関東大震災と中国人

韓国通信NO709

 
 去る11月12日、栃木県益子の朝露館で林伯耀(リン・ハクヨウ)さんの講演会が開かれた。
 

 
 伯耀さん(写真上)は神戸在住の在日中国人二世。1939年京都丹波生まれ、今日まで在日として抑圧と差別のなかを闘い抜いてこられた。20人余りの参加者たちは2時間を超える穏やかだが熱のこもった話に聞き入った。
 

 
 来年は関東大震災から100年を迎えるが、中国人の虐殺事件についてはあまり語られることはない。
 震災直後の9月2日に戒厳令が布告されると警保局長名で「鮮人は不逞の行動を敢えてせん…(略)…震災を利用して各地に放火し石油を注ぎ放火せる者あり」と根拠のない情報が発信されたため、流言が広がり関東一円が混乱と恐怖に陥った。
 6千人を超す朝鮮人虐殺事件。河合義虎、平沢計七ら10人の活動家の殺害(亀戸事件)。社会主義者大杉栄・伊藤野枝夫妻の殺害(甘粕事件)にくらべると中国人の殺害事件を知る人は少ない。最近になって多くの市民運動家、学者たちの研究によってその実態が次々と明らかになってきた。
 
<中国人虐殺は「誤殺」ではなかった>
 全体で800人を超す中国人虐殺事件。日本政府は実態の露見を恐れ、中国政府の抗議と真相解明の申し入れに対して「朝鮮人と間違えて殺した」と奇妙な釈明をして隠ぺい工作をはかった。公権力は一切かかわりがないと口裏をあわせる閣議決定までした。だが、九死に一生を得た生存者と現場にいた目撃者、元中将遠藤三郎らの証言、政府の秘密資料によって計画的で残忍な殺害事件の実態が見えてきた。
 
 林伯耀さんの話は続く……
 殺害は横浜・川崎の工業地帯と現在の東京都江東区大島(おおじま)地区で集中的に発生した。当時の大島地区には第一次世界大戦後の景気に吸い寄せられように約2千人の中国人労働者が石炭運びなどの力仕事に従事していた。景気が一転して不況に陥ると、政府は「お荷物」となった中国人労働者の帰国を求めるようになり、日本の労働者との間に衝突事件が頻発、中国人排斥運動が起こるなど不穏な社会状況が生れた。一方中国では対華21カ条要求を背景に山東半島の利権問題から国民の不満が高まり5・4運動、反日・排日運動が盛り上がりを見せた時期でもあった。大震災時の朝鮮人虐殺の背景には3・1独立運動とそれに対する弾圧の記憶があった。同様に中国人への恐怖感が警察と軍によって共有されていたことが事件の背景にあったと言われる。
 震災直後の白昼、中国人労働者たちが集められ大島地区は屠場と化した。斬殺、撲殺された約400人の死体は山と積み上げられ石油をかけて焼却され川に流されたと伝えられる。大勢の民間人が殺害に加わったが軍と警察の主導のもとに実行された事実は多くの目撃証言から明らかになっている。偶発的な事件ではなく、誤殺でもなかった。起こるべくして起きた虐殺事件だった。
 
<王希天は何故殺されたか>
 1915年に留学生として来日した王希天は若干19歳の青年だった。悲惨な同胞たちの地位向上にかかわりを持ち、危険人物として監視対象となった。「僑日共済会」の会長としての献身的な教育活動、生活改善、生活扶助活動によって労働者たちに感謝され敬愛された。
 留学生仲間には後に首相となった周恩来、生き延びて「大島事件」の詳細を伝えた王兆澄がいた。山室軍平、賀川豊彦、佐藤貞吉、沖野岩三郎らの支援、堺利彦、大杉栄、山川均らと交流。中国の将来を担う逸材と目されていた。
 日中関係に影響力を持つ人物として日本政府から一目置かれていた彼が、震災から8日過ぎ亀戸にでかけたまま消息を絶った。
 中国政府の問い合わせに政府は「行方不明」と回答、またもや隠ぺいが行われた。後に明らかとなった証言で亀戸警察署に留置後の12日早朝軍隊に連れ出され逆井橋のふもとで背後から日本刀で殺害されたことが判明。享年27歳。
 殺害は明らかに王希天に対する敵愾心から生まれ、口封じが目的だった。
 大震災の直後に平然とふるまった警察と軍の蛮行には唖然とするほかない。「亀戸事件」「大島事件」「王希天事件」は知れば知るほど「知らなかった」で済まされない衝撃的な事件だ。
 
<事実を知った私(たち)にできること>
 今年83才の林伯耀さんは朝鮮人と中国人虐殺への謝罪を求めて運動をしている。政府とそれを支えてきた日本人に対する怒りを隠さない。差別が温存されている現実社会にも注目する。思わず名古屋入管で亡くなったスリランカのウシュマさんを思い出した。
 二つの震災と三つの侵略戦争を「つぎつぎに なりゆく いきほい」(丸山真男『歴史意識の古層』」。何事もなりゆきまかせにする日本社会のゆくえが心配だ。かつて周恩来が語った「賠償を求めない。日本の人民もわが国の人民と同じく日本の軍国主義者の犠牲者だ」という言葉を私たちは都合よく安易に理解してはいないだろうか。習近平主席と握手をする際、歴史を知るなら首相として言うべき言葉があったはずだ。
 
 『関東大震災と中国人虐殺事件』(今井清一著)、『関東大震災と中国人』(田原洋著)、『関東大震災中国人虐殺』岩波ブックレットNO217(仁木ふみ子著)、林伯耀講述『死者の恨・生者の恥辱』(日中草の根交流会発行)の一読をおすすめしたい。仁木さんは教員をするかたわら虐殺の真相をたんねんに調べあげ、フィールドワークを通して犠牲者の家族の救済活動をした活動家としても知られる。中国とどう向き合うべきか考えさせる好著だ。
 林伯耀さんは来年9月1日に国会前で大集会を計画している。日本社会に活(喝)をいれようと全国を駆けめぐる多忙な毎日を送る。無念の死を遂げた王希天の魂がまるで林さんに乗り移ったかに思える先輩の活動に頭が下がった。
 
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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