(1)ドイツの日刊紙Tageszeitung(taz)1/14 台湾の選挙:過半数割れの総統
――台湾の未来の総統、ウイリアム・頼は、中国との関係において継続性を主張している。しかし、彼の党は支持を失っている。
原題:Wahlen in Taiwan:Präsident ohne eigene Mehrheit
https://taz.de/Wahlen-in-Taiwan/!5982802/#
土曜日の夕方、台北で歓声を上げる次期総統の支持者たち(写真:Ann Wang/rtr)
次の台湾総統はウィリアム頼(頼清徳)だ。与党・民進党の候補者であった頼氏は、1/13土曜日に行われた選挙で、より中国寄りの国民党の侯友宜氏、台湾民衆党(TPP)の柯文哲氏を抑えて当選した。夕方、選挙に勝利した後の頼氏は、興奮というよりは安堵の表情を浮かべていた。現副総統兼民進党主席の得票率は40.0%。国民党の侯友宜は33.5%、民衆党の柯文哲は26.5%だった。台湾の選挙制度では、最多得票の候補者が1回の投票で当選する。
予想通り、中国政府は選挙結果を批判した。台湾事務弁公室の報道官は、中国と台湾の統一は避けられないと宣言した。北京の指導部は、数ヶ月前からすでに頼氏を「危険な分離主義者」とレッテルを貼っていた。おそらく中国は、蔡英文総統時代と同様、将来の頼政権との対話を拒否するだろう。(ただし)現在、ほとんどのオブザーバーは、台湾の選挙に対する中国の全面的な軍事的対応はあり得ないと考えている。
慎重な海外からの祝福
ブリンケン米国務長官は、結果発表直後に頼氏の勝利を祝福し、「自由で公正な選挙に参加した」台湾の人々を祝福した。一方、ジョー・バイデン大統領は、「アメリカ政府は台湾の独立を支持しない」とだけコメントした。EUと同様、アメリカ政府も台湾と中国の政治的関係を暴力的に変えることは拒否しているが、(その一方で)中国による攻撃から台湾を軍事的に守るという明確な保証は台湾には与えていない。日曜日の朝、国務省は「すべての有権者、選挙に参加した候補者、当選した人々」を祝福した。
EUの外交部は、EUと台湾は「民主主義、法の支配、人権に対するコミットメント」を共有していると述べたが、頼氏の名前は出さなかった。台湾の選挙戦は中国の脅威への対応が中心となったが、賃金動向や住宅価格の高騰、両党の相互汚職疑惑などの社会問題も前回の選挙よりも強い焦点となった。2020年の総統選挙での蔡英文総統に比べ、頼氏は約17ポイント支持率を落とした。民進党は同時に行われた国会議員選挙でも絶対多数を失った。
将来の内部権力分立はパートナーを不安にさせる
中国の台湾事務弁公室も声明の中で、「民進党は台湾人の多数意見を代表していない」と、指摘している。しかし実際には、各党の中国に対するアプローチはほぼ一致していた。 全党が、国防予算を現在の経済生産の2.5%から少なくとも3%に増やし、民主的なパートナー国、特にアメリカとの協力を強化することに賛成した。しかし同時に、国民党は中国との経済的・政治的対話の強化を主張した。台湾民衆党は、明確な戦略を打ち出すことなく、中国に対する現実的なアプローチをキャンペーンした。
台湾の首都台北にある国立政治大学の選挙研究者であるネイサン・バトー氏は、「台湾は中華人民共和国の一部になることを望んでおらず、台湾は民主的な制度と独立した地位を維持することを望んでいる」というのが、国民の圧倒的なコンセンサスであると見ている。民進党の(議会)選挙敗北は、国内経済の停滞に対する不満と、中国の脅威に対するどうしようもない懸念の表れであった。
台湾民衆党は、前台北市長の柯文済氏を総統候補として初めて擁立した。彼は多くの人々にとって驚くほど強力な結果を達成した。現在、同党は8議席を獲得し、議会における勢力均衡を保っている。国民党は52議席、民進党は51議席である。台湾の国会は、総統や内閣から独立して法律を成立させることができる。
蔡英文総統の下、台湾は近年、広範な国民の支持を得て民主国家の間で支持を高めてきた。しかし、将来の政府は、内部の権力分立のために部分的に行動できなくなる可能性があり、その結果、パートナーの間に不確実性も生じる。民進党は選挙前にすでに、国民党が過去にしてきたように武器購入を阻止する可能性があると警告していた。
(2)Washington Post 1/14
台湾の選挙介入の試みが失敗に終わり、中国は現状を吟味する(抄訳)
――台北-台湾の有権者は、中国に屈服するような指導者を望んでいないことを、3回連続で明らかにした。民主的な台湾は土曜日、現副総統で、北京が危険な「分離主義者」とみなす元独立論者の頼清徳氏を総統に選出した。
原題:After attempts to meddle in Taiwan’s elections fail, China takes stock
https://www.washingtonpost.com/world/2024/01/14/china-taiwan-election-2024/
今、北京は対応策を練らなければならない。
北京にとって、頼氏の勝利は、共産党の長年の目標であり、中国の習近平指導者の遺産の重要な部分である、台湾を支配下に置く能力に対する不安を深める敗北である。この結果、北京が関わりを拒否している台湾の与党・民進党が前例のない3期目を迎えることになった。
「台北にある東州大学の政治学助教授である陳芳宇氏は、「頼氏の勝利は、習近平の面目失墜である」と述べる。「習近平の台湾政策は失敗したことになる。だから今、習近平は自分の力を示すために何かをしなければならない」
<台湾、頼清徳氏を総統に選出。中国はこれを危険な選択と呼ぶ>
今後数カ月、北京は軍事的嫌がらせや経済的圧力など、おなじみの強圧的戦術を使って台湾を威嚇する努力を強めていくと予想される。しかし、実際の衝突や侵略は、少なくとも今のところありそうにないと、台湾とアメリカの当局者やアナリストは言う。中国の当面の行動は、最近安定してきたワシントンとの関係を維持したいという願望によって抑制されるだろう。事実上のアメリカ大使館である台湾米国協会(アメリカン・インスティテュート・オブ・タイワン)によれば、スティーブン・ハドリー元国家安全保障顧問とジェームズ・スタインバーグ元国務副長官を含むアメリカの代表団が、日曜日に台北に到着する予定だという。頼氏の勝利に対する中国の最初の反応は予想通りだった。政府関係者は日曜日にいつものように強い言葉で声明を発表し、頼氏を祝福した国々の北京大使館は「中国の内政に干渉している」と非難した。在ロンドン中国大使館は、「台湾情勢がどのように変化しようとも、台湾が中国の一部であるという基本的な事実は変わらない」と記した。台湾国防省は日曜日の朝、台湾付近で軍艦4隻が発見され、中国の高高度気球が首都近くの北西海岸沖に飛来したと発表した。
民進党が政権を握ってから過去8年間、北京は蔡英文総統との公式な関係を一切停止しており、以前から完全な独立を推進してきた頼氏との関係はさらに希薄になる可能性がある。蔡英文総統の副総統を務めている間、頼氏は自身の立場を穏健化させ、台湾海峡での戦争を回避し、脆弱な現状を維持するという蔡英文総統の政策を継続することを約束した。彼は北京と “対等に “付き合うと何度か発言している。しかし北京はすでに、台湾は中華民国という正式名称の主権国家であり、独立を正式に表明して紛争を起こす必要はないという民進党の立場を否定している。台湾の有権者は、頼氏を支持した有権者も、2人の野党候補を選んだ有権者も、揺れ動く4年間を覚悟している。頼氏に投票した観光業で働くアキラ・チウさん(60)は、「中国が台湾への圧力を強めると予想しているが、恐れてはいない。われわれはいつでも国を守る用意ができている」と、語った。中国との関係強化を支持する野党・国民党に投票した台北の26歳の会社員、謝新中氏は、民進党は台湾を中国との戦争に近づけるだろうと述べた。「民進党は中国と対峙してきた歴史があるから。今後4年の間に中国が我慢の限界に達し、宣戦布告してきたら?ありえないことではありません」と、彼女は言った。
<中国が台湾総統選挙に介入しようとしている4つの方法>
アナリストによれば、北京は5月20日の頼氏の就任式までに思い切った行動を取る可能性はない。頼氏の当選が、台湾、中国、アメリカの間の不穏な関係にどのような影響を与えるか、次の重要な指標となる。その前に、北京は台北を威嚇することと、台湾国民をさらに遠ざけるような反発を引き起こすことなく、ワシントンに頼氏を抑制するよう促すことのバランスを取ろうとするだろう。・・・(中略)・・・北京はその圧力を利用して、頼氏の弱点を突くことができるだろう。日曜日、中国国営メディアは、頼氏がわずか40%の得票率で総統の座を獲得し、彼の党が議会で過半数を失ったことを強調した。中国台湾事務弁公室は土曜日遅くに発表した声明で、「2つの選挙結果は、(民進党が)島の主流世論を代表していないことを証明している」と述べた。
クレアモント・マッケナ・カレッジの政治学者、ミンシン・ペイは、頼氏の当選は中国にとって後退だったが、北京は新政権が退陣した蔡英文政権より弱いという知識で自らを慰めることができると語った。野党の国民党は現在、議会でわずかにリードしている。「面目を失うことを除けば、中国は実質的に以前より少し有利な立場にあるのである。それでも北京は、習近平とバイデン大統領が11月に会談し、両軍を含む重要な意思疎通のチャンネルを再開させた成果を消したくないようだ。
ジャーマン・マーシャル・ファンドでインド太平洋プログラムのマネージング・ディレクターを務めるボニー・グレイザーは、「そのため、中国はおそらく攻撃を控えるでしょう」と語った。「中国側は、後々展開できるようなものを用意しておく必要があるし、米中関係の不安定な安定を崩したくないので、大きなこと、たとえば台湾の領空内で戦闘機を飛ばすようなことは控えると思う」と、彼女は言う。バイデン政権は選挙に先立ち、台湾の独立を支持せず、「両岸の相違が平和的に解決されるのであれば、その最終的な解決」については立場をとらないことを繰り返した。
シンクタンク・クライシス・グループの中国上級アナリスト、アマンダ・シャオ氏は、これは中国政府を安心させるためであり、「習氏とバイデン氏の会談で生じた勢いを維持しようとする両国の明らかな試みだ」と述べた。北京と次期頼政権とのハイレベルな政治対話が不可能だとしても、緊張を和らげる余地はある。蕭氏によれば、公的な声明や非公式な裏ルートを通じて意思疎通を図ることは、すべて助けになるという。
「私たちが今いるこの時間は本当に重要だ。三者間で何が話し合われるかにかかっている。期待値を設定する好機です」と、北京、台北、ワシントンを指して語った。
台北では、北京と理屈をこねてもあまり意味がないと考える住民もいる。「中国が戦争を仕掛けようとするなら、台湾が何をしようと、どの政党が政権を取ろうと、それを止めることはできないでしょう」と、最近民間防衛訓練コースに申し込んだ27歳の翻訳家、ドラ・チャンは言う。「挑発的なのは常に中国であり、台湾ではないのです」
(機械翻訳を用い、適宜修正した)
<若干の感想的コメント>
筆者の印象から言うと、総統選と立法院の選挙結果は、台湾国民のある種のバランス感覚を示すものとなった。つまり権威主義国家としての中国大陸国家との統一は拒否するが、かといって台湾独立も明言せず、くわえて民進党の国内統治の舵取りについては厳しい判定を下した。民進党総裁候補の勝利は、習近平の面子をつぶすことになり―体面を保つことは、中国的権威主義国家に特有な指導者のエートスである―、その分好戦的姿勢をとらせることになる。しかし他方議会選挙で国民党を勝たせることによって、北京の統一戦略に勝算がなくはないという安堵感を北京に与えた。その分、北京の屈辱と焦りから冒険的な攻勢に出る危険性は減じたと、みることができる。ただし民進党が民衆党を取り込んで多数派を形成できなければ、ねじれが生じて決められない政治に陥り、そこに付け入られて中国の硬軟織り交ぜた介入の余地が出てくることもありえるだろう。
欧米のリベラルな二紙の上記の解説記事で大方の理解は得られると思うが、しかしそこには台湾海峡に甚大な影響を及ぼすであろう米大統領選の帰趨というファクターが考察から抜けているので、台湾海峡情勢の見極めは時期尚早である。いずれにせよ、台湾国民にとって、ここしばらくは緊張の解けない状態が続くであろう。
本日敢えて問題提起したいテーマは、選挙結果とは少し距離をおき、台湾問題に向き合う我々日本人の姿勢、とりわけ左翼やリベラルと言われてきた人々の台湾観についてである。かつての我々にとって、台湾はアメリカの極東戦略の要石の一つであり、共産中国に対する反共の防波堤であった(でしかなかった)。60年安保闘争のころ、中国大陸と金門馬祖島との間で砲撃合戦がたびたび繰り返され、毎日のニュースになっていた。戦闘的な北教組に属するわが担任の教師も、毎朝行なう短時間の時事解説で、明らかに中国びいきの視点で解説していたように思う。その後ニクソン訪中につづく人民中国の国連加盟、台湾との国交断絶、日中国交回復といった一連の出来事は、冷戦構造に風穴を開ける国際社会における進歩と法理の確立とみなされた。台湾との断交は、台湾が蒋介石一派の支配する独裁的戒厳令国家であることもあって、わが左派陣営にとって当然のこととみなされ、台湾の運命を気遣うものはいなかった。そういう流れにあっては、日本における親台湾派は、「昭和の妖怪」岸信介ら反共右派勢力に限られていた。韓国の朴正煕政権、インドネシア賠償なども同様で、旧戦犯容疑・岸が関わる国際関係はどれもこれもどす黒く金まみれで腐敗臭を放っていた。したがって台湾における日本の植民地支配や戦争の責任について、左派陣営が自らに問いかけるという機会はほとんどなかった。日本軍人や軍属とした戦場に駆り出された台湾人への補償問題や靖国神社への合祀拒否等の裁判などが、記憶の片隅にある程度であったのではないか。台湾に関心を有するのは、商社マンか、うさんくさい団体ツアー客に限られていた。
ところがその台湾が、1980年代から民主化の道を自力で歩み始めた。蒋介石の息子の蒋経国が着手し、本省人の李登輝を国民党副総統に登用して民主化を推し進めた。筆者の記憶違いかもしれないが、蒋経国は一時はコミュニズムに接近した過去があったのではなかったか。ともかく李登輝は1988年に総統に就任し、台湾の民主化は不可逆的なものとなった。民主化の過程でアメリカがどのように、またどの程度関与したのであろうか――1990年頃台湾に行ってフォードの車が多く走っている様子や、ケンタッキーならぬテキサス・フライドチキンの看板を目にして、アメリカの影響力の大きさを感じた。当時は台北のまちには戒厳令の名残りであろう、重要施設周辺には衛兵の巡回する隊列を見かけたが、しかし長身で制服姿も凛々しく、物騒という印象は薄かった。徴兵制や学校での軍事教練はまだ続いていたように記憶している。
このころ日本人に台湾を身近に感じさせるのにもっとも大きな功績があったのは、司馬遼太郎であろう。李登輝総裁との対談や氏を紹介する文章がベストセラーになった。李登輝氏は、台湾ではじめて本省人で総裁の地位に就いた。このことは本省人たちのナショナリズムを高揚させ、外省人へのコンプレックスを払拭させたのではないか。※そのことは、国民党が台湾を大陸中国に属する一省とする虚構を捨て、自らの統治の及ぶ範囲を台湾島と定めたこと、つまり台湾を実質的な主権国家とみなすという歴史の大転換と平仄が合っていたのである。※※京都大学留学の経歴を有する李氏は日本語も達者で、国民的人気作家である司馬遼太郎の影響力もあずかって一躍日本人の心をつかみ、台湾へ日本人の関心を掻き立てた。ただ反共国家でキャリアを重ねた人なので、その反共姿勢には同意しかねるところがあった。
※1947年台湾の2・28事件――1947年2月28日、国共内戦がまだ決着がつかなかったとき、先発隊として台湾に進駐してきた蒋介石軍に対し、そのあまりの粗暴さと腐敗に怒った民衆に対し、白色テロルを行ない、2万人余りが殺害された。いわゆる内省人(台湾人)と外省人(大陸人)との対立の発端となった事件。しかしこの事件は韓国の「済州島四・三事件」と同様、長いことタブーであった。この事件を扱った台湾映画「悲情城市」は、世界的に大ヒットした。この映画に限らず台湾映画は、日本映画の黄金期(昭和20年代から30年代初め)を彷彿とさせる素晴らしい出来栄えで、日本に一部熱狂的ファンを生み出した。
※※現実政策とは距離を措く原理論として聞いていただきたい。台湾が独立した主権国家であるという主張は、民族自決権という国際法理からみてそれほどナンセンスなものではない。また台湾も大陸も同じ漢民族であるということは、統一が絶対的であることの根拠にはならない。アメリカも同じアングロサクソンでありながら、イギリスから分離独立した。国家主権がだれに帰属するかは、基本的に当該領土に住まう住民自身が自己決定する権利を有するというのが、最も基底にある原則ではなかろうか。
かつてわれわれ左派は、台湾の未来は大陸中国にあるとみなしてきた。遅れた台湾が、歴史の発展段階からいって進んだ中国に吸収合併されることを「必然」だとみなしてきた。しかし今日、マルクス主義を信奉する者でも、一党独裁の権威主義国家が民主的な法治国家より進んでいるとは思わないであろう。詳細にして緻密な議論は筆者の手に余るので、市民(ブルジョア)革命の中心的なテーマの一つである「土地革命」について、中国と台湾の歩みを振り返ってみよう。
東アジアの日本、韓国、台湾、中国などの国が、近代国家への離陸に成功したのは、封建的土地所有制度を改革し、近代土地所有制度を曲がりなりにも確立したからだといわれる。逆に東南アジアの諸国がそうできなかったのは、フィリピンに典型的なようにスペイン植民地支配の遺制である大土地所有の改革に着手できず、農村の構造的な貧困が都市と農村との対立を生み、農村反乱であるゲリラ闘争が絶えなかった。
中国における封建的土地所有や軍閥の解体は、本来国民党自身の綱領的テーマであった。しかし国民党はその立場を徹底できず、土地革命を主導したのは中国共産党であった。コミンテルンの革命方式とは異なる農民階級を主体にした「農村から都市へ」戦略を樹立したのは毛沢東であった。封建的土地所有制度を土地を渇望する農民の力によって解体しつつ、その農民のエネルギーを抗日戦へ、やがて国共内戦へ組織・動員することに成功し勝利した。しかし人民中国建国後、土地革命はスターリンの集団農場方式に淵源する人民公社化という水路に導かれる。脱スターリン主義が中国革命を勝利させた要因だったはずであるのに、土地の公有化をドグマ化したスターリン主義に回帰していった。
人民公社化は、農民の土地所有に基づく生産性向上の意欲によって農業の近代化を図り、農村を豊かにするのではなく、強制的な集団化により農民を実質無権利状態に貶めて生産意欲を喪失させ、小作農と変わらない権威権力に従順な農民におしとどめた。封建的な圧政のもとに置かれていた農民を、土地の個人的所有や市民的な権利(意識)という不可欠な媒介的中間的契機―耕作者主権というコンセプトーを抜きにして、一足飛びに全面的公有化に飛躍させる革命的ロマン主義が毛沢東思想の特色であった。毛沢東思想のこうした弱点が、のちに「大躍進」や「文化大革命」の悲劇的災厄をもたらすことになる。
それに対して台湾は1949年から1958年への10年間で農業の近代化、農業生産力の飛躍的な向上に成功した。大土地所有者や公有地をもとに有償でー極めて低利な分割払いーで払い下げ、自作農を創出してー1949年自作農39%~1959年61%―、農民の営農意欲を喚起したのである。コメの生産高の飛躍的向上は戦後の食糧ひっ迫を解消するとともに、農村の市場的な包容力を拡大させ、肥料や農業機械といった工業製品の販路拡大をもたらすとともに、工業化に必要な余剰労働力を供給するという、都市と農村の市場的な応答関係を確立することとなる。日本の植民地時代に築かれた灌漑やダム、道路などのインフラ整備も大いに役立った。有名な磯永吉博士による新品種「蓬莱米」は、戦後日本や韓国に輸出されて外貨獲得の大いに貢献したといわれている。
台湾の物産の豊かさには圧倒される。タイの屋台も有名だが、台湾の比ではない。南部高雄市の有名な屋台街「瑞豊夜市」や「六合夜市」、特に前者は千軒を超える屋台が何百メートルにわたって軒を連ね、不夜城のごとく深夜まで毎日賑わいをみせている。海鮮ものからトロピカル・フルーツ、特に目を惹くのというか、ぎょっとするのは「田鶏」(ディエンチ―)と呼ばれる何種類ものカエルの屋台で、すべて即席で調理してくれる。しかも5年くらいの間に木造の屋台は、すべてステンレスの清潔な屋台に置き換わった。アジア的な猥雑な市街地の喧騒は、その雰囲気を損なわず秩序ある活気に変化していった。マレーシアなどからの輸入ものもあるものの、ほとんどが地産で、いかに農漁業が盛んかがわかった。
いまや台湾は半導体生産において世界の先端を行っている。ついこの間まで日立や三洋などといった日本企業に技術研修で多くの台湾青年が来ていたはずなのに、日本は今や台湾の後塵を拝する地位に転落した。他人ごとではない、進んだ台湾と遅れた日本という逆転が進行中なのだ。
中国の未来は台湾である、とまでは言わないが、中国の極端から極端へ振れる危うさを目にしてきたわれわれにとって、大国であることはしんどいなという感想を禁じ得ないのである。やはり小さな国は、統治のしやすさでは大国より上を行く。中国も本格的な連邦制と普通選挙権等、複数主義への挑戦が始まってもいいのではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13496:240118〕