世界のノンフィクション秀作を読む(19) アンネ・フランクの『アンネの日記』――隠れ家で逼塞する日々を瑞々しく活写(上)

 本作はユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによる日記ふうの文学作品だ。第二次世界大戦中のドイツによる占領下のオランダ・アムステルダムが舞台。ナチスの手によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるため、咳もできないほど息をひそめて隠れ家で暮らす八人のユダヤ人たちの日々を活写する。私は一読、強く胸を打たれた。
 執筆は密告(密告者は未だに不明)によりナチスのゲシュタボに捕まるまでの約二年間(1942年6月12日~44年8月1日)に及んだ。アンネの死後、生き残った父オットー・フランクの尽力により出版され、世界的ベストセラーとなった。文春文庫(増補新訂版、深町真理子:訳)を基に、580頁余の大冊のあらましを私なりに紹介したい。

 1942年6月12日 あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを、何もかもお話できそう。どうか私のために、大きな心の支えと慰めになって下さいね。
 6月14日(日) あなたを手に入れるまでの経緯から。一昨12日は私のお誕生日。居間で贈り物の包みを開けたら、真っ先に出てきたのがあなた(日記帳を指す)でした。
 6月15日(月) 昨日午後、お誕生日パーティーを開きました。リンチンチンの出て来る映画を見せてあげたら、学校のお友達はとても喜んでくれました。みんなから、またブローチを二つと、本に挟む栞、それに本を二冊もらいました。
 6月20日(土) 私のような女の子が日記をつけるなんて、妙な思いつきです。十三歳の女子中学生なんかが心の内をぶちまけたものに、それほど興味を持つとは思えませんから。でも、構いません。私は心の底に埋もれているものを、洗いざらい曝け出したいんです。
 一先ず私の生い立ちから。私のパパ、世界一素晴らしいパパは三十六の時にママと結婚し、ママはその時二十五。姉のマルゴーは1926年に生まれ、三年後に私が誕生。私たちはユダヤ人なので33年にフランクフルトを離れ、オランダに移住。パパはジャムを製造している商会の社長になりました。40年5月からは、事態は悪化の一途。まず戦争、それから降伏、続いてドイツ軍の進駐。私たちユダヤ人にとって、苦難の時代が始まったのはこの時から。

 ユダヤ人弾圧のための法令が連発され、私たちの自由はどんどん制限されていきます。ユダヤ人は黄色い星印を付けなくてはいけない(他民族と区別するための措置)、自転車供出命令、電車乗車の禁止、ユダヤ人の買い物は午後3~5時に制限、夜8時~翌朝6時は家から一歩も出てはいけない。劇場や映画館、その他の娯楽施設、一切のスポーツ施設への立ち入り禁止等々、禁令が山ほどあり、全てが、これはダメ、あれはいけないという有様。
 <学校生活> 6月21日(日) 私は(ユダヤ人中学校の)どの先生にも可愛がられています。先生は全部で九人、男の先生が七人、女の先生が二人。ケーシング先生はお年寄りの男の先生で、数学の担任。私がおしゃべりをし過ぎるというので御機嫌を損ね、「おしゃべり屋」という題で作文を書いてくるよう言いつかり、さて何て書いたらいいもんやらと困惑。後はなるべくおしゃべりを慎むように努めました。
 7月1日(水) (男生徒の)ヘローとはこの一週間ですっかり親しくなり、いろいろ聞かせてもらいました。彼が私に夢中になってるのは、見え見え。でも、ヘローはただのお友達か、精々のところ、ママお得意の表現で言う、私の“騎士”でしかないんですから。
 7月5日(日) 先週金曜、試験の成績発表。私の通知表は予想以上。決して悪くありません。一つだけ、代数で五点を取ったのが不満と言えば不満ですけど、残りは殆ど七点で、他に二課目が八点、二課目が六点。勿論、うちの人達は喜んでくれました。姉のマルゴーはいつものように素晴らしい成績。すっごく頭がいいんです!

 <隠れ家へ> 7月8日(水) 日曜の朝から今迄に何年も経ったような気がします。SS(ナチス親衛隊)からパパに呼び出し状が来て、大きなショック。強制収容所とか、寂しい牢獄、そんな情景が頭を駆け巡ります。そんな恐ろしい運命にパパを委ねられますか。翌日、私たちは肌着や衣類をどっさり着込み、サマーコートを羽織り、編み上げのブーツを履き、朝七時半にそっと家を出ました。ここを逃れ、後はどこか安全な処へ辿り着くだけ。
 7月9日(木) 私たちは降りしきる雨の中、歩いて行きました。手には通学鞄やらショッピング・バッグだの。通りかかる出勤の人々は、気の毒そうな目で見ています。嫌でも目に付くどぎつい黄色の星、それが自ずから事情を物語っているのです。私たちの新しい隠れ家は何と、パパの事務所のある四階建ての建物の中。パパの会社では四人(ユダヤ人ばかり)の人たちが働いていて、いずれも私たち一家が来ることを知らされていました。
 件の建物の一階は大きな倉庫になっていて、ここを店舗として使用。さらに小さく仕切られ、粉挽き部屋や貯蔵室、ベランダなどに充当。三階の階段踊り場が私たちの<隠れ家>に通じる入り口。質素なドアの向こうに、なんと沢山の部屋が隠れているとは驚きです。

 7月10日(金) 私たちが隠れ家に到着。見回すと、どの部屋も乱雑に散らかり、信じられないほど。二日がかりで何とか片付け、てんてこ舞い。ベップとミープは私達に代わって配給物を取って来てくれ、パパは灯火管制の暗幕を少しは益しに直してくれました。
 7月11日(土) この家の右側にはケフ商会の支店が、左側には家具工場があります。勤務時間が過ぎれば誰もいなくなりますが、それにしても音というのは壁を伝わるものです。マルゴーは酷い風邪をひいているのに、夜中に咳をしてはいけないと言い渡され、咳止めの薬を沢山飲まされる羽目になりました。絶対に外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。でも見つかって、銃殺されるっていうのも、やはりとても恐ろしい。こういう見通しが嬉しいものじゃないのは勿論のことです。
 <ファン・ダーン一家> 8月14日(金) 朝九時半、ファン・ダーン一家の独り息子ペーターがやって来ました。もうじき十六ですけど、ちょっぴりぐずで、はにかみ屋で、ぶきっちょな子。三十分ほど遅れて、小父さんと小母さんが到着。その日から、両方の家族が揃って食卓を囲むことになり、三日も経つと七人が一つの大家族のようになりました。
 9月21日(月) ファン・ダーンの小父さんは近頃、やたらに私をちやほやしてくれます。まあ、こちらは至極当然といった顔で、冷静に受け流すようにしていますけど。

 (注)ここで日付は半年余り先へ飛ぶ。密室での固定されたメンバーによる息の詰まるような日々。アンネの筆致もとかくとげとげしくなり、批判の矛先は同性の母親やファン・ダーンの小母さんに向かいがち。正直、紹介しようという意欲は薄れる。変化と言えば、11月10日付での「八人目の住人」歯医者のデュッセルさん(もの静かで上品の由)の出現。
 <苦しくなった生活> 1943年4月27日(火) 家中が家鳴り震動するような、凄い喧嘩続きです。ママと私、パパとファン・ダーンさん、ママとファン・ダーンの小母さん――みんながみんな、他の誰かの事を怒っています。素敵な雰囲気でしょう? いつものアンネの棚卸しリストが、又もや持ち出され、すっかり虫干しされました。
 カールトン・ホテルが木っ端微塵になりました。焼夷弾を満載した英軍機が二機、このホテルにあるドイツ軍の“将校クラブ”の真上に落ちたんです。辺り一帯は、完全に焼け野原になっているそうです。空襲は日ごとに激しさを増し、一晩として静かな夜はありません。
 5月1日(土) 夕べは市内でしきりに銃声が轟き、慌てて身の回りの品を纏めること、一晩で四度。現在オランダ各地で労働者のストが頻発し、国民全体がそれに対する報復を受けているのです。戒厳令が布告され、全国民がバターの配給切符を一枚ずつ減らされました。なんて意地悪な、子供っぽい遣り口でしょう。

 5月2日(日) 以下は<隠れ家>の人たちの戦争に対する態度です。ファン・ダーンの小父さん:みんなに警告して曰く「今年末まで、この家で人目を忍んで暮らすしかないだろう」/ファン・ダーンの小母さん:途方もない戯言ばかり喋り散らし、みんなは丸っ切り無視。/パパ:偉大なる楽観主義者/デュッセルさん:何でも好き勝手にでっち上げるばかり。
 5月18日(火) めっきり暖かくなりましたが、ここでは未だ一日置きに火を焚いています。野菜の屑や皮などを焼くためです。ゴミ箱には絶対に捨てられません。どんな時にも、倉庫の人たちを念頭に置いとく必要がありますから。ゴミを捨てるといった些細な不注意でも、容易く尻尾を攫まれかねないんです。
 <躾けの問題> 7月11日(日) ベップがマルゴーと私に、事務所の仕事を色々手伝わせてくれます。何だか偉くなったような気がし、ベップも大助かりのよう。ミープは荷駄を運ぶラバみたいに、忙しく使い走りをしてくれます。毎日のような野菜の買い入れのほか、土曜日には図書館から本を借りてきてくれるので、みんなはその日を待ち焦がれています。
 7月16日(金) また泥棒騒ぎ――今度は本物! ペーターが七時に下に降り、ドアが少し空いてるのを発見。昼近く、クレイマンさんが来てくれ、一切が判明します。泥棒はかなてこで入り口のドアをこじ開け、侵入。二階の事務所を荒らし、金庫二つを盗んでいったとか。被害は40ギルダーの現金・郵便為替・小切手帳に砂糖150㌔分もの配給切符。

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