独立宣言から48年目
1975年11月28日、迫りくるインドネシア軍の大侵略を前にして、フレテリン(東チモール独立革命戦線)が「東チモール民主共和国」の独立を宣言しました。しかし1975年12月7日、インドネシア軍はアメリカのホワイトハウスのお墨付きを得たうえで(あるいは与えられたうえで)東チモールの全面侵略を開始しました。インドネシア軍が東チモールから撤退したのは1999年10月末日、その間の24年間、東チモールはポルトガルからの独立を妨害されたわけです。インドネシア軍撤退後、2年半の国連暫定統治を経て、2002年5月20日、東チモールは独立を回復(実現)しました。東チモールでは、「11月28日」は「独立宣言の日」、「5月20日」は「独立回復の日」として国民の祝日となっています。独立宣言から48年目を迎えました。
投資家を招く行事と「独立宣言の日」
去年はジョゼ=ラモス=オルタ大統領が出席する「独立宣言の日」の式典はマナトゥトゥ地方で開催され、タウル=マタン=ルアク首相(当時)はオイクシで祝うなど、地方分散型で祝われました。そして去年は偶然にこの時期にちょうどサッカーのワールド杯が開催されていたことから、首都デリ(Dili、ディリ)での「独立宣言の日」の盛り上がりがもっていかれた観がありました。
今年はガラリと様相は一変しました。7月に発足したシャナナ=グズマン率いる第九次立憲政府は、「独立宣言の日」の前夜祭ともいえる「ビジネスフォーラム」(11月23~25日)で首都を賑わせたのです。「ビジネスフォーラム」に招待された投資家・実業家(主に中国から)を迎え入れるための飾りつけによって首都の中心部が彩られました。
「ビジネスフォーラム」の他にも、大統領府の敷地内に新たに完成した子ども用プール(中国の会社が工事を担当)の完成を祝ったり、デリ埠頭が野外コンサートの会場になったり、山車をひいて歩くカーニバル大会などなど、海外投資家に東チモールを知ってもらう誘致活動が「独立宣言の日」の前夜祭として活発に展開されました。
したがって今年の「独立宣言の日」は、2か月前の9月にシャナナ首相の率いる中国訪問団が習近平国家主席との会談に臨み、中国からの投資を惹き寄せようとする行動の延長線上に組み込まれたような感じがします。
大切にしたい「独立宣言の日」
海外からの投資を呼びかけるお祭り行事を「独立宣言の日」前にもってくるのは、歴史的な記念日を盛り上げる行為として肯定的に受け止めることはできます。しかしそれは、歴史をしっかり自分たちで受け止めて、その歴史を海外に発信する行為につながっていればの話です。残念ながら今回の場合、海外からの投資を呼びかける大々的なお祭り行事は、「独立宣言の日」の歴史的要素を薄める効果をもたらしたようです。
首都の町並みを飾るのは、「ビジネスフォーラム」を宣伝する華やかな横断幕の他に、あちらこちらで立てられた「独立宣言の日」を祝う大看板です。その大看板の写真に残念ながら作為的な歴史解釈が感じられます。海外からの投資を呼び込む行事で盛り上がろうじゃないか、「独立宣言の日」の歴史はさておいて、という意図が感じられます。海外からの投資は大切ですが、「独立宣言の日」は歴史を改めて見つめ直そうとする国民的行事であるべきで、ビジネスに吞まれてはいけません。
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「ビジネスフォーラム」の横断幕。美しい東チモールの絶景がよく撮れている。
2023年11月21日、ⒸAoyama Morito.
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「ビジネスフォーラム」の横断幕。華麗な写真とは裏腹に首都の路上はゴミで溢れている。シャナナ政権は足元の問題をよく見てほしい。
2023年11月21日、ⒸAoyama Morito.
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「ビジネスフォーラム」の横断幕にちゃっかりシャナナがモデルとなっている。庶民派の指導者である演出に余念がない。
2023年11月21日、ⒸAoyama Morito.
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枠から外されたマリ=アルカテリ
さて「独立宣言の日」を祝う大看板の写真に感じられる作為的な歴史解釈とはどういうことかというと、独立宣言をするフレテリンの集合写真のなかにフレテリンの現指導者であるマリ=アルカテリが外されているのです。
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問題の看板。左上の集合写真に注目。左端はニコラウ=ロバト、その左にマリ=アルカテリが本当は立っているのだが切られている。看板中央の二人は当時のシャナナ=グズマンとラモス=オルタ。ちなみに左下はCNRM(マウベレ抵抗評議会)時代の写真。左がシャナナ、中央がマウ=フヌ、右がマウ=フドゥ。1989年の写真である。
2023年11月22日、ⒸAoyama Morito.
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看板は複数の写真で構成されており、中心は軍服姿のシャナナ=グズマンとラモス=オルタです。当時この二人もフレテリンであったし、現役の首相と大統領ですから、この二人を中心にもってくるのは、まあ、いいでしょう。独立宣言者である当時のフレテリン党首であったフランシスコ=シャビエル=ド=アマラルを中心とするフレテリン幹部の集合写真が隅っこに追いやられているのも、フレテリンとあい対する関係にあるCNRT(東チモール再建国民会議)を与党とするシャナナ政権のもとでは、まあまあ、許される政治的作為かもしれません。しかしながら、フレテリン幹部の集合写真のなかにいるマリ=アルカテリが外されるような枠を組むのは、許容範囲から外れる政治的な作為といわれても仕方ありません。マリ=アルカテリは野党の指導者であり好ましくない人物だから、「独立宣言の日」を祝う看板には入らないようにしてしまえという意図があるとしたら、もはや悪意です。独立宣言をして気勢を上げる当時のフレテリン幹部の一人にマリ=アルカテリがいたのは、好むと好まざるとにかかわらず、歴史的事実です。
当然、このことにかんしてフレテリンから11月21日の国会で疑問と嘆きの声があがりました。与党CNRT(東チモール再建国民会議)の議員でさえも、どうしてこういうことになったか調査が必要だと述べました。これにたいし政府・行政省の「独立宣言の日」記念実行委員会は、政治的な作為はない、公にとくにマリ=アルカテリにお詫びをする、という謝罪のコメントを出しました(『東チモールの声』、2023年11月22日)。
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『東チモールの声』(2023年11月22日)より。
「アルカテリを切り外す。行政省は祖国の英雄に敬意を払わず。CNRT:調査が必要」(見出し)。
「行政省は祖国の英雄に敬意を払わない。なぜなら『11月28日』の横断幕や招待状にフレテリンの書記長であるマリ=アルカテリが、故・ニコラウ=ロバトなどと一緒に立っていた写真から外れているからである」(小見出し)。
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政府の「独立宣言の日」記念実行委員会は政治的な作為はないといいます。わざとではなく不注意だったのかもしれません。去年の「独立宣言の日」を祝う会社が立てた看板も、独立宣言をするフレテリンの集合写真にマリ=アルカテリが外されていました。これも作為ではなく、なんとなくそうなったのかもしれません。しかし政府が結果としてそのような看板を立てるのは、たとえ偶然・不注意だったとしても、責任が問われ、CNRTの議員がいうように調査が必要な事態となります。
その後、「ビジネスフォーラム」を宣伝する横断幕と一緒に飾られた「独立宣言の日」を祝う横断幕では、フレテリンの集合写真にマリ=アルカテリが戻りました。政府の「独立宣言の日」記念実行委員会は反省したのだな……と思ったのも束の間、「ビジネスフォーラム」が終わった後に立てられた「独立宣言の日」の看板は批判を受けた同じものが使われていたのです。「独立宣言の日」記念実行委員会の謝罪は嘘だったのでしょうか。
もしこの看板問題が政治的な作為によるものだったとしたら、危険な兆候です。歴史を再評価するのはおおいに結構ですが、歴史を自分の都合のいいようなイメージに操作しようとするべきではありません。その先には民主主義の否定が待っているからです。
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マリ=アルカテリが〝復活〟したフレテリン集合写真の載る横断幕。左上の集合写真の左端にマリ=アルカテリが立っている(ちょっと見えにくいが)。行政省の反省は本当で、たんなる不注意だったのかと思ったが……。
2023年11月26日、ⒸAoyama Morito.
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コルメラ交差点にある交番の上の看板。「ビジネスフォーラム」が終わった後(つまり行政省が反省した後)に立てられた看板は批判されたものと同じであった。行政省の反省はどこに。はなっから意図的だったのか。
2023年11月26日、ⒸAoyama Morito.
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「独立宣言の日」を祝う新聞広告にも広告主によってマリ=アルカテリが外れているのもある。ちなみにこれは『チモールポスト』(2023年11月27日)に載ったキューバ大使館によるもの。「独立宣言48周年記念をお祝い申し上げます」とある。しっかりとマリ=アルカテリ(左端の人物)が入っている。マリ=アルカテリはシャナナと対峙する現役の指導者なので、この写真を取り扱う場合は枠取りを慎重に。
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青山森人の東チモールだより 第502号(2023年11月29日)より
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13405:231130〕