<速報、スーチー氏へ禁固6年の判決>
ロイターなど各通信社によると、1月10日にアウンサンスーチー氏は、トランシーバーの違法輸入と所有、およびコロナウイルスの規則違反に関する罪で4年の実刑判決を受けた。昨年12月にも扇動などの罪状で、4年の禁固刑(のちに恩赦!で2年に減刑)を受けていて、これにはミャンマー国民は、悪魔祓いの伝統的な儀式である鍋たたきで応じて、抗議の意思を表わした。国外では国連、アメリカ、EUなどの公的機関や、様々な民間の人権団体からも非難の声明がなされた。
消息筋によると、訴追された罪状がすべて有罪になれば、100年もの実刑になるという。要するに、国軍にとって二度と政治的脅威とならないよう、スーチー氏を生きているうちは獄に閉じ込めておくという意思表明である。軍事政権はまったくの正当性を欠いたクーデタに根拠を与えるべく、選挙不正をでっち上げ、かつスーチー氏を罪人扱いして権威を失墜させることによって、民主化闘争に打撃を与えることを狙ったのである。しかし国軍の明らかな誤算は、この一年間の闘いを通じて、スーチー氏がいなくともミャンマー民主化闘争を国民は立派に闘い抜ける実績を示し得たことであった。
<年頭にあたって 回顧と展望>
1988年以来断続的に続いてきたミャンマー民主化運動は、2011年のNLDの合法化に続き2015年の総選挙での圧勝により政権を獲得し、国軍の支配権を大きく残しながらも、言論の自由の拡大や小幅ながら一定の経済改革を進めてきた。そして2020年11月の総選挙でNLDが再び地滑り的勝利を達成したことで、国民は2008年憲法の改正へ向けた動きが強まるものと期待した。しかし2008年憲法を自らの政治権力と経済権益の拠りどころとして、その永久化をもくろんでいた軍部と、2008年憲法は本格的な民主化にむけた過渡的なものとしていた民主化勢力との思惑の違いからくる緊張関係は、総選挙後に次第その度合いを高めていた。しかしそれが必ずしも表面化しなかったのは、スーチー政権の側にも民主化を国民的な民主化運動に依拠して進めるというより、あくまで議会政治の枠内での駆け引きで処理しようとする傾向が強かったせいではなかろうか。真相は不明ながら、クーデタの危険性に対して無防備であったというそしりは免れないであろう。
2・1国軍クーデタは、2008年憲法の合法的枠組み、つまり制限付きながら法に基づく統治システムを国軍が自ら破壊したため、力と力のむき出しの対決状況をつくり出してしまった。2・1クーデタ直後はまだ有効と思われた合法の枠内での平和的非暴力的な抗議行動を、国軍は適法性を踏みにじる無慈悲で残忍な手段で圧殺した。その結果、弾圧による犠牲の最も多かったZ世代らの若者たちは、国軍支配を打破し民主化を達成するには自らが武装化するしかない決断し、かつまた圧倒的多数の国民がそれを支持したのであった。かくしてミャンマー民主化運動は、2008年憲法枠内での民主的な改良運動を超えて、市民的な民主主義革命―政治経済社会の抜本的構造変革をめざす運動へと飛躍することになった。この時点でアウンサンスーチー氏に象徴される従来の民主派のリーダーシップは、かなりの部分が乗り越えられることになる。
スーチー氏主導の、とくに国軍との和解優先政策は、40万人の常備軍を前にしての国民運動の非力な(あるいは非力と見える)現状を考慮したものであったにせよ、国軍との政治闘争を回避する方向へ機能したことはまちがいない。統制を好んで民衆の直接的な政治参加を好まず、自らのカリスマ性に依拠した、ある種宮廷政治のニュアンスすら帯びるスーチー氏の政治手法は、民主主義の理念と運動の発展にとって必ずしもプラスの効果をもたらさなかった。国軍が支配する官僚機構の制度改革にほとんど手が付けられなかった点に、その問題性は集中的に現れている。権力をめぐる闘争においては、自陣営の実質的な力の構築―議会の議員数だけでなく、中央・地方官僚組織における民主派の進出程度、中央―地方―地域を貫く政党や労働組合・農民組合・同業組合等の組織化、都市と農村通じて地方協議会や地域協議会―横断的な統一戦線組織―の組織化、民主派組織と少数民族組織との連携度合い等々―の有無こそが、ことの成否を決するのである。半世紀に及ぶ軍部独裁支配のため、内外の反体制運動の知識と経験と知見が継承されていないというハンディキャップを、NLDは克服するにいたらなかったのである。
さらにミンコーナイン氏を先頭にした88世代の指導部を政権から排除したことや、少数民族組織との和解と統一をなおざりにしたことは、世論的には圧倒的な支持を得ていたにせよ、NLD政権の実体的基盤を狭める結果になった。NLDは民主的な連邦国家の理念を掲げてはいたが、その実イデオロギー的には仏教徒ビルマ族中心主義の色彩が濃く、少数民族の政治的文化的諸権利の擁護につながる多元主義的な発想は希薄であった。多数派である仏教徒ビルマ族文化の優位性と少数民族文化の従属の構図は、ある意味でNLDの集団的エートスと国軍のエリート主義イデオロギーとの親和性を表していた。実際、ロヒンギャ危機であらわになった人種的宗教的マイノリティに対する差別抑圧に対して、きわめてNLDは鈍感であった。そして2019年12月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所でスーチー氏が国軍のジェノサイド行為をかばってみせたところで、ロヒンギャ危機対応の誤りはクライマックスに達した。以後、国際社会においては、スーチー氏は墜ちた偶像に過ぎなくなったのである。
スーチー氏の国軍弁護論は、じつは2・1クーデタの伏線というか、呼び水になったのではなかろうか。国軍への宥和的姿勢は、国軍が民主派勢力に対して寛容的態度や譲歩に転ずる機会とはならなかった。いな、むしろ国軍は自らの悪行が断罪もされず、NLDからも認知されうるという事態に自信を深め、いわば民主化勢力の非力さを舐めてかかったのである。クーデタを起こしても、敵(民主派勢力)の抵抗線は弱い、多少抵抗はあっても暴力で脅しつければ引き下がるであろう、いずれにせよ大事には至るまいと高をくくって、クーデタに踏み切ったのであろう。
もちろんこれらの問題は、スーチー氏を個人的に非難するという意味でなく、過去の運動の限界として適切に総括し、その教訓を今後の新しい市民革命に生かしていくという意味で言っているのである。それに関連して、ひとつ言っておかなければならないことがある。1988年来、スーチー氏が掲げてきた政治理念としての「非暴力抵抗」については、その本質的な意義は薄れていないということである。ドイツ公共放送DWの特派員は、「暴力によらないより良い未来に国を導こうとしたスーチー氏の試みは、悲劇的に失敗した」と、12月書いている。非暴力平和主義が正しく、武装抵抗はあってはならないとする、ヨーロッパ的バイアスのかかったコメントである。しかし低開発国や発展途上国においては、法の支配のひとかけらもない状態がありうるのであって、この場合必要な手段をもって抵抗反撃するのは、(ちなみに抵抗権や革命権というアメリカ革命の原則に照らしても)、道理のあることなのである。非暴力の構想は、人権概念や「人間の尊厳」という観念を内包している。したがってたとえ武装抵抗にあっても、その核の部分は生きている。いや、命のやり取りをする武装闘争においてなお、暴力への傾斜や依存の歯止めになるものとして、人道と人権重視は不可欠であり、それは軍規においても反映されるべきであろう。(かつて中国共産党・八路軍は日本軍捕虜に対し人道的教育的処置で臨み、その結果多くの捕虜たちは内面から悔い改め、軍国主義の呪縛から脱した。私の知るTさんは、解放後の国内建設に参加し、ようやく1957年に帰国した人であった)
イギリスの植民地支配と軍部独裁による一世紀半にも及ぶ抑圧政治によって、ミャンマー社会には深部にまで暴力的体質は埋め込まれてしまっている。スーチー氏の理念は、「法の支配」の強調とともに、ミャンマー社会の根本体質の変革に関わるものだということを理解する必要がある。暴力を廃絶するために暴力を用いるということは確かに自己矛盾ではあるが、後者の暴力には文民統制と人権遵守との強い縛りがかかっており、暴力の悪循環に陥らないよう十全な配慮が義務付けられなければならない。
若者は屈しない、12月30日、ヤンゴン市内で行われた抗議デモの様子。 イラワジ
<影の政府NUG>
地元メディア「イラワジ」(1/5号」が、1/4の74回目独立記念日に際し行なわれた、国民統一政府NUGのドゥワラシラ大統領代行(少数民族カレン族出身)の記念講演を紹介している。それによれば、ドゥワラシラ代行は記念日にあたり、「独立のための第二の闘い」の継続を誓ったという。つまり代行によれば、ミャンマーは植民地支配から解放されたが、国民は軍部独裁政権の手による厳しい暴力と抑圧にいまだ苦しみ続けているとし、「国の主権の所有者がその権利を失う限り、この国が独立を達成したとは言えない」とした。また、血なまぐさいクーデタと市民に対する国軍の継続的な残虐行為に直面し、国民は軍部独裁政権を完全に除去するために、防衛戦争を開始するしかなかったと述べた。なるほど「政治犯支援協会」によれば、新年を迎えた時点で、軍事政権はクーデタ以来少なくとも1,435人を殺害、8,468人が治安当局に拘束され、100人以上の被拘束者を拷問で殺害ししているという。また未成年者二人を含む78名に死刑判決が下されたという。
これに対し、9月7日の防衛戦宣戦布告以来、市民抵抗勢力による軍事政権施設や部隊への攻撃はますます頻度を増し、政権軍に大きな損失を与えている。その一方で、政権側は、民間人を虐殺し、拘束した民間人を人間の盾として使い、住宅地を砲撃・爆撃し、家屋を略奪・焼却するなど、残虐行為もエスカレートしている。
「現在最も重要なことは、軍部独裁を終わらせ、民主的連邦国家を構築するという目標に基づき、EAO(停戦協定締結組織)を含むすべての政治勢力が団結し、人民革命に参加することだ」と大統領代行は述べ、本年における革命の前進を誓ったのである。
国民統一政府NUGに関し入手できる情報はきわめて限られているので、我々が性急な判断を下すのは控えるべきであろう。ここでは地元メディアの報道から気が付いたことを述べるにとどめたい。11月にアメリカ人記者ダニー・フェンスターの逮捕・国外追放以来休刊していたが、最近復刊した「Frontier Myanmar」が、調査報道記事「武器なしでどうやって戦うのか」(1/6号)で、現場の声を拾っている。
少数民族武装組織から軍事訓練をうけた若者のほとんどは、その後各地の人民防衛隊PDFに散り、軍事作戦に従事している、しかし中には軍事訓練が終了すると、少数民族の武装組織に強制的な加入させられそうになり、拒否したらあごの骨が折れるほどのひどい暴力を振るわれた例がある。その後PDFに接触し、KNU本部や国民統一政府に訴えたら強制労働から解放され、今ではタイ国境近くの町でPDFに参加し活動しているという。また人民防衛隊に入り訓練も終了したが、武器が供給されないため平場に戻らず、少数民族武装組織に戻って、実戦経験を積んでいる例もあるという。おそらく資金面や武器製造と供給ルートなどにボトルネックがあるのであろう。武器が十分いきわたっていないことは、サガインやマグエ地域での人民防衛隊の武器の多くが自家製であることから察せられることである。戦闘形態は遊撃戦であり、敵の意表を突くヒットエンドラン攻撃や、地雷やロケットランチャーを使った待ち伏せ攻撃で、国軍に1000人とも2000人ともいわれる出血を強いている。
いろいろな断片的情報から判断すると、全国各所で500ほどの人民防衛隊が立ち上がっているといわれるが、そのネットワーク化や統一指揮系統への編入も確立されていないようである。NUGは政治と軍事の両面で、各組織に戦略目標や地域目標を提示し、必要な精神的物的支援を行なわなければならず、非合法な地下活動の制約もあって、非常な重圧を受けての任務となる。政治と軍事のバランスを取りつつ、大都市と中小地方都市、都市と農村、平野部と辺境地域を横断する全国的な組織化がどこまで進むのか、本年はその正念場となるであろう。
<地上戦で敗北、空爆や重砲撃で報復>
内戦は終結どころがいぜん拡大しつつある。国軍は、少数民族武装組織と人民防衛隊連合との地上戦では相次いで敗北、形勢を挽回すべく武装ヘリやジェット戦闘機を使って一般居住区への空爆を多用しているため、民間人に多くの犠牲者を出している。また地上戦でも、サガイン地域やカレン二地域などの激戦地では、無辜の民間人への残忍な報復攻撃が目立ち始めている。
12月30日、カレン州ミャワディ郡区レイケイカウで、人民防衛隊とカレン民族解放軍に取り押さえられた7人の国軍兵士たち イラワジ
打ち続く敗北に正気を失った国軍は、ますます残忍な報復に血道をあげている。とくに昨年の12月25日、KNDF(カレンニ国民防衛隊)は、カヤ―州プルソ郡区のモソ村の近くで放火された車両に、黒焦げの死体を発見。KNDFによれば、国軍・軽歩兵師団66の100余名の部隊が、KNDFと衝突した後、その報復として国際的な慈善団体である「セーブ・ザ・チルドレン」所有の車で避難途中の子供を含む住民やスタッフ2名、都合35名を襲撃・殺害し、放火したという。軍は、車列が点検のために停止しなかったため、村で反対勢力の不特定多数の「武装テロリスト」を殺害したと主張している。この空々しい嘘を
子供含む35名が避難途中、軍から攻撃を受け焼き殺された。 ロイター
誰が信じよう。カヤー州のカレンニ民族防衛軍(KNDF)のスポークスマンは、12月の民間人殺害は軍に責任があるとし、こうした無謀な行動は、政権が “崩壊寸前 “にあることを示唆していると述べている。国連、EU、アメリカなどがただちに非難声明を出したが、日本政府は、軍事政権との「太いパイプ」を気にしてか、「政権に厳しい態度をとってもいい結果は生まれない」(丸山在ミャンマー大使)として、軍事政権への宥和的態度は崩していない。なんとも情けないわが政府である。
その他、12月7日にはサガイン州ドンタウ村で10人虐殺、12月17日にはマグウェイ州ガンガウ村のフナンカー村とムウェレ村へのヘリコプター攻撃、12月20日のサガイン管区イェミャット村への空爆で7人が死亡、と民間人が巻き込まれ死亡する例が頻発してきている。
さらに、国軍が一般居住区を対象に砲爆撃を拡大しているため、全国各地で避難民が急増している。12月15日以降、タイ国境に近いカイン州ミャワディ郡区レイケイカウ地域に対し、地上と空から立体攻撃をおこなって、1万人を優に超す地元民が村を捨て、国境を越えてタイへ避難している。国軍は村を攻撃の際、NLDの議員や活動家を逮捕している。この地域は、日本財団も拠出して和平のためのバッファーゾーン(非戦闘緩衝地域)として建設されたものであった。カヤー州、カイン州、サガイン管区、マグウェイ管区での戦闘も入れると、4万人以上が避難しているという。
12月15日以降、カイン州レイケイカウ地区とその周辺での戦闘により、約16,500人の市民がタウンイン(モイ)川沿いの仮設キャンプや隣国タイへの避難を余儀なくされている。 イラワジ
<国軍の現状>
以前、警察官も入れると数千人に及ぶとみられる大量の脱走や戦死・戦傷による欠員を補うべく、予備役の将兵たちの現役復帰を図っているとされていた。ところが昨年から下級兵士の妻たちに軍事訓練が強制されたばかりではなく、最近では佐官級や尉官級のクラスの妻たちにも軍事訓練がなされ出したという(イラワジ1/11)。訓練内容には、重火器の使用法や基本的な軍事戦術の習得が入っているので、単なる自衛のための教練ではないことは明らかだ。人民防衛隊による軍基地への攻撃がありうることを想定した訓練であり、実戦的に防衛の任務に就かせることを考えているのだ。ここにも国軍の追い込まれた窮状の一端が露呈している。
さらなる新しい動きとしては、兵員不足を補うため「ピューソーティ」と呼ばれる凖軍事的暴力団体を組織していることがあげられる。すでにサガイン地域では「人民防衛隊」へのテロ活動に従事し、「戦果」(?)をあげているという。
いずれにせよ、何十年もミャンマー現地に張り付いて観察しているスウェ―デンの地域研究家、B・リントナー氏が指摘したように、ミャンマーの国軍はかつてと違って腐敗が蔓延し、訓練も行き届かず、弱体化しているのである。毎年何千億と入る天然ガス収入で潤い、最新の装備で飾り立ててはいるものの張子の虎同然だという。スウェーデンの平和研究所シプリによると、国連総会の武器禁輸措置決議に違反してミャンマーに武器を供給しているのは、1位は中国(56.3パーセント)、2位ロシア(31.6%)ということである。そういう意味では、国軍に天然ガス代金を送金し続けているフランスの石油大手であるトタル社に送金をやめさせることができれば、国軍は兵糧を絶たれてアウトになる。資金源を断って、軍事政権を締め上げる、この戦線には我々も参加し、共闘することができるのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11661:220113〕