青山森人の東チモールだより…二重職場の禁止は人権侵害

今年の雨季はまるで梅雨

11月末から始まった曇り時々雨(ときには雨時々曇り)を基本とする天候がいまもなお続いています。もう約一ヶ月もこのような天候が続いているということは、東チモールの今雨季はもはや南国らしい風情が失われ、まるで日本の梅雨のようになっているといっても過言ではありません。

雲の様子を衛星写真で見てみると、11月末から12月初旬に見られていたように、小スンダ列島からチモール海に至るまでの広範囲にわたっておおいかぶさる雲は現れなくなりました。チモール島を除く小スンダ列島をおおう雲と、チモール島とチモール海をおおう雲が分離しました。するとどうでしょう、これと関係するのでしょうか? 雷がぐっと減りました。

ともかく曇り時々雨という日が常態化しているいま、首都デリ(Dili、ディリ)の日照時間が極めて少なくなっています。雲が薄いベールのように空をおおってくれている方が外を歩いているとき、命を危険にさらすような強烈な陽射しを浴びなくてすむので、冷静になって考えると、曇りの方が身体にやさしい天気であり有難く思うべきかもしれません。しかし曇り時々雨の天気は陰鬱な気分になるもので、久し振りに陽が照っていると、外を歩くのはしんどいものの、なんとなく気分が軽やかになるものです。妙なものです。

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クルフンからベコラにつながる大通りに新たにできた中国人の大型店がクリスマス商戦に参加。  クルフンにて、2024年12月2日.

ⒸAoyama Morito.

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上記の店からベコラ大通りを歩くとほどなくして別の中国人の大型店が三日後に開店した。   ベコラ大通りにて、2024年12月5日.

ⒸAoyama Morito.

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ジョゼ=ラモス=オルタ大統領の看板。                         「2024年、みなさんにメリークリスマス」。                        レシデレにて、2024年12月18日.

ⒸAoyama Morito.

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「女将さん」の娘が他界

拙著『東チモール 抵抗するは勝利なり』(社会評論社、1999年8月、184ページ)のなかで、わたしとタウル=マタン=ルアク(* 当時はゲリラ参謀長、現在は元大統領・前首相)をかくまってくれた家の魅力あふれる女性闘士をわたしは「女将さん」と称して描きました。

実は最近この女将さんは海外の病院で治療を受け、帰国してから自宅療養を余儀なくされるという闘病生活を送っています。自宅療養する女将さんの容体をわたしはこのところずっと心配してきましたが、なんとこの12月12日、女将さんの長女が亡くなってしまいました。まだ30代半ば、子ども三人と夫をのこして逝ってしまいました。死因は血の病気とのことらしく、まだわたしははっきり知りません。今年の7月に糖尿病で入院したという話を耳にし、そのときはたいしたことはないともきいていたのですが……。

1997年の年末にタウル=マタン=ルアクと知り合い、一緒にかくまってもらいながらすごした女将さんとその家族との時間はかけがえのない記憶としてわたしの心に深く沁み込んでいます。亡くなったこの娘さんとの交流も、侵略側であるインドネシアの軍人がたびたびこの家を訪問するなど困難な時期だったからこそ面白く想える思い出となり、子どもたちが抵抗運動を支える東チモールの姿をこの娘さんはわたしに見せてくれました。どうかやすらかに眠ってください。

(*)同拙著でわたしは「タウル=マタン=ルアク」を闘争コード名と説明した(176ページ)。しかし現在では、この名前は本人によってカトリック教会に正式な名前として登録されているので、「タウル=マタン=ルアク」は正式な名前となっている。また同拙著でわたしはタウル=マタン=ルアクの両親について、父親は三人の女性を妻としてめとり、タウル=マタン=ルアクの母親は父親の二番目の妻にあたり、二番目と三番目の妻は姉妹であることを同著で書いた(179ページ)。しかしその姉妹と一番目の妻である女性との関係を記述しなかったが、従姉妹(いとこ)の関係にあることを最近わたしはタウル=マタン=ルアクから確認した。そしてその一番目の妻となった女性は第二次世界大戦中(日本軍は東チモールを占領)、日本軍に従軍したことも最近タウル=マタン=ルアク本人からきいた。

保健省からの回覧通知が論争を呼ぶ

さる10月29日、エリア=ドス=レイス=アマラル保健相は医療機関や大学に回状・回章、つまり回覧通知文書を出し、その内容がこの12月になって論争を呼び新聞紙上を賑わしています。回覧通知の内容とは、国の診療機関で働く医療従事者は個人経営の診療所で働くことを禁止するというものです。

回覧通知(ポルトガル語でcircular、テトゥン語でsirkularと表記)とはA4用紙一枚の紙なのか、回覧板のように板にとじられた通知文書なのか、その形体はわかりませんし、その原文のコピーが新聞で掲載されていないので(わたしが見なかっただけかもしれないが)、原文をわたしは読んでいません。しかしながら内容の齟齬について保健省側とそれに反発する側は争っていないので、内容は上述したとおりで間違いないと思われます。

保健省は公務員の医療従事者が二重職場をもつことを禁止するという通知を10月末に出したわけですが、公務員としての医療従事者は属している医療機関で一週間、月曜日から金曜日まで40時間、決められた時間しっかりと医療奉仕をしてください、勤務時間以外は他の診療機関で仕事しないでたっぷりと休んでください、という内容であると解釈すれば何も問題ないようにみえます。

しかし、国の独立した人権機関であるPDHJ(人権正義擁護機関)は、公務員としての医療従事者の勤務時間以外の時間の過ごし方を規制しようとするのは医療従事者にたいする人権侵害になると指摘し、憲法と個別の法律(規則)は背反しあうべきではないともいい、回覧通知の内容が憲法違反であることを示唆します。

AMTL(東チモール医師協会)のルイ=マリア=デ=アラウジョ会長(元首相)も医療従事者の人権に反するとしてこの通知文書の回覧を止めるように主張し、保健相との対話を求めています。アラウジョ会長は東チモールの現実を強調し、こう指摘します――国の診療所に就く医者・看護師・助産師が勤務時間以外に個人診療所で働くことを禁止すれば、個人経営の病院・診療所は公務員でない医療従事者を募集するしかなく、選択肢が一つ減ってしまう。公務員でない医者・看護師・助産師はたしかにいるが、ごく僅かであることは周知のとおりである。そして長時間待合室で待たねばならない公的医療機関より個人診療所を好む市民も大勢いる。保健省が公務員としての医療従事者による私的医療機関での活動を制限すれば、個人の医療機関の診療を好む市民がそこへ行けないことになる――(『チモールポスト』、2024年12月16日より)。

アラウジョ会長によれば、公務員でない医療従事者はいることはいるがごく僅かしかいないので、公務員である医療従事者に私的病院・診療所で働くことを禁止することは私的な病院・診療所の多くが成り立たなくなるということを含意しています。アラウジョ会長の発言は東チモールの厳しい医療現実を浮き彫りにしています。

ジョゼ=ラモス=オルタ大統領も「東チモールはまだこのような通達を出せる状況にはない。他の病院で働くことを禁止できるのは、多数の医者がいて、公立の病院だけで十分な収入が得られる国である」(『東チモールの声』、2024年12月20日)と東チモールの医療実態を重視して保健省の通達に反対しています。

マリアノ=アサナミ=サビノ=ロペス副首相は、憲法は(公務員が)二重に職業に就いたり国家から二重支払いをうけたりすることを禁止しているが、自由時間のときは一般市民と同様に(公務員の)自由を制限していない、といいます。つまり保健省の出した回章の通達には反対の立場をとっているといえます。

医療従事者の人権と医療実態の観点から、どうやらエリア=ドス=レイス=アマラル保健相が出した回覧通知は旗色が悪そうです。通達内容に反した場合の罰則も通知されたのかはわかりませんが、この通達が法的な効力が出るとしたら、それは国会で法案が可決され、さらに大統領によって法律として公布されなければならないはずです。保健相がなぜ政権内で根回しのされていない(と思われる)通知文書を回したのか?その背景が気になります。

12月19日、大統領府でこの件について記者にきかれたシャナナ=グズマン首相は、「来年しっかりと医療制度について研究をする。医者はお金を得るためのたんなる職業ではなく、人を死なせないようにするために人を治療するという大きな使命をもっている」といい、来年、医療制度全般を改善するという趣旨のことを述べました。もしかしてシャナナ首相が医療制度の改革のための〝牽制球〟として保健相にくだんの通知文書を回覧させたのかもしれません。

青山森人の東チモールだより  第525号(2024年12月23日)より

e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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