元旦の新聞に、天皇・皇后の短歌が載らなくなって、私は、正直言ってほっとしている。平成期の天皇・皇后は、必ず、天皇五首、皇后三首の短歌が掲載されていたのである。
平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成2~30年
https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.html
代が替わり、コロナ禍と重なったこともあって、元旦の天皇家の集合写真は、家族ごとの写真となり、宮内庁のホームぺージでは、何葉もの写真が掲載されるようになった。さらに、平成期と令和期の違いとして、少しく話題になったのは、二〇二一年と二〇二二年には「新年ビデオメッセージ」として、天皇は皇后と並び、「おことば」を述べたことだった。皇后もひと言ふた言の挨拶をした後、隣で、にこやかにうなづいたりするビデオが流されたのである。夫妻ともどもビデオに収まるのが<令和流>と、一部で、もてはやされもしたが、今年は、どうしたことか、文字だけの「天皇陛下のご感想(新年に当たり)」と元に戻った形である。
そして、その二〇二三年のメッセージ冒頭に「昨年も、地震や台風、大雪などの自然災害が各地で発生したほか、新型コロナウイルス感染症が引き続き社会に大きな影響を与えた年になりました。また、物価の高騰なども加わり、皆さんには、御苦労も多かったことと思います。」のくだりを受けて、「令和の徳仁天皇は『家庭天皇』 専門家たちを驚かせた天皇の“お言葉”」という記事が現れたのである。その冒頭は、「驚いたのは、『物価の高騰』という言葉が、入っていた点でした。まさに『家庭天皇』です」という、象徴天皇制の研究者、名古屋大学の河西準教授の発言だった(AERAdot 2023年1月14日)。「家庭天皇」?驚いた「専門家」! 驚いたのは私の方だった。
これまでも、天皇家では衣裳やティアラを使いまわしをしているとか、皇族の「お出まし」の折のティアラはつけないことにしたとか、その<倹約ぶり>が喧伝されたことはあったが、「おことば」が「物価高騰」に触れたからと言って、何が変わるというのか、私には理解できないでいる。8月15日の戦没者追悼の「おことば」に「反省」が盛り込まれたかを云々するむなしさに共通するのではないか。
宮内庁は、新年度予算に向けて、かねてから検討していたようだが、昨年12月23日、SNSの発信などによる情報発信を強化するため、今年四月から広報室を新設すると発表した。 たしかに、平成期と比べて、皇室のメデイアへの登場、露出度は低くなり、コロナ禍により、皇族の活動も激減した。宮内庁は、一部メディアのゴシップや中傷に悩まされた上、国民の皇室自体への関心が薄れてゆくことに危機を感じているのも確かであろう。しかし、私の知る限り、天皇は、時の政治権力と利用・利用される関係の存在でしかないのではないか。現憲法下という制約の中で、天皇や皇室の在り方を考えるとき、私は、なるべく、ひそやかに、つつましく、暮らしてもらうしかないと思っている。跡継ぎがいなければいないでよいではないか。
新設の広報室には、せめて、”電通“が入ったりしなければいいがと願う。
初出:「内野光子のブログ」2023.1.17より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/01/post-15c347.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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