イスラエル国家が消滅する日
筆者は前回の記事(1月23日掲載)の最後に、高坂正堯氏の「100年後、150年後にイスラエルが存続しているか、不安を感じる」とのコメントを紹介した。ユダヤ人の中にも同様に考える人たちがいる。イスラエルのジャーナリストであるボアズ・エブロン(1927-2018)は、「世界中の国家は現れては消えていく。イスラエル国家は明らかに100年、300年、500年のうちに消えるだろう」とし、さらに「しかしユダヤ教が存続する限りユダヤ人は存在する」としている(ヤコブ・ラブキン ”What is Modern Israel?”, 2016)。ユダヤ人(ユダヤ教)とイスラエル国家との複雑な関係を知らずに、パレスチナ問題を理解することは難しい。
パレスチナ人は誰と戦っているのか
パレスチナ紛争が、アラブのパレスチナ人とユダヤのイスラエル間の対立によるものとするのは正確ではない。むしろパレスチナ人たちは、近代に形成されたシオニストというユダヤ人組織と戦っていると理解すると状況がよく見えてくる。パレスチナの地にユダヤ人国家を建設しようとする運動が生まれたのは、ユダヤ人の歴史のなかではつい最近の130年ほど前である。当時もユダヤの宗教指導者の多くは運動に否定的であった。ユダヤ教の経典では、パレスチナ(シオン)に集まることによって神の再臨を促すような行動は、涜神的行為であり、厳に避けるべきものとされていたからである。
しかし19世紀末、ユダヤ人口の多かった東ヨーロッパ諸国で各民族の運動が激しくなり、同時にユダヤ人差別も厳しくなった。さらにロシア革命もあって、民族運動の体裁をとりながらユダヤ人国家を作る運動が発展した。現首相のネタニヤフ(ヘブライ語で「神の贈り物」)の祖父もミリコウスキーというロシア系ユダヤ人でありシオニズムの活動家であった。シオニズムはその発展の過程で、ヨーロッパの近代政治思想だけではなく、政治運動の影響も受けていく。とくに目的のためには手段を選ばない戦闘的傾向には、ロシア革命の影響があるとされる。
現在のイスラエル軍の攻撃では大半の犠牲者が女性・子どもである。意図的に若者や年少の子どもを殺害している様子もある。イスラエルには政府に雇用される宗教指導者がいるが、彼らは「パレスチナ人の子どもを殺害するのは、彼らが大人になってユダヤ人に危害を加える可能性を避ける正当な行為である」とさえ書いている。ますます露わになっているガザ攻撃の残虐さは、イスラエル国家に染み込んだ暴力性から来ていると考えるべきだろう。
国連で拒否権を行使しても、その軍事行動を支えているのはアメリカである。ホロコーストの負い目のあるヨーロッパ諸国がイスラエル批判に抑制的であるのは理解できるが、アメリカはなぜそこまでイスラエル側に立つのか。
アメリカがイスラエル支援を見直す日
アメリカではユダヤ人団体がロビー活動を通じ政治的な強い影響力を行使していると言われ、政治資金の提供は無視できない。しかし有権者数としてはごく少数であり、選挙や法案成立を左右するほど大きな力を持っているわけではない。
じつはイスラエルを支えるアメリカの外交方針は、国民の4分1程度を占めている福音派キリスト教徒(エヴァンジェリカル)たちに支えられている。彼らは、「イスラエル国家とエルサレム神殿の建設によって、キリストの再臨が実現する」とするプロテスタントの教説を信じている。信仰を共有しない人々にとっては、このお伽噺のようなアメリカ人の宗教的感情がイスラエルを支えているのである。トランプ前大統領はその宗教的感情を掬い上げることによって中西部の票を確実なものにしていた。彼自身に宗教的信条があるとは思えないから、前任期中に在イスラエル米大使館をテルアビブからエルサレムに移したのも支持者の歓心を買うためだったのであろう。
中短期的にはアメリカ社会はトランプのような人物を大統領に選び、イスラエルの支援を継続していくだろう。しかし中長期的にみれば、黒人、ラテン系さらにはアラブ系の人口が増えていくことが確実であり、福音派の人口比重は今後、確実に低下していく。しかも、西ヨーロッパ諸国でもまたアメリカでも、若い世代の間ではイスラエルの姿勢に疑問をもち、パレスチナ支持を打ち出す者が増えている。アメリカもそう遠くない将来、イスラエルに対してアラブ諸国との共存を促すスタンスに移っていくだろう。
空洞化するイスラエル
今後、イスラエルの国際環境は厳しくなっていくうえに国内的にもあまり明るい材料はない。以下は、おもにオンラインメディアであるTLDRからの情報などに基づくイスラエル経済の現状である。
昨年10月7日のハマスの襲撃以前からイスラエル経済は低迷傾向にあった。最大の理由はネタニヤフ政権が裁判所の判決を国会の議決によって変えられるよう憲法の変更を試み、国民の激しい抗議活動を呼び起こしたことである。政治の不安定化を嫌った企業は海外に事業展開するようになり、2023年にはIT関連など先進産業分野の45%の企業が事業を海外に移していた。
もともとイスラエル国内では優秀な人材ほど、いつでも出国できるよう準備している傾向がある。ネタニヤフの極右政権が国際法を無視し、ヨルダン川西岸でパレスチナ人に対する暴力行為を伴う入植活動を推し進め、いたずらにアラブ諸国や国際社会との緊張を生み出していることに嫌気がさしているからだ。ラブキンの前掲書によれば、多くのイスラエル国民はヨーロッパ諸国のパスポートを所有し、50万人以上はアメリカのパスポートを持つ。約25%の研究者たちはアメリカで働いているとする。
昨年のイスラエルの最終四半期のGDPは△20%と落ち込み、財政支出は88%増となった。大部分は軍事費である。消費は△26.3%、建設業などへの投資は32.2%減となっている。輸入は△42%、輸出は△18%と減少した。理由の一つは紅海を航行する船舶の減少によりイスラエルの海運が縮小したことである。もちろん観光業は壊滅的である。また招集した36万人の予備役は労働人口の8%にあたり、経済活動の足を引っ張っており、戦争が継続される限り経済状況は悪化の一途をたどるはずだ。
さらに建築や農業分野を中心に、ガザおよび西岸に住むパレスチナ人の労働力に依存してきたが、戦争勃発後、パレスチナ人の入国を禁止したため、労働力不足に輪をかけることになった。政府は不足した労働力を急遽、中東に出稼ぎに来ているインド人で代替しようとしている。ドバイ(アラブ首長国連邦)など、建築ブームに沸く中東では以前から大量のインド人労働者が滞在していたが、イスラエルの事業者は現地の約3倍の賃金でリクルートしているといわれる。
イスラエル社会は、優秀な人材に逃げられ、建築などの現場労働力も不足するなど、内側から空洞化が進んでいる。外側からは圧力に晒されて国際的孤立が進む。イスラエルという国家が存続するためには、アラブ諸国と共存する姿勢に軌道修正する他に道はない。
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