ロシアへの経済制裁を知った時、常套手段だと思いながら、世界の経済状況が今までとちがって大きく変化、大変なことになるのではないかと、素人である私ですら危惧した。
4月8日欧州議会でアイルランドのクレア・ディリー欧州議会議員は、「制裁は経済を荒廃させ、人びとの生活基盤を脅かす」「人びとをNATOの戦争と軍需産業の道具として利用している」と激しく反対意見を述べた。その時にドイツの首相シュルツ氏の言葉「ヨーロッパの平和はロシアを叩いて得られるものでない」を紹介した。
私は、その動画をYouTubeで観ながら、第二次世界大戦で多大な犠牲を払い、それを教訓に今までを生きてきた人たちが支えるヨーロッパの国々に期待をしていた。もちろん、平和憲法を持つ日本の国として、日本が武力でなく話し合いで解決をと仲介に動いてくれることを一番に願っていた。しかしいまの自民党政権、とくに2021年安倍政権になってからの自民党政権は軍備に傾き、隣国である朝鮮・中国と仲良くするどころか、何かというとこき下ろすようなことばかりして対立を煽っており、国民もそれになびいているように物言わぬ状況である。悲しいかな憲法9条は統治者によって守られていない。案の定、ウクライナにロシアが侵攻した途端、ロシアが悪い一辺倒になった。戦争に「善」も「悪」もない。それなのにお金や武器を送って支援するという。戦中に生まれ、原爆被害の悲惨さを新聞や大人たちから知らされ、戦後すぐの朝鮮戦争での大人たちの姿を見てきた私には耐えられないことであった。つい、ヨーロッパの国に、とくに日本と同じように戦争の責任と反省を経験したドイツに期待した。
ドイツは、42年前に一年と短い期間ではあったがベルリンで家族で暮らした国だった。障害児教育に携わっていた私は、ナチスヒトラーを生んだ大戦の反省が、障害児教育はじめ教育全般に生かされていることを強く感じ、多くのことを学ばされた。私だけでなく我が家の子どもたちも学ぶことができた(学校でドイツのことだけでなく、日本の植民地支配やアメリカの原爆投下も学んだ)。人びとは街中でも友人たちとも自分たちの国のこと政治で行われていることをよく議論していた。それが当たり前で、議論が白熱しても翌日はまたやあやあと仲良くしていた。障害児者やユダヤ人などの絶滅収容所跡や戦争の記録は保存され一般公開、学習の場となっていた。だから、ウクライナで起きていることをきっとみんなで話し合っているに違いないと思っていた。
ところが驚いたことに、新しく誕生したばかりの政府は、軍事予算の増額とウクライナへの武器支援を打ち出した。ドイツだけでなく、ヨーロッパの他の国・西側諸国が押しなべて同じになった。
私にはわからなかった。たとえロシアが大国で武力を振りかざしても、世界の多くの国々、西側諸国が、待て!と間に入ったならば戦争は続かなかったと思える。「ミンスク合意を履行せよ」と侵攻したプーチンに、戦争を続ける道理はないからだ。
南アフリカ大統領はじめいくつかの国々から停戦の声が上がったが、武器や金品の提供は続き、戦争が長引いた。そして、あのドイツが、事実を知らせ考える報道を見せていたあのドイツが、戦争肯定一色になり、物言う姿も消え失せた。と私に見え、衝撃を受けた。何故、戦争は起きたのか。ずっと考え続けてきた。
7月31日ちきゅう座に、ドイツ在住のグローガー理恵さんの『ウクライナ紛争と対ロシア制裁:ヴォルフガング・ビットウナー博士の論評』が掲載された。
ドイツは生きている! そんな思いですぐ読んだ。
経済制裁におけるロシアからドイツへのガス供給問題に関して、理恵さんの解説もあり、ドイツでの動き、さまざまな意見を知ることができた。ヴォルフガング・ビットウナー博士の論評が全文紹介され、そこでも知ることできた。
彼が所属するペンクラブからの圧力もあるようだが、世界戦争とも言えるこの状況で、公けにご自分の主張を述べたことに敬意を表したい。
政治家や社会を主導する地位にある人びとのひと言は大きい。論評にある法王の言葉は、さらにそうだろう。
日々の生活のために働く人びとにとって、病人や老人、子どもたちを抱える家族にとって、ましてやこの何十年と戦争の惨禍から遠かった人びとにとって、「寒さ」と「飢え」が何を生み出すのか想像に難くない。日本でも生活に何不自由しない人たちがいつも事もなげに軽々しく言う言葉がドイツでもあるのだと知った。
何のための戦争なのか。
戦争で得をするのは誰なのか。
日々炸裂する武器が大気圏内にばらまくCO2や化学物質は問題にしないのか。
人間は思考する動物である。ビットウナー博士のように、私はそうありたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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