関東大震災を忘れない

韓国通信NO704

 前回NO703『ポツダム宣言と玉音放送』の続き、若干の補足である。
 「玉音放送」はマインドコントロールされた日本では「神の声」に聞こえたに違いない。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」は印象に残っても全体の意味は不明。敗戦は国民の努力不足が原因、敗戦の決断を天皇の「大御心」と受けとめた人が多かった。 
 だが冷静に現実を見れば、「玉音」の欺瞞性は明らかだ。「アジア解放のため」と臆面もなく語り、昨日まで「本土決戦」「一億玉砕」を叫んだ反省は微塵もない。勝利の見込みが全くないまま戦争継続を主張したのは天皇と戦争遂行派たちだった。彼らは戦禍に苦しむ国民より国体の維持(天皇制)にこだわった。
 その「こだわり」さえなければ、戦争はもっと早く終わり沖縄の悲劇も広島・長崎の原爆投下もソ連軍の侵攻もなかった。特攻隊の悲劇、南方諸島の悲劇も各地の空襲も生まれなかったと誰もが考える。戦争責任はもっぱら極東裁判に委ねられ、被害者だった植民地・被侵略地の声はもちろん日本国内からの責任追及も免れたまま77年が過ぎた。

 <関東大震災が99周年を迎える>
 9月1日は「防災の日」。関東大震災に触れても、混乱のなかで起きた朝鮮人、社会主義者の虐殺事件には触れずじまいで、NHKは終日、防災訓練報道に明け暮れする。
 震災が起きた翌日、政府は戒厳令を宣告、内務省警保局が「朝鮮人が放火、不逞行為を行う危険性」を通達した。市民は不安を募らせ、流言飛語が飛び交った。7千人に近い犠牲者の大半は朝鮮人だった。当時の日本では朝鮮人や社会主義者たちが恐怖と憎悪の対象だった。容姿や言葉が「おかしい」という理由で殺された中国人、沖縄、秋田、香川出身の一般市民もいた。

 <虐殺事件を繰り返さないために>
 かつて経験したことのないコロナ感染とウクライナ戦争によって生み出された社会不安。経済的弱者の急増と人間の尊厳といのちが軽視され、疑心暗鬼と不信がはびこる世情。メディアへの不信。カルト教団に乗っ取られた情けない政府。一触即発、迫る戦争の危機。「緊急事態条項」をもくろむ政府の発想はファシズム国家を思わせる。世界が「事もなげに崩れてゆく」予感(辺見庸)にあってなお、人々の知と努力に希望を託したい。
 □各地で行われる震災の慰霊行事は理不尽な死への慰霊にとどまらず虐殺が再び起きないことを願い決意をあらたにする日でもある。東京と近県で予定される主な虐殺事件の追悼行事を紹介する。
◎9月1日11時~横網町公園(墨田区) ◎9月3日10時~久保山墓地慰霊碑前(横浜) / 14時30分~荒川河川敷木根川橋下(墨田区) ◎9月4日10時~船橋市営馬込霊園(船橋市) ◎同9月4日 10時30分~逆井橋(江東区)中国受難者追悼 王希天さん追悼 ◎9月10日10時~成道寺(群馬県藤岡市) ◎9月11日14時~高津山観音寺(八千代市) ◎9月3日八坂神社(我孫子駅前) 有志による自由追悼

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