青山森人の東チモールだより…祝!「独立回復」22周年記念、安心な医療サービスを国民に

国旗の飾りが少ない

今年も「5月20日」がやって来ました。1975年11月28日、フレテリン(東チモール独立革命戦線)による独立宣言を国際社会の大半が無視してから26年と半年の時を経て2002年5月20日、国際社会が難癖をつける余地のないかたちで東チモール民主共和国の独立を東チモール人は勝ち獲ったのです。

東チモール政府はフレテリンによる1975年11月28日の独立宣言を歴史的事実として捉え、「11月28日」を「独立宣言の日」、そして「5月20日」を「独立回復の日」と制定しています。苦労して勝ち獲った独立なのですから、年に二回の〝独立記念日〟があってもいいではありませんか。

さて、去年のことを思い起こしてみれば、去年の「5月20日」は国会議員を選ぶ選挙投票日の前日でした。とくに学生がそうですが、普段は首都に住んでいても選挙登録を出身地方でした人はその地元で投票しなければなりません。大勢の首都の住民が〝民族の大移動〟よろしく各地方へ里帰りをしたため、閑散とした首都で「独立回復」記念式典が行われました。

今年は〝民族の大移動〟がないので首都は通常の人口状態であるのですが、「5月20日」を祝う雰囲気がいまいち盛り上がっていないようにわたしには思えます。かといって東チモール社会が何かに沈んでいるということではなく、東チモール人一人一人がそれぞれの人生を歩んでいるという、大衆が一方向に気をとられないという成熟さを感じさせるという意味で盛り上がりの低さであると思います。また政府が地方に分散して「5月20日」を祝うことから首都に盛り上がりが集中しないのは悪いことではありません。

大統領府での記念行事

政府のホームページから「5月20日」記念行事のプログラムをみてみましょう。

・5月18日にコモロ地区にある教会でミサ

・同日、メティナロにある英雄墓地とディリ埠頭に花を捧げる

・5月20日、9時半から大統領府で記念式典。10時50分までに来賓者が来場。11時、国旗掲揚。11時半、一分間の黙祷。11時35分、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領による国賓への勲章授与。11時40分、ラモス=オルタ大統領の演説。11時45分、国賓であるハサナル=ボルキア・ブルネイ国王の演説。12時、軍・警察の行進。12時10分、式典終了。午後4時半~5時半、国旗降納の式典。

さて5月20日、わたしは10時半ごろ大統領府に着きましたが、10分ほど前に式典は国旗掲揚の儀式に入るとアナウンスされてから滞っていました。国賓であるブルネイのハサナル=ボルキア国王の到着を待っていたのです。国賓は11時10分ごろ到着し、二ヶ国の国歌が流れ、両国の元首が特別仕様のオ-プンカーに乗り、会場を一周しました。そして次にようやく国旗掲揚の儀式に入り、国旗は国歌「祖国よ、祖国」の曲に乗って掲揚されたときは11時40分ごろになっていました、以下、上記のプログラム通り式典が進行していきました。

ラモス=オルタ大統領の演説は、英語とテトゥン語を使い分けて約8分間でした。民衆のためにもテトゥン語を使わなければなりません。テトゥン語で大統領はだいたい次のようなこといいました――「5月20日」の記念日にブルネイから偉大な国王を迎えることができた。ブルネイは地域の安定に貢献してきた国であり、東チモールのASEAN(東南アジア諸国連合)加盟を支持してきた国である。ディリ市民の皆さんにブルネイの国王を温かく迎え入れてくれたことに感謝する――と結んだところで観衆から拍手が沸きました。ハサナル=ボルキア国王の演説は、わたしの耳にはよく聴こえませんでしたが、ラモス=オルタ大統領の演説よりもかなり短く、簡単なあいさつ程度の発言だったと思われます。

二人の演説が終わると、軍と警察が来賓客と観衆へ行進を披露し、軍の楽団の賑やかな音楽とともに式典は終了しました。このとき12時10分頃、おやおや、驚くことに終了時間はプログラム通りになりました。

残念だったのはラモス=オルタ大統領に東チモールから世界に向けて世界情勢にかんする思いの丈を発信してほしかったのに、そうならなかったことです。そうなってこそ東チモール「独立回復」記念日にふさわしい行事となるはずですが……。

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幹線道路沿いの大看板。2024年5月16日、ⒸAoyama Morito.

「祝・東チモール民主共和国、

国民に奉仕するため国家機関を結束する。

東チモール独立回復22周年記念」

国の行政機関が適切に国民に奉仕しているかといえば、

残念ながらそうなっていないのが実情だ、とくに医療機関では。

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政府庁舎。2024年5月19日、ⒸAoyama Morito.

ハサナル=ボルキア・ブルネイ国王(左)を歓迎する横断幕。

右がシャナナ=グズマン首相。

どうやら今年はブルネイからの国賓が目玉のようだ。

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レシデレ地区。2024年5月19日、ⒸAoyama Morito.

日曜日なので人通りが少ないのは通常のこと。国旗がさほど目立たない。

そしてバイク・乗用車・ミニバスなどに国旗が飾られていないので、

首都の町全体の彩りが薄く感じる。

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適切な医療奉仕を国民へ

「独立回復」22周年を記念する看板に「国民に奉仕するため国家機関を結束する(結束せよ)」という文言があります(写真1)。しかし実情は真逆であるだけに、是非とも実現するように願いたいものです。行政機関が結束して国民に奉仕してほしいのは教育分野であり、とくに医療分野です。

去年後半あたりから年末にかけて、どうも国立病院HNGV(ギド=バラダレス国立病院、以下、国立病院、[ギド=バラダレス]とは1970年代のフレテリン幹部の名前)で亡くなる患者が多いのでないか、医薬品不足で多くの患者が亡くなっているという類の話がインターネットなどで流れ問題となっていました。今年1月、スイスの「ダボス会議」から帰国するシャナナ首相を空港で迎えたアマンディオ=デ=サ=ベネビデス法務大臣が倒れてしまい国立病院に搬送されましたが、残念ながら急死してしまいました(東チモールだより第510号)。死因は心臓発作と報道されましたが、病院に医薬品がなかったから大臣が死んでしまったという噂がたちました。このように国立病院がなんだか死屍累々という状況にあるイメージが拡散されたのです。これにたいして病院側は、患者が亡くなるのは医薬品不足が原因ではないという否定の仕方をしました。つまり多数が亡くなっているということを否定はしませんでした。国立病院で多くの患者が亡くなっているというのは〝噂〟ではなく本当なのかと怖い思いがしたものです。

そして最近の新聞記事では、国立病院で亡くなった患者数が示されました。2023年7月に132人、8月に131人、9月に146人、10月に166人、11月は151人、12月に164人の患者が亡くなっており、2024年に入って1月に189人、2月と3月がそれぞれ131人、4月になると138人が亡くっていると報じられました(『インデペンデンテ』、2024年5月16日)。以上の数字の平均をとると一つの国立病院で月平均147.9人の患者が亡くなるというのは、人口約130万人の国の首都にあるその国の一番の病院としてはどうなのでしょうか?ニュースでは過去と比較して大きな数字だと報じられていますが、2023年の1月から6月の数字がないので正直よくわかりません。病院自体の規模を考慮すればちょっと多いようにと思えますが……。病院側は死因には様々な病気にあり、あるいは交通事故や傷害事件にあるとして医薬品不足が原因ではないと弁明しています。しかし今や国立病院の問題は国会で与党CNRT(東チモール再建国民会議)からも指摘されており、与野党の共通した懸案事項となっているのです。

発展にはビジョンが必要

野党フレテリンの最高実力者・マリ=アルカテリ書記長の娘であるヌリマ=アルカテリ国会議員が5月第二週に、憶測や政治的に偏った情報を避けるため国立病院を視察しました。遺体置き場では死者は一日10人の場合もあると説明をうけ、薬は18%、医療消耗品は13%しか在庫がないと病院側から説明をうけたと述べました(『インデペンデンテ』、2024年5月15日)。

5月19日、GMN(国民メディアグループ)局の昼のTVニュースのなかで、GMNによるマリ=アルカテリへのインタビューが流れました。そのなかでマリ=アルカテリは国立病院の問題についてこう語りました――最近10ヵ月間で1348人が亡くなっている(上記の7月から4月までの合計より少ない)。これは少なくともの数字だ。なぜ多くの人が亡くなっているのか。医薬品が無いからだ。シャナナが首相に就任してから病院の薬の在庫が減少した。何が間違っているのか?発展のビジョンが無いことだ。マリ=アルカテリ書記長は、シャナナ政権の抱く発展にたいするビジョン(未来像)が間違っていると指摘しているのです。たしかに現在のシャナナ政権は投資の呼び込みによる経済発展に傾倒しすぎています。ちなみにこのインタビューでマリ=アルカテリ書記長は、「野党が強いと国も強い」と述べました。野党が弱いので裏金に固執する政治家に牛耳られてしまった弱い日本の国民の胸に突き刺さる言葉です。

それはさておきマリ=アルカテリは、国立病院で多くの人が亡くなっているのは医薬品が無いからだと決めつけていますが、病院側がいうように患者の病気そのものに原因があるという説を否定する証拠が示されていないので、現段階では断言はできないと思います。

国立病院にかんして医薬品不足に加えて医療サービスの劣悪さも与党CNRT(東チモール再建国民会議)からも指摘されています。CNRT議員の身内が国立病院の救急室にいったところ、そこにいたのは大半が見習い実習生で、解熱・鎮痛剤とシロップしか与えられず、一週間後にまたいらっしゃいと言われたというのです(『インデペンデンテ』、2024年5月15日)。

見習い実習生からうけた措置について、病院側は見習い実習生は初心者なので不具合があることを認めています。見習い実習生が適切でない医療を施すという国立病院の実情もまた人びとに懸念というよりは怖さを感じさせるのではないでしょうか。

国立病院がなぜこんなことになるのでしょうか。マリ=アルカテリ書記長が指摘するように政府の発展ビジョンが無い(または間違っている)からかもしれません。発展とは何か?その未来像・在り様をしっかりと捉えることが発展に向かう国にとって大切です。国民一人一人がより良い生活を手に入れ幸せになることが国の発展であるという確固たるビジョンに向かって東チモールが歩みますように。

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大統領府での「5月20日」の式典。2024年5月20日、ⒸAoyama Morito.

特別仕様のオープンカーでブルネイのハサナル=ボルキア国王と東チモールのラモス=オルタ大統領が会場を一周する。

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大統領府での式典。2024年5月20日、ⒸAoyama Morito.

国旗掲揚の儀式は時間をかけてゆっくり進行した。

風が旗にとっていい按配に吹いた。

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大統領府での式典。2024年5月20日、ⒸAoyama Morito.

式典の最後を飾るのは軍と警察の行進。

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大統領府。2024年5月20日、ⒸAoyama Morito.

式典が終わると偉い人も民衆も混じり合って

思い思いに記念写真を撮る。

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大統領府の庭。2024年5月20日、ⒸAoyama Morito.

式典が終わると子どもたちはプールに跳びこんで

水遊びにキャーキャー。

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青山森人の東チモールだより  515号(2024520日)より

e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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