市河晴子(1896~1943)の『エジプトの驚異――ピラミッドに登る』<紀行文集『欧米の隅々』(素粒社刊)から抜粋>
――稀代の文章家の自由闊達で躍動感あふれる才筆(上)
筆者、市河晴子は英語学者・市河三喜の妻で、かの才人・渋沢栄一の孫に当たる人。血筋なのか、才覚に優れ、知る人ぞ知る類稀な名文家だ。夫に同行した欧米視察の旅から『欧米の隅々』(1933)が、日中戦争勃発後に民間外交を託され単身渡米した経験からは『米国の旅・日本の旅』(1940)が誕生し、共に英訳もされて評判を呼んだ。稀代の名文なるが故、今回に限り要約は避け、原文そのまま(但し表記は改め、段落を施した)で紹介する。
「エジプトの驚異」(『欧米の隅々』所収)
◇ピラミッドに登る
それから郊外のピラミッド見物に行く。まずナイルの本流を渡るが、音にのみ聞いて想像していたのから見ると、五分の一にも足りぬ濁流だ。橋を越えてギゼーに向って車を走らせる。ちょうど十月で、ナイルの毎年定期の洪水は引き口に向ったところで常々は綿や、玉蜀黍の畑だろうと思う土地が、一面に薄濁りした水に被われて、村が一塊りずつ島のように浮かび、鳥毛の槍の形のデート椰子が、見ばえのせぬ泥の家に趣をそえている。
私たちの自動車を飛ばす堤の上の道から、村の方へと水牛の引く車が、轍の半ばまで水に浸って帰って行くのは、その下に道があるのだろう。畑の上はまだ小舟で行来している。やがてナイル河谷の端まで来て、そこから先の台地の上はもう砂漠で草一本ない。そしてクフ王のピラミッドと他の二つが近々と見える。
わずかの距離だが、砂が深くて歩きにくいので駱駝に乗る。乗り降りの時は、跪いてくれるので世話がないが、その乗り心地はスッキリしたものではない。駱駝の足の裏には柔かなゴムのような皮が附いているので、踏む度にマシマロでも踏みつけたように、フニャリフニャリと体が沈んで、頭へ響く事のないかわりに、胃の腑を揉まれ、背骨が尺取り虫の歩く形に揺れる。
ピラミッドはもう目の前だ。カイロから遠望すると、薄藍色の正しい三角が三つスッキリと並んで、人工の雄大の極というよりも、非常に大きな結晶体、例えば水晶などの類のような端正さだ。近よった所が一番見ざめがする。その肌は、上層の光沢ある石をムハメッド・アリーが引っぺがしてモスクを作ったために、いかにも一皮剥かれた跡らしくザラザラと凸凹している。
四百八十尺という、相当な小山位ある高さ大きさも、この茫漠たる砂原では、視覚にはさほどに威圧的でもない。ただ仰むいてながめる首根っ子のだるさに、その偉大を知る。しかしその位のことでは、ピラミッドがわかったとは云えぬ。その偉大を全身もて味うべく、頂上めがけて走り上るのは世にも豪快な遊びだ。
ピラミッドは丈三尺に近い大石を積んで作ったものだから、段々といっても一足ずつ上るような、たやすい訳にはいかない。案内者が上から手を引いてくれるのにつれて、弾みをつけて跳ね上るか、両手を掛けて、器械体操のように一段ずつ登るのだが、そのかわり十段上れば、もう三十尺、二十段で六十尺と、ドンドン高さを足の下へ蹴落として行ける。気の早い江戸っ子向きの登攀だ。
登りかけてみると、その急なのに驚く。五十二度という傾斜と石の一つ一つが大きいために途中では根元も見えず、頂上も見えず、ただ紺碧の空を斜めに横切る灰白色の大石の堆積に、自分がただ一人……(惜しいことにニヤリニヤリ笑う案内者がもう一人)取り附いていて、グングンと上ると、上から上から石段が繰り下して来るようだ。このまま際限なく登り登って、ついに太陽に近づいて、黒焦げになって真逆に落ちるのではないかとさえ思われる。二十分ほどで頂上に達しる。
西の方一体は平沙万里、漠々たる砂漠は天に連り、午後の太陽がその上に赫々と燃えて君臨している。ふり返るとナイル河谷の沃野が濃い緑を敷く。それを見て老成な者は水の徳を説き、器用な者は写真機を捻って絞りを思い切って引締め、弱虫はフーフー云って自からの鼓動を聞く。
だがその中のどれでもない私たちは、ただ空の色に見とれる。凄じく青い。眉に迫るほど近い。それは北欧の冬の空の、垂れ下がったような近さとは全然違う。碧瑠璃の玻璃盤を頭上二十尺に張り渡した堅さだ。斧を振って丁と打てばパリパリと電光を飛ばせて銀色の亀裂が入るに違いない。
風が吹く。遮る物なき砂漠の上空を走る風は、鋭いピラミッドの先端に触れて掠り傷を負ってピピピピピと裂巾のような叫び声を立てる。また砂漠の砂を巻いて、地上を征服しつつ押よせて来た風は、このピラミッドにガッキと受け止められて、三百尺四百尺を逆撫でにピラミッドに沿って飛び上がり、上空の風とぶつかって激す。轟々と鳴りまたハタととだえて、その間の静寂はまた妙にひっそりとする。ただ日光ばかり燦々と降り注ぐ中に、五百尺の三角の、とっ先につっ立っているのは、甚だ晴れがましいものだ。
今度は下りだ。しゃがんで、お尻をついて、足をぶら下げて、ポンと下の段へ飛び下りる。それだけのことを、百五十回以上続けるのだから、個性とか人間性とかいう、ややこしい物を没却して、弾条仕掛けのリズムを楽しむ茶目気が、我がうちに甦って私を若々しくする。
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