本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(307)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
タグ: , ,

戦艦大和の沈没

最近、頻繁に聞かれる意見として、「現在の世界情勢」と「1945年の終戦時」との類似性が存在するが、確かに、「武力による戦争」と「金融面での戦争」との違いを考慮すると、いろいろな面での共通点が指摘できるものと考えている。具体的には、「4月7日」に沈没した「戦艦大和」が、現在の「眞子内親王の結婚問題」に相当する可能性だが、ご存知のとおりに、戦艦大和は、「日本海軍の象徴」だったものの、「象徴」という「心の支え」を失った日本国民は、その後、「政府」や「軍隊」への信用を失いながら、「敗戦」という事実を受け入れざるを得なくなったのである。

具体的には、「沖縄の焦土戦」や「インパール作戦」、そして、「原爆の投下」というように、日本にとっては、最も悲惨な時期だったようにも感じられるのである。そして、今回の「皇室の問題」については、「国民に寄り添うべき皇室の一員が、婚約内定者とともに、一国民を苦境に陥れた」という事実に関して、「多くの国民が、天皇陛下の戦争責任を思い出すとともに、皇室の存在意義までをも疑い始めている状況」となっているのである。

別の言葉では、「信用を築くには長い年月を必要とするが、崩壊は一瞬のことである」という言葉のとおりに、「昭和天皇」や「平成天皇」などが築き上げてきた「日本国民の皇室への信頼感」は、今回の事件により、あっという間に崩壊した可能性も存在するのである。しかも、今回は、「お金(マネー)にまつわる問題」であり、このことは、「1945年以降、世界的に積み上げられてきたマネーの残高全体にも、大きな影響を与える可能性」も想定されるのである。

具体的には、「日本国民」に関して、「国民を攻撃するような皇室に対して、なぜ、税金を払わなければいけないのか?」というような意見が、数多くみられる状況となっているのである。つまり、「お金」というのは「信用を形にしたもの」でもあるが、残念ながら、現在では、「日本の象徴」である「皇室」に関しても、「お金にまつわるいろいろな疑問点」が存在するような状態とも言えるのである。

そのために、これから必要なことは、「金融面における敗戦が、どのような展開を見せるのか?」を注意深く見守ることだと思われるが、実際には、「コロナ禍中のオリンピック強行開催」が「インパール作戦」に相当し、その後、「国債価格の暴落」が世界規模の大インフレを引き起こす可能性を考慮しているが、現在の疑問点は、「1945年の日本人も、現在と同様に、全く実情を認識していなかったのか?」ということである。(2021.4.15)

------------------------------------------

自分の人生と他人の人生

人生の目的は、「成仏」という言葉のとおりに、「誰にでも可能な精神レベルの上昇」にあるものの、この時の手段としては、「地位や名誉、そして、財産」などの「自分の思い通りにいかない人爵」が使用されるものと考えている。つまり、人生には、一種の「二重構造」が存在するものと思われるが、この点を、さらに複雑にするのが、「他人との比較」のようにも感じている。

より詳しく申し上げると、「東洋学」では「自分の人生の9割は、あの世で、すでに設計されている」と理解されており、「この道筋からそれた時に、病気や災難などが発生し、気づきを与えられる」とも言われているのである。つまり、「自分の人生に発生する出来事は、すべてが、自分の精神的な成長のために存在する」と認識されているわけだが、この点に気付かない人々は、どうしても、「なぜ、自分だけが不幸な目に会うのか?」という不満を抱きがちになるのである。

あるいは、「貧富の格差」などが盛んに喧伝される情勢からも明らかなように、現在は、「他人の資産」を羨ましがる風潮も存在する時代でもあるが、この時に考えなければいけない点は、「素行」という言葉のとおりに、「富貴や艱難などを自分で味わい、神様からのメッセージを受け取ること」だと考えている。つまり、「富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行う」という態度が望ましいわけだが、実際には、「貧賤に素して富貴を望む」というように「他人の人生を切望するような態度」を取りがちになるのである。

別の言葉では、「人生の宝物」である「自分の人生、そして、経験」に関して、「他人の人生に目を奪われることにより、時間的な損失を被っている可能性」も考えられるのである。つまり、「人生には、良い時もあれば悪い時もある、そして、それぞれの時から学ぶものがある」という理解により、本当の「自分の人生」を生きることができ、「人生の使命」を全うできるものと考えられるのである。

そして、これから想定される「1600年に一度の大転換期」においては、世界中の人々が、「富貴」から「貧賤」への大変化が発生するものと考えている。具体的には、「西ローマ帝国」の崩壊後に発生した大変化は、「それまでの地動説が天動説に転換した」というように、「物質文明の全面的な否定」であり、私自身としては、このような悲劇が二度と繰り返されないことを望んでいるが、そのために必要不可欠な態度は、「すべての人が、自分の人生を生きること」とも思われるのである。(2021.4.16)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10872:210514〕