Global Headlines:ドイツにおける反ファシズム運動

<はじめに>
 1月に始まった極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」反対デモは、またたくまにドイツ全土に広がった。ベルリン、ミュンヘン、ケルン、フランクフルト、ハンブルク、ミュンヘンなどの主要都市に、また抗議行動は旧西ドイツ地域だけではなく、ドレスデン、マグデブルク、エアフルトなど旧東ドイツの町でも行われた。

世界に開かれたチューリンゲン、AfDにレッドカードを、と書かれている、 10.2.2024 (IMAGO / Müller-Stauffenberg)

 既報のように、ことの発端は調査報道センター「コレクティーフ」が1月10日に公表したスクープ記事であった。それによると、極右勢力の関係者らが昨年10月25日、AfDや排外思想を持つ企業家たちを会合に招いて、彼らが「Remigration逆移住」と呼ぶ外国人追放計画の「謀議」を行なったのだという。この計画は、1940年にナチスが画策したユダヤ人400万人のマダカスカル島への強制移住計画を連想させるものであり、翌年に開始されたホロコーストの記憶に直結するものだっただけに、ドイツ世論は尾を踏まれた虎のように激しく反応した。


オナチー歴史的な衣装を着てハイキングの日: 名誉の日にはヨーロッパ中から右翼過激派が集まる。写真:エスト&オスト/イマーゴ

 しかしこの機会に改めてことの深刻さにドイツ世論は覚醒しつつあるようだ。1月に行われた世論調査によると、AfDの支持率は19.5%。特に旧東ドイツ3州―ザクセン州、ブランデンブルク州、チューリンゲン州―で AfDが支持率トップをゆくという。今秋9月に行なわれる州議会選挙でのAfDの勝利は確実視されているのだ。問題の根っこに繁栄から取り残されたドイツ東部の現状があり、また排外主義の温床となっている外国人労働者や帰化労働者の増大があるだけに、解決の即効薬はない。ドイツ連邦統計局によると、この国に住む外国人またはドイツに帰化した元外国人の数は、2020万人(2022年末の時点)。人口の24.3%に当たる。容易に想像されるように、最近はIT関係も増えているとはいえ、彼ら彼女らの多くは建築現場、ごみ清掃、スーパーや小売業の店員、物流、保育・福祉などの分野でエッセンシャル・ワーカーとして働いており、もはや彼ら彼女らなしではドイツ社会は回らない。
 ドイツ世論は、今回の出来事を機会に中長期的には共生社会の在り方を構想・設計・実現しなければならないであろうが、短期的にはAfDら右派勢力の抬頭を阻む有効な手立てを講じなければならない。そうした試み、着眼のひとつとして、以下の記事を読んでいただきたい。

地元紙とAfDとの関係―情報がないと右寄りになる
(週刊紙KONTEXT 675号3/6―ローカルなコミュニケーション手段として、鉄道と同様に地元紙の重要性を訴える記事。KONTEXTは、2011年から発行されている独立系コミュニティ紙であり、1,5 00人の寄付者によって支えられている非商業紙である。)
――地元紙のないところではAfDに投票する人が多い。これはKontextの同僚マキシム・フレーサーによる修士論文の結果である。シュトゥットガルト大学の政治学者アンドレ・ベヒティガー教授は、この結果を非常に興味深いものだと考えている。以下は教授のコメントである。

原題Lokalzeitung und AfD Ohne Information wird’s radikaler Von Gesa von Leesen
https://www.kontextwochenzeitung.de/medien/675/ohne-information-wirds-radikaler-9412.html

 もし市民が自分たちの町で何が起こっているのかを知ることができなくなれば、それはさまざまな結果をもたらす。その例―ある町が小学校を閉鎖することになったが、地方議会が何カ月もかけて救済策を探したことについては、事前に誰も報道しなかった。そして、あるソーシャルメディア・チャンネルを通じてメッセージが拡散される。「市庁舎の上層部の人たちが学校を閉鎖しようとしているのは、そこに巨大なゴミ捨て場が建設され、事業税がもたらされるからです。私たちの子供たちはどうなるのでしょうか」 (もちろん、たくさんの絵文字も)。他に何も知らなければ、それを信じてしまうかもしれない。
 優れた地元紙は、出来事を継続的に報道し、仕分けする任務を担っているはずだが、地元紙は衰退の一途をたどっている。これは新聞社にとってビジネス上の問題であるだけでなく、民主主義理論上の問題でもある。マキシム・フレーサー氏は、バーデン=ヴュルテンベルク州において、ジャーナリズムなくして民主主義なしという、これまでドイツでは仮説として語られてきたことを科学的に立証した。28歳の彼は修士論文で、AfDへの投票と自治体に地元紙があるかどうかとの間に関連性があるかどうかを研究した。結果として「ある」。その地域に地元紙が少なくとも1紙あれば、地元紙がない地域よりもAfDに投票する人は少ない。
 シュトゥットガルト大学社会科学研究所の所長であるアンドレ・ベヒティガー教授は、さして驚いていない。アメリカの研究でも同じことが示されているからだ。ニュースの砂漠状況では、より過激な政党に投票する欲求が高まる。「しかし、政治理論・実証的民主主義研究学科でのフレーザーの研究は、新しいことを証明している」。ベヒティガー教授いわく、「この研究で興味深いのは、著者が新聞の存在とAfD投票者数との単純な関係を確立しただけではないということである。なぜならみせかけの相関性もありうるからだ。地域の失業率や自治体の経済的な成り立ちなど、他の要素が含まれているのは非常に良いことだ」。そして驚いたことに、こうした他の要素を考慮に入れても、なお相関関係があるのだ。地元紙がある場所とない場所でのAfDの得票率の差は、統計的に0.6ポイントである。小さなことのように聞こえるが、実はこの次のことを示している、つまり AfDに投票する多様な理由の中には、地元報道の欠如が実際に測定可能であるということだ。
地元紙がないのは駅がないのと同じだ
 民主主義の専門家であるベヒティガー教授は、自らも民主主義を強化する方法をとくに研究している。そのためには、優れた言論インフラが必要であると、彼は鉄道を例に挙げて言う。田舎で鉄道駅が閉鎖されると、人々は取り残されたように感じる。 情報、ひいては議論についても同様で、きちんとした地元紙がなければ、取り残されているという感覚を強めることになる そしてそれは悪いことだ。誰かが民主主義者であるかどうかは、その人が認められていると感じるかどうかに大きく左右されるからだ、とベヒティガー教授は言う。優れた地域ジャーナリズムが、市民が情報を得られるような組織化された社会を作るのに役立っているというのは、もっともなことだと研究者は考えている。 マキシム・フレーザー氏の研究は、ドイツにおけるこのテーゼを科学的に分析するための重要な第一歩である。しかし、その関連性についてはもっと深く研究される必要がある。特に、政治への信頼の喪失やAfDや右翼過激派の抬頭が国中で議論されているなかで、このテーマについてまだ研究が進んでいないのは驚くべきことだ。なぜだろうか?「この分野の学際的な問題が原因でもある」とベヒティガー教授は言う。同僚たちはむしろ、全国的あるいは国際的な民主主義研究を扱いたいと考えている。地方レベル(の研究)では大きな賞も得られないので、それほど魅力的ではない。(しかし)地方レベルでこそ、人々は民主主義を肌で感じることができるのだから、非常に残念なことである。したがって、この研究ギャップを埋めることが急務である。地元紙と投票行動の関係をさらに調べるには、全国規模の調査も必要だろう。
 ネッツヴェルク・レシェルシュ、ハンブルク・メディア・スクール、トランスペアレンシー・インターナショナルは現在、アウグスタイン財団の資金援助を受けてこの研究に取り組んでいる。研究者たちは、地域レベルでどれだけのローカルメディアがまだ存在しているのか、メディアの状況はどのように発展しているのかを調査している。さらに、ベヒティガー教授によれば、機能する民主主義にとって決定的な変革ベルトが正確に何であるかについて、より科学的に有効な知識が必要であるという。批判的な報道?読書行動?教育、収入、家庭環境といった市民の生活状況?「この結果は、地元紙が何をすべきかを認識する上でも興味深いものだ」と、ベヒティガー教授は確信している。これは政治にとっても重要なことである。なぜなら、批判的な地方ジャーナリズムが民主主義を機能させるために不可欠であるにもかかわらず、出版社が市場経済の条件下で全国的な地元紙を経営しなくなったとしたら、それはどうなるのだろうか?これは彼の専門ではないが、鉄道比較はここでも役に立つとベヒティガーは言う。鉄道インフラが適切でなければ、国が介入しなければならない。 地元のジャーナリズムも同様である。しかし、ベヒティガーは「国家が意味のある行動をとるには、さらにしっかりとした科学的知見が必要だ」と考えている。

<若干のコメント>
 市民社会の成熟度は民間ジャーナリズムの発達によって測られるというのは定説である。もちろん一般的にはジャーナリズムだけに限定されるわけではなく、多様な中間団体(宗教団体、同業組合、労働組合、職業団体、文化・スポーツ協会等)の存在が、自由な市民社会の存立には欠かせない。しかしとりわけ言論の自由を行使するジャーナリズムは、その重要度において際立っている。ジャーナリズムは、民主主義のキーワードといっていい人々の自由な討議のアジェンダとなる当該の事柄について、必要な情報や知識や見解を提供し、多様な意見を闘わせる場をも提供する。このことですぐ思い浮かぶのは福沢諭吉が唱えた「多事争論」というコンセプトである。集団でなにか大事なことをなそうとするとき、普通重要だとされるのは、集団が一つ強力な意見のもとに一致結束することだと。しかし諭吉はそうではないという。大事なのは「自由の気風」であって、多くの人が多くの事柄についてお互いに競い合って議論を闘わせることだ。もし争論がなければ、社会がひとつの強力な意見―その局面では正しいかもしれないが、条件が変われば偽に変わりうるーに支配されて、その意見の方へ全体が偏っていき、誤っても訂正がきかなくなる怖れがある。討議や議論が真理への不断のプロセス、トライアル&エラーであるがゆえに、少数意見もプロセスを構成する重要な契機になりうるのである。つまり今日の少数意見は、明日の多数意見となりうるという開かれた態度、自由の気風を諭吉はよしとする。この場合、討議でもみあうことによって、人それぞれが自主的自立的な思考回路を活性化させることになり、自分の意見といえるものを固められるようになる。(明治維新期、列強包囲のなかで一国の主権的独立と国民個々の自立が相互不可分の関係にあるとした諭吉は、「独立自尊」という四字熟語にその思いを込めた)
 今言ったことは、リベラル派の常識に属するであろう一般論である。そのことを暗黙の了解として、上の論説は地域にローカル紙が存在しないところでは、AfDの勢力が強いという関係を検証した論文に注目したのである。AfDら右派勢力の強い地域では、失業率が高い、古い産業や零細な企業が多い、教育機関が少なく、高学歴者が相対的に少ない等、いろいろなファクターがあろうが、なかでもローカル紙の有無が地域の政治的雰囲気、政党選択に強い影響を及ぼしている――この発見は重要である。なぜならそうであれば、リベラル側の対抗戦略は焦点が絞りやすく、ローカル紙を増やし、地域のコミュニケーションを活性化させ、政治的空白地域を埋めていくことに重点をおけばよいからである。月刊誌「ブレッター」に載った他の論考によると、AfDは情報砂漠の状態に付け入って、コミュニケーション手段としてTikTokやインスタグラムのようなプラットフォームをうまく活用して、地方都市で勢力を伸ばしてきたという。なるほどローカル紙といっても紙媒体で運営するのはなかなか困難だというのなら、SNSの上手な活用法を見出せばよい。
 それで今言った「情報砂漠」という用語であるが、これは生活上必要な情報から遮断されている状態を表すだけでなく、現代の人々の置かれている精神状況をも暗示するものである。たとえば、人が失業に陥って世界とのきずなを断たれるとする。その状態が長くなり、外部情報を断たれ生活的に孤立状態に陥ると、精神的にも追いつめられ、社会から見捨てられているという孤立感をより深刻化させるであろう。根無し草感覚からくる無力感にとらわれて、自虐スパイラルに陥るものがいる一方、そこから脱出しようとしてあがき、社会へのルサンチマンから他者攻撃へ向かうものもいる。そうしたとき身近に弱者をいたぶり、権力を誇示する社会的強者、権威者がいたとすると、彼はその者に自己を同化させつつ、弱者への迫害に加担し、弱者の零落する姿を見て自己の優越感をかみしめる。個人が砂粒のように断片化細分化され、人間的な絆を失ってしまって孤立化する状況、これこそが大衆社会における自由(=温かみのある人間的紐帯からの切断)であり、ファシズムに転化する危険性をもつ、その精神的前段症状なのである。アトム化した個人に偽りの社会的人間的絆を与え、弱者への迫害と暴力に偽の人生目的を与える――これこそがファシズムの手口なのである。
 ファシズムの延焼を防ぐための防火壁となるべき地域ジャーナリズムが衰えて、特に衰退する地方都市は「情報砂漠」状況にある。「人口動態の変化と、民主主義に熱心で高学歴の人々の流出、そして政党、労働組合、教会、時にはスポーツ協会といった主要な社会組織の構造的弱体化によって、政治以前の領域にまで空白が生じ、それが現在、極右勢力によって埋められつつある」(ブレッター3月号)。構造的反撃が必要なのであるが、まずは地域に根を張るコミュニティ・ジャーナリズムの復活をその糸口とせよということであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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