6月、米財務省はミャンマーの、国営の貿易決済銀行2行(MFTBとMCIB)に対する制裁を発動し、国営企業が海外口座を通じて国際金融システムにアクセスし、そこから軍事政権への資金を引き出すことを抑えこみ、かつロシアからの軍事物資輸入に際しての国際決済を制限せしめる措置をとった。アメリカのこの厳しい金融制裁にミンアウンフライン軍事政権は大きなダメージを受けたが、それだけにとどまらなかった。天然ガス収入の逓減(2030年には資源枯渇と予想)、外国投資の激減、国内産業の不振のうえに、激化する内戦のための軍事支出(武器や装備品、兵器部品)の増大、石油製品の需要増大、コロナ後の輸入食用油(ココナツオイル)などの食品の需要増大等のために、それらの輸入に必要な外貨(ドル)の決定的不足に陥っている。このため通常ではありえない珍妙な手を打って、デフォルト回避、サバイバルに必死である。
まずミンアウンフライン最高司令官は、金融対策(!?)の第一弾として側近の軍高官を中央銀行に送り込んだ。経済合理性にいくらかでも固執する可能性のある金融専門家を制し、軍の財布代わりに中央銀行を徹底利用しようというのである――顧れば、歳入不足を補うため軍政を通じて紙幣増刷は一貫した「経済対策」であり、インフレ基調は常態であった。
さらに政府へドルを取り込むべく、国内企業や個人が受け取ったドルをただちに地元通貨であるチャットに強制両替すること―しかも実勢レートではではなく、政権が勝手に決めた公的為替レートでーを義務付けた。9月の時点で、市場のレートは1米ドル=3300チャットであるが、公式レートは2100チャットでしかない。1米ドル換金するごとに、約0.4ドルを政府が吸い上げる仕組みなのである。闇で実勢レートで換金した両替商は、たちまち監獄行きとなった。しかしこのため企業家は貿易決済に必要なドルを確保できないために、ビジネスは縮小、結局は租税収入も減少する結果になり政府の歳入は収縮。要は目前の弥縫策のために大元の経済成長が犠牲になるという始末で、この国の経済発展を阻害してきた武士の商法ここに極まれりである。
しかしそれでも焼け石に水ということで、軍事政権は奇想天外、驚天動地の対策を次々と思いつく。産業界ビジネス界を支配する軍系のコングロマリット(ミャンマー版オルガルヒ)であるが、かれらが独占的に生産販売する酒類やたばこ類―かつては軍のドル箱であった―は、クーデタ以後不買運動にあって不振をかこっていた。それで軍は小売店やレストランを一軒一軒を回って銃を突きつけ、なぜ「ミャンマービール」を売らないのか、命が惜しくないのか、監獄に行きたいのか、と脅しつけて販売促進しようとした。軍の商品には絶対手を出さないと国民挙げて決めているので、店先に商品を陳列しようがだれも買わない。「馬を川岸まで連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」という、かつての宗主国英国のことわざどおりの事態になっているのである。
権力に酔いしれた将軍たちが、銃口を突きつけてミャンマービールを飲ませる。TigerやABCは他社のビール名
さらに極めつけは、9月から施行されている改正税法であるが、これにより在外出稼ぎ者へ高率の税金が課されることになった。クーデタ以後国内産業は育たず、縫製業以外大量の外貨を稼ぎだすものはない。それでフィリピンにならってか、海外への移民労働を国策として推進拡大しよう、そして彼ら彼女らから収入の5~25%を所得税として徴収しようということになった。新税制では、年収500万~1,000万チャットの人には5%、1,000万~2,000万チャットの人には10%、2,000万~3,000万チャットの人には15%、3,000万チャットを超える人には25%の所得税が課せられる。いま1円=15チャットとすれば、3000万チャット=175万円である。日本で働いているミャンマー人の年収は、ほぼ200万円を下ることはないと思われるので、ほとんどすべてのミャンマー人は粗収入の25%を軍事政権に差し出さなければならないことになる。また本国の家族への送金は、政府の指定する銀行システムを通じて行わなければならないとすると、例によって公定レート換算になるので、そこでも目減りして収奪されることになる。
タイで働くミャンマー人は500万人といわれており、政府の徴税新政策は彼らにパニックを引き起こしている。納税を拒めば、現行の労働許可証が切れた後3年間は海外労働が不可となる。内戦の激化によってかなりの敗北を喫している軍事政権が、かつての軍事評議会(SPDC)やテインセイン政権と同程度の権威と実力をもって法を施行するとは思えないが、新法がどの程度浸透するかで、今後の内戦の行方をかなりの程度占えるであろう。
この件でひとつ思い出したことがある。自宅軟禁を解かれ、NLDが合法化された2013年4月、27年ぶりでアウンサンスーチー女史は来日した。在日のミャンマー人たちは彼女を熱狂して迎え、大きな対話集会を開催した。そのとき彼女に対する質問に、「在日のミャンマー人は、政府に(人頭税として)一律に税金を取られているが、これは今後も払い続けるべきなのか」というのがあった。うろ覚えであるが、スーチー女史は「納税は国民の義務だから、払うのは仕方のないことだ」というように答えたと思う。私は民主主義のアイコン(偶像)とされた女史のこの答えにがっかりした。女史はパトリック・ヘンリーの「代表なくして、課税なし」という有名なことばを知らないのだろうかと、疑問が湧いた。ミャンマーには軍事独裁が半世紀以上も続き、議会に代表を送るどころが、少しの異議申し立ても許されない圧政のもとに国民は呻吟した。税金は軍部と彼らのクローニー(政商)で山分けされるか、軍備に費やされるだけで民生のために使われたためしはない。スーチー女史はまず民主主義のプリンシプルを説くべきであったのだ。
ミャンマーの若者たちに必要なのは、プラグマチックな処世としての術をベースで支える原理なのである。自分たちの代表がいないところで、決められたことには責任を共有することはできない。税金が欲しいなら、議会を開けという声を上げよう云々、そういう答えが欲しかったところである。
<不屈の闘いは続く>
ミャンマー北西部のザガイン管区は依然として軍事政権への抵抗の拠点となっている。空軍の激しい空爆や地上部隊の砲撃や焦土作戦にさらされながらも、屈することなく武装闘争を継続している。しかも特筆すべきは、ザガインの農民たちは、再び非暴力の抗議活動も行っていると、「ラジオ・フリー・アジア」10/17は伝えている。革命を成功させるためには、軍事闘争だけでなく、同時に政治・社会闘争にも
10月14日、ミャンマー北西部サガイン地方サリンギ県レトパダウンの町で、ミャンマー政府に対する抗議デモを行う住民たち。軍の空爆で大量の犠牲者を出したカチン州のライザ人民への連帯を表す横断幕
取り組まなければならない。どうして僻村のザガイン地方で抵抗運動が盛んになったのか、この点はこれからのアジアの抵抗運動の在り方を考えるとき、どうしても解明しておきたいことである。ひとつヒントになるのは、レッパダウン銅山に反対した農民運動である。2012年、中国国営の軍需企業とミャンマー国軍傘下のウーパイとのジョイント・ヴェンチャーによる銅山開発に、26か村の農民が死者を出しながらも反対運動を展開、最後にはアウンサンスーチーの裁定により押し切られた。当時民主主義のアイコンとして名声の絶頂にあったスーチー女史に対し、農民たちはここから出ていけと怒号を浴びせたのである。当時私は農民たちの権威に屈しない勇気に感銘を受けたことを憶えている。
現在、中国は銅山開発を拡大させるべく動いているが、鉱石の露天掘りがいかにすさまじい大規模な環境破壊をもたらすのか、見るものはあっけにとられて一語も発することができないほどである。利益を得たのは中国企業と国軍企業だけだったということからも、「一帯一路」をふくめ中国式開発は要注意なのである。ともかくレッパダウンの農民たちは、自分たちは豊かに暮らしていて、どこやらの国や企業がつくる工業団地に故郷を離れていく必要がないのだ、頭ごなしの開発はごめんだと、堂々と言ってのけた。ザガイン農民の抵抗精神は、村落の豊かな暮らしと、農民たちの共同生活のなかでの結束の強さにその秘密があると感じる。
2016年5月、レッパダウン銅採掘プロジェクトに抗議する地元農民たち。/ The Irrawaddy
ラジオ・フリー・アジアによれば、モニワ人民ストライキ委員会のメンバーであるカントワイピョー氏は、民衆運動を復活させるため、10月1日、各町村の抗議団体が地域委員会を結成し、市民デモ行進をよりよく調整するようになったという。「武装できる人の数は限られていますが、一方で軍事独裁政権をまったく受け入れない人が大多数です。したがって大多数の国民ができる活動、つまり軍部を受け入れないことを示す(平和的)活動に、国民が参加しているのです」として、現在40もの抵抗グループが町村レベルで結成されたという。NLD政府のサガイン管区カンバル郡区選出の議員であったナイジンラット氏の語るところでは、「サガイン地方の人々は、軍による弾圧が続く中、自暴自棄になって行動しているのではなく、むしろ強い意志を持って反撃している」という。外国からの軍事援助が皆無ななか、手作りの鉄砲から始まったザガインの武装闘争が発展し、軍事だけでなく地域独自の行政機関を打ち立て、民生の充実に乗り出しているところに我々は大いなる希望を見るのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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