論文とも言えない、エッセイにしてはいかにも気の利かない原稿ながら、「貞明皇后の短歌」について書き終えた。活字になるのはいつ頃のことか。
貞明皇后(1884~1951年)は、明治天皇には皇太子妃として、大正天皇には皇后として、昭和天皇には皇太后として、天皇三代に仕えた人だった。貞明皇后の歌集や伝記などを読んでいると、15歳で、嘉仁皇太子と結婚し、病弱な夫を助け、女官制度の改革などにも取り組み、天皇家の一夫一婦制を確立したが、その苦労も格別だったことがわかる。天皇と政府、自身と政府との間での自らの立ち位置、長男、後の昭和天皇との確執などに悩みながら、慈善事業や「神ながらの道」に活路?を見出していく過程などを知ると、その健気さと痛ましさに、同情の念さえ覚え、のめり込んでしまいそうになる。しかし、片野真佐子さんの『近代の皇后』(講談社 2003年)と原武史さんの『皇后考』(講談社 2017年)の政治思想史からの論考に助けられながら、冷静さを取り戻すことにもなった。 そんな中で、私は、つぎのような短歌に立ち止まり、しばし考えさせられた。
・かなしさを親はかくしてくにのためうせしわが子をめではやすらむ」(1907年)
・生きものににぎはひし春もありけるをかばねつみたる庭となりたる(1923年)
・世の人にひろくたからをわかつこそまことのとみといふべかるらめ(1929年)
1首目は、日露戦争後に詠まれたものだが、太平洋戦争下では、決して公には歌ってはならぬテーマであったろう。2首目は、関東大震災直後に詠まれたもので、「庭」はどこを示しているのかは定かではないが、「宮城前広場」は、震災直後は三十万人の避難民であふれかえっていたという(原武史『皇居前広場』光文社 2003年)。3首目は、1929年世界恐慌の不況時の歌で、富の格差への疑問が率直に詠まれている。1・3首目は、『貞明皇后御歌集』(主婦の友社編刊 1988年)に収録されているが、2首目は、その生々しい内容からか、上記『御歌集』には収録されておらず、伝記の一つ『貞明皇后』(主婦の友社編刊 1971年)に記されていた1首だった(148頁)。
3首目は、「成長と分配の好循環?」などと岸田首相は叫んでいるが、この歌を「しっかり」読みこんで欲しいとさえ思う。三首とも、皇后らしからぬ、現代にあっても決して触れてはならない領域、暗部を詠んでいて、あの平成の美智子皇后だって、詠みはしなかった。
アメリカの富裕層や欧米9か国の富豪たちが「今こそわれら富裕層に課税せよ」と提言しているというのに、日本は、日本企業は、富豪たちは何をやっているのか。
参照
ソロス氏ら米大富豪「超富裕層に課税を」(日本経済新聞 2019年6月25日)
世界の富豪102人が19日、「今こそ私たち富裕層に課税を」(2022年1月20日 AFP=時事)
初出:「内野光子のブログ」2022.1.24より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/01/post-cd7b96.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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