「雨の神宮外苑~学徒出陣56年目の証言」(2000年)
サブタイトルに「56年目の証言」とあるように、2000年8月の放映であった。雨の神宮外苑の学徒出陣のシーンは断片的には見ていたが、番組は、今回初めてである。新しく見つけたフィルムは15分で、それまでのニュース映像の約3倍ほどもあったという。行進中の学生のクローズアップや観客席に動員されていた学生、女子学生に、陸軍戸山学校の軍楽隊の様子まで撮影されていた。学生の表情からは、悲壮な覚悟が伺われ、ぎっしり埋まった観客席の俯瞰は、北朝鮮のイベント映像を見るようであった。
1943年10月21日、文部省主催の「出陣学徒壮行会」に参加した。学生は、77校から2万5000人といわれ、5万人の観衆が動員され、多くの制服の女子学生たちも観客席から声援を送った。番組に登場する証言者の十人近くみなが70代後半で、見送った側の3人の女性は、70代前半だった。
証言するほとんどの人が、あたらしいフィルムを見て、あらためてマイクの前で、当時の自分の気持ちと現在の思いをどう表現したらいいのかを戸惑いながら、語る言葉の一つ一つが、重苦しく思えるのだった。生きては帰れないという怖れ、時代の流れには抗することができない諦め、地獄のような戦場の惨状・・・複雑な思いが交錯しているかのようだった。
また、同盟通信社の記者だった人は、東条英機首相が、学徒出陣に踏み切った理由として、二つの理由を挙げていた。一つは、学生への兵役猶予の見直しの必要性であったし、一つは、当時は大学生といえばエリートで、富裕層の子弟にも兵役についてもらうことによって、下層家庭からの不満を解消し「上下一体」となることであったという。
ただ、多くの証言の中で、この番組でもっとも言いたかったことは何だったのだろう。私には疑問だった。証言者の中で、語る頻度が一番多く、番組の大きな底流をなすように編集されていた、志垣民郎という人の証言だった。彼はよどみなく、戦争は始まってしまったのだから、国民の一人として国に協力するのは当然なことで、大学でも、自分たちだけ勉強していていいのかの思いは強く、戦争に反対したり、逃げたりする者はいなかった・・・と語るのだった。この人、戦後は、どこかの経営者にでもなった人かな、の雰囲気を持つ人であった。どこかで聞いたことのあるような名前・・・。番組終了後、調べてみてびっくりする。復員後、文部省に入り、吉田茂内閣時の1952年、なんと総理大臣官房内閣調査室(現内閣情報調査室)を立ち上げたメンバーの一人だったのである。1978年退官まで、内調一筋で、警備会社アルソックの会長を務めた人でもある。2020年5月97歳で亡くなるが、その前年『内閣調査室秘録―戦後思想を動かした男』(志垣民郎著 岸俊光編 文春新書 )を出版、敗戦後は左翼知識人批判に始まり、学者・研究者を委託研究の名のもとに左翼化を阻止したという始終を描く生々しい記録である。番組での発言にも合点がいったのである。
もうひとり、作家の杉本苑子も出演していて、動員されて参加したのだったが、学生が入場するゲイト附近で、なだれを打って声援をした思い出を語っていた。当時は許される振る舞いではなかったものの、気持ちが高ぶっての行動だったが、学徒へのはなむけにはなったと思いますよ、といささか興奮気味で話していた。が、彼女を登場させたことの意図が不明なままであった。
そして、エンドロールを見て、また驚くのだが、制作には永田浩三、長井暁の両氏がかかわっていた。二人は、2001年1月29日から4回放映されたETV特集「戦争をどう裁くか」の「問われる戦時性暴力」への露骨な政治介入の矢面に立つことになる。さらに、その後の二人の歩み、そして現在を思うと複雑な思いがよぎるのだった。
8月も半ばを過ぎた。その他『玉砕』(2010年)、『届かなかった手紙』(2018 年)などの旧作も見た。今年も<昭和天皇もの>が一本あったが、まだ見ていない。平和への願いを、次代に引き継ぐことは大切だ。でも、過去を振り返り、そこにさまざまな悲劇や苦悩を掘り起こし、悔恨、反省があったとしても、現在の状況の中で、いまの自分たちがなすべき方向性が示されなければ、8月15日の天皇や首相の言葉のように、むなしいではないか。表現の自由がともかく保障されている中で、NHKは、ほんとうに伝えるべき事実を伝えているのか。他のメディアにも言えることなのだが。近々では、統一教会然り、ジャニーズ然り・・・。
初出:「内野光子のブログ」2023.8.19より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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