがあります。案件は幼児教育から社会教育に至る幅広い内容ですが、小中学校に関わる内容について感想を交えて報告したいと思います。
1. 遅すぎる35人学級
 1980年に「義務教育標準法」が改正され45人学級から40人学級になりました。その後、2011年の民主党政権下で35人学級が実現しましたが、財政難(?)のため、1年生のみとなりました。2年生に進級すると40人学級のためにクラス替えをしなければならない学校も出てきます。学校生活に十分慣れていない子どもたちにとっては大変なことです。教職員組合や保護者・市民の運動により、多くの自治体は2012年から2年生も35人学級を続けることになりました。しかし、3年生以上は40人学級のままで、今日に至っています。
 政府は40年ぶりに「義務教育標準法」を改正し、35人学級が実現することになりました。計画として、文科省は2021年度(令和3年度)から5年間かけて段階的に35人学級にする予定ですが、東京都は2012年から第2学年の35人学級を実施しているので、2022年度(令和4年度)に第3学年、2023年度(令和5年度)に第4学年…と35人学級を実施する考えです。
2月8日の文教委員会で、世田谷区教育委員会は35人学級の対応策を出しました。調査結果、教室を新たに増やさなければならない小学校13校の大規模改修・工事が必要と報告しています。
 これまで、教職員組合や保護者・市民は35人学級実現の署名活動など地道に運動を進めて来ました。文科省はその必要性を認めつつも大蔵省・財務省は一貫として教育の効果が実証できないとして予算をつけて来ませんでした。財務省の優秀な官僚には自分が40人学級で勝ち抜いてきた経験からか35人学級の意義が理解できないのでしょう。今回、財務省はコロナ対策として35人学級に踏み切ったのですが、一人一人に行き届いた教育を考えるならば30人以下が良いです。出来れば20人程度が良いです。
2. 30人学級を実施している沖縄県
 全国ではすでに35人学級を小学校全学年で実施している自治体は多く、琉球新報によると、沖縄県では2002年度から小学校1年生の35人学級を実施し、現在、中学校1年生までに至っていると伝えています。更には、2008年度に小学校1年生を、2009年度には小学校2年生を30人学級として実施しています。これには驚愕です。
 東京都も決断すれば2012年の小学校2年生に続き3年生、4年生…と35人数学級が行えたのですが行いませんでした。都教委は他の自治体よりも早く教員への業績評価や主幹教諭や指導教諭等の制度を導入し、教員の管理には熱心でありましたが、子ども達の学習環境の改善である少人数学級に対しては後ろ向きでした。
 教員の給与は「義務教育費国庫負担法」により、国が3分の1、都道府県が3分の2の割合で負担し支給されています。(以前は国庫2分の1、自治体2分の1でしたが、小泉政権が改訂し、自治体の負担を大きくしました) 2年生以上の学級に35人数学級を行うと「義務教育費国庫負担法」で補償されない教員の給与を自治体が全額負担することになります。それでも、少人数学級の必要性を深く感じ取った自治体は国庫に頼らず自治体の費用で教員を増やし、少人数学級を実施しているのです。京都新聞によると公立小では、既に35人以下の学級が9割以上を占め、東京都以外の多くの学校で実質的に35人学級化が進んでいるというのです。東京都の遅れが目立ちます。その結果、今、文科省が行わなければならないのは30人学級を進めることです。
 教育の力は民主主義社会を形成する一つの要素になることを確信しています。35人学級の次は30人学級を目指したいです。                              (岸塚雅雄 世田谷の教育を考える会)

講演会「子ども達のいのちを守るには―虐待事件を取材して」 レポート 

 2月6日(土)、世田谷チャイルドライン主催の杉山春氏によるzoomでの講演会「子ども達のいのちを守るには―虐待事件を取材して」が開催されました。ズームが基本でしたが、全体で65名の参加があり、関心の高さを示していました。杉山春さんはルポライターとして、児童虐待防止法が施行された2000年から、愛知県武豊町3歳児餓死事件を皮切りに、大阪二児置き去り死事件(2010年)、厚木事件(2007年に死亡、2014年に発覚)などの子どもの虐待死事件を次々に追ってこられました。それらの事件を起こした親たちは、どの親もモンスターのように報道されてきました。
 しかし、近づいて調べてみると、親世代からの負荷を引きずりながら思いがけず親になり、経済的に貧しいばかりか精神的な問題や判断能力の不足も抱えて、社会の支援機能にうまくつながることができず、行き詰ってしまった親たちばかりでした。彼らは、離婚後、児童福祉手当を受けられることも知らず、児童相談所の存在も知りません。まわりから評価を受ける機会が少なかった彼らにとっては、市民のために整えられたはずの支援機関も、自分の親としての能力がさらに否定される付き合いにくい存在です。支援にはなかなか繋がらない人たちです。一方、児童相談所などの支援機関からすると、このようにSOSを自ら出す力がなく、自分が頼れる情報を得る力がない親たちの存在は認識してはいても、そこへどうアクセスしたらよいか手段を持っていないのが現状のようです。
 杉山さんが続いて取材された目黒区の事件(2018年)と野田市の事件(2019年)には共通点があるというのです。どちらの父親も職場での評価はそれなりに高いものの、彼らは非正規雇用が拡大する時代の就労の不安定さにさらされています。親の世代の社会階層からこぼれ落ちるかもしれないという、家族制度の担い手である男性の不安と恐怖を反映した事件ではないかというのです。その恐怖が、目黒の事件では亡くなった子どもへの暴力だけでなく、妻である母親へのDV=支配とコントロールとして作用したようです。北海道出身の父親は東京の大学を卒業後、大手企業に8年勤めたものの不適応を起こし、転勤の後、札幌の親元から毎日嘔吐をしながら出社していました。その後退職。すすきのの飲食業から香川県高松のキャバクラに転職しています。父親はこの時、「絶望していた」と語っているそうです。彼はせっかくの正規雇用に適応できず、こぼれ落ちてしまったと感じていたのでしょうか? 法廷で彼は、「笑顔のあふれた幸せな家庭を作りたかった」と述べたそうです。家庭が、外の社会で得られなかったものの代わりに目指すべきアイデンティティーになってしまったのでしょうか? そして、彼流の理想の家庭を作り上げるために、妻や子への無理強いが始まります。ことあるごとに妻の能力を否定し、長時間の説教を繰り返し行ったり、食事の仕方や量にいたるまで強引な指示が継続します。母親は次第にマインドコントロール状態に陥り、子どもへの激しい暴力を目撃して強い衝撃を受けた結果、解離性障害を発症していたとみられます。一方父親は、自分のしつけ方を通すため、母親に手を出させないよう別室で暴力を伴う「指導」を行うようになります。そしてついにその子結愛ちゃんは死に至ったのです。
 杉山さんは、この悲劇を防ぐことができなかった大きな要因として、行政側、支援側がDVを理解していなかった点を挙げています。2016年12月に女児が一時保護されることになった時、母親は自分も一緒に連れて行ってほしいと伝えます。しかし、警察も児童相談所も母親の顔にアザが認められないのでDVではないと判断します。つまり行政側には、支配とコントロールという精神的DVに関する知識がなかったのです。香川県の児相の職員は法廷で、「DVであるということを前提に対応していなかった」と語っているそうです。そして早期に向き合うべきであった加害者の父親は放置されました。一般に児童相談所による指導は家族単位、母親中心です。母親は児相の指導と父親からの支配とコントロールの板挟み状態になっていました。
 他者の価値を評価するものがその社会のパワーを持つ者になります。家父長制の中にある父親は、家庭の中では評価する者であったとしても、社会からは評価される側にあります。その父親が社会からの評価を得られない時、彼は自分が支配する権利があると思う対象をコントロール・支配しないではいられない、生き延びられないという恐怖に近い感覚を持つことがあるのだそうです。マインドコントロールを受け、感覚や記憶を失っていた目黒事件の母親優里さんは、臨床心理士や精神科医による教育を受け、裁判に臨みました。そして手記を出版されました。私もさっそく読んでみました。彼女がつづった事件の振り返りだけでなく、弁護士大谷恭子氏のまえがき、巻末に掲載された杉山春さんによる解説と精神科医の白川美也子氏による意見書を合わせ読むことにより、初めてこの事件の全貌や本質が見えてきます。
 できごとは余りに複雑で厳しく、それを目の前にして、私たち市民には一体何ができるのだろうと、頭を抱えてしまいます。事件に登場する父親や母親が置かれているこの社会の成り立ちや現状を知ることと合わせて、物理的であっても心理的であっても、暴力に依存し続けてしまう人の心の仕組みや動きを知ることなくして、支援は成立しそうにありません。被害者についてはもちろんのこと、さらに被害を生み出す加害者についても、モンスターと捉えて遠ざけるのではなく、近づいてその心のメカニズムを知り、本人にもその仕組みに気づいてもらうような再教育を用意することを目指すことができれば、と切に願います。
 みなさんもまずはぜひ、『結愛へ』(船戸優里著 小学館)を手に取ってみて下さい。     (佐藤由美子)

いろいろ告知板
★もっと語ろう不登校part.254 3月6日(土)2pm~  参加費300円
  会場:フリースクール僕んち(代田4-32-17)1F 090-3905-8124(タカハシ)
 ZOOM参加もできます。希望の方は、前日までに  佐藤:yurinoki11513@gmail.com   高橋:fsbttoru@yahoo.co.jpにメールを。招待状をメール返信でお送りしますので、簡単に参加できます。ZOOM会議は、ある程度のリスクはあると思われますので、不安な方はご遠慮ください。遠くの人も参加できるなど良い面もありますが、ネット環境が整わず参加できない方の為にも、良い方法があれば、ご提案いただけるとありがたいです。

★優れたドキュメンタリー映画を観る会より
 3月6日(土)~10日(木)「れいわ一揆」(2019年/4時間8分 原一男監督)
 3月11日(木)12日(金)「福島は語る 完全版」2019年/5時間20分土井敏邦監督
  下高井戸シネマで連日AM11:55~上映します。
 3月2日の東京新聞にも大きく取り上げられました。命を重視しない政治に黙っていられなくなった」と、こいのち仲間でもある飯田光代さんは上映会を決めました。5時間20分の「福島は語る」は、2回の休憩を入れての上映。一日仕事ですが、十分価値があります。10年目を迎える福島。福島はアンダーコントロール、という大嘘からはじまったオリンピックをここに来てやるのか! 飯田さんが言う通り「民主主義をあらためて問う契機に」したいですね。問い合わせは 080-3483-3811 飯田さんまで

★「人間の生と性を学ぶ会」3月13日(土)13時半~16時半 経堂地区会館第三会議室
 「3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし」(村瀬幸浩著 KADOKAWA12は、世代を超えて読める本です。村瀬先生を真ん中に自由な話し合いをします。どなたでもどうぞ            (星野弥生)

★星野弥生の気功教室:毎月第二、第四金曜5時半~7時20分(経堂)、毎月第二、第四日曜日の10時~12時(代々木公園)などでの、誰でもできる気功です。よかったら元気になりに来て下さい。コロナには、まず免疫力をつけることが一番。詳しくはインターネットで「気功学習室」をごらんください。(問合せ 070-5554-8433 星野弥生)
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