◆西欧人の名でつづられる人権史
子どもの権利・人権についての講座を聴きながら、熱意があり内容も充実しているのに、違和感が湧いてきたことがありました。子どもと、その権利・人権の説明が、ルソー、アリエス、エレン・ケイ、ペスタロッチ、コルチャック等々のよく知られた名前が並ぶ、いわば西欧の近代啓蒙思想でもっぱら語られていることへの、何となしの違和感です。
例えば幕末・維新の頃、英国人が日本旅行記で、子どもを大切にしていることに驚いている例があります。大切にしていただけではないのが、現実ですが。
その時代の西欧では、「子ども」という概念が「発見」されるまでは「未熟な大人」や「小さな大人」扱いだったのでです。「自分一人で何とか身のまわりの用が足せる年頃(だいたい七際くらい)になると、家庭から大人の世界に放り出され……」(飯島吉晴著『子供の民俗学』1991)ていたと言われます。
◆子どももおとなも対等の人格
違和感とともに思い浮かべていたのは、子育ての習俗や民俗です。
7歳までは神の内と言われました。数え年の7歳ころまでは、いつ神の内に還ってしまうか〈死んでしまうか〉わからない存在の童です。まだ人間の世界に定着しない「神の内」なので、大人は手出ししないで見守るだけだったのでしょう。その分、子どもたちは自由だったと思われます。大人の意図でのしつけたり訓練したりは、しなかったようです。
7歳過ぎると、人間の社会の構成員として子ども組に迎え入れ、共同体の行事などにも参加するようになります。祭りなどでも、子どもの役割がありました。ある程度の自治性もあったらしいです。15歳になると子どもを卒業して若者組のメンバーとなり、一人前となります。
もう一つ思い浮かべたのは、『子どもの文化人類学』(原ひろ子著、1979)の中の次の一文です。
「(カナダ極北に暮らすヘヤ―・インディアンの)人びとの中では、仕事にせよ遊びにせよ、おとなの世界と子どもの世界がはっきり分けられていないのです。ですから、『こんな子どもだましみたいな』という氷原もなければ、『子どものくせに生意気な』ということもありません。……人格としては、おとなも子どもも一人ひとりが独立した対等な人格を備えていると考えられています。」
◆「人財=材」として教育・育成
ここで言いたい習俗や民俗は、自民党の改憲草案や保守・守旧派の言う「伝統文化」とは、まったくの別物です。明治政権による改ざんでつくり出された天皇制と国体の伝統文化ではなく、生活文化、共同体の文化です。
これに関しては、「子ども観の変化~『子宝』から『資源』へ」として、『伝統・文化のタネあかし』(日教組教育総研「日本の伝統・文化理解教育」研究委員会編、アドバンテージサーバー刊、2008)に書いたことがあります。富国強兵、文明開化で欧化政策を進めた明治政権は、子宝にいう人びとの「宝」を、国家の「財・材」に変えて、労働資源とし、兵士として命を捧げさせたのです。
今、各地の学校で行われているキャリア教育は、〈社会に役立ち、受け入れられるワタシ〉を育てる社会への適応教育であり、人財・材教育だと思います。まさに文部科学省推奨の「自己有用感」づくりですが、あるがままの自分らしい自己肯定感を大切にしたいです。(読者)
初出:「郷土教育786号」2025年1月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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