――独裁的なロシアに対するマルクスの批判的な見方について本を書いた、マルクスの専門家ティム・グラスマンへのインタビュー。
<はじめに>
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」とは有名なクラウゼヴィッツの戦争論の要諦ですが、戦争には政治に限らず、その国の在り方が如実に映し出されると思います。特に用兵、兵力の運用の仕方にその国の文化(様式・程度)が反映するのではないでしょうか。私事になりますが、1980年ころ、私は地域で小さな読書サークルを運営していました。そこに参加するひとりに、ベトナムとの貿易を扱う商社に勤めている若者がおりました。当時中越戦争が終わった頃でしたが、この戦争についての彼の裏話は興味あるものでした。特に印象に残っているのは、中国軍の人海戦術のむごさについてでした。当時ベトナム軍は対米解放戦争に勝利したあとで、装備練度とも一級でしたから、中国軍(「人民解放軍」)といえども、前線を突破することがなかなかできない。しかし、べトナム軍すら驚いたことに、中国軍は戦車を押し立てて歩兵の大集団があとからあとから繰り出してくる。強力な対戦車砲によって、中国軍の戦車は一発で砲塔が吹き飛んで擱座しても、歩兵は突き進んでくる。機関銃でなぎ倒しても、雲霞の如く現れては次々に突進してくる。これは勇猛果敢というより、無謀な猪突猛進というべきものだった云々。
そして今日、ウクライナ戦争の最前線では、ロシア兵が中国軍と同じように人海戦術で犠牲をいとわず突進してくるという報道を見聞きして、ああ、中国もロシアも権威主義国家の戦争の仕方は同じなのだと合点がいきました。同様に、かつて旧日本軍でも、兵士の命は1銭五厘(召集令状のはがき代)にしか価せず、天皇から下賜された三八式歩兵銃の価値とは比較にならないとされ、人命は粗末に扱われました。インパールからの反攻作戦を指揮した英軍のスリム中将は、日本軍の強さは、インドにいる獰猛な「兵隊アリ」の強さにすぎないと言い捨てました。そこには東洋人に対する蔑みも混じっているとはいえ、日本兵の強さの秘密が上級の権威への盲従畏服と没自発性にあることを見抜いていたのです。そのうえでの話ですが、いくら獰猛であるとしても、やはり人間はアリではありません。人間を兵隊アリ並みにするには、洗脳とプロパガンダによって自分たちの戦争が聖戦であり、皇軍の戦士である自分たちは、野蛮なる敵を殲滅する使命を負っていると信じ込ませなければならないのです。さらには銃後にいる家族はいわば人質化されており、もし敵前逃亡などすれば、厳しい社会的制裁と懲罰が一家に課されるが故、命令に従う以外の選択肢はありえないのです。
たびたび同じ文言を繰り返して恐縮ですが、ロシア革命100年の歴史において、とどのつまりロシアの国家社会は、市民社会を建設することに失敗し、近代国家の最低条件たる、基本的人権の尊重、法の支配、自由と民主主義を、制度としてもエートス(社会常識)としても実現することができなかった。そのためでしょう、ウクライナ戦争に動員されるロシア兵の圧倒的多数は、辺境に住む貧困層であり、モスクワやペテルブルクに住む大都市住民は徴兵を免れているといいます。戦争は一般社会の在り方を圧縮して反映する。野蛮な侵略戦争を通して、ロシアのお寒い人権状況、差別と分断と貧困のさまが浮き彫りになるのです。
以下の文章で、筆者は、少なくない西側の左翼にみられる民主主義に対する偏見にやんわりと触れています。端的に言い換えれば、西側で喧伝される民主主義などブルジョア民主主義にすぎず、ブルジョアジーの階級支配を隠ぺいするイチジクの葉にすぎない。同様に階級中立的な市民社会など存在せず、在るのは階級社会だけである、と。こうしたマルクス主義についての原理主義的観念は、ロシアのウクライナ侵略が、国家主権や民族自決権――国際法上認知された普遍的価値であり、政治的民主主義の重要な項目である――を侵害するものであることを軽視ないし無視する誤りに陥っているように思います。詳しくは、他日改めて論じたいと思います。
カール・マルクスの対外政策についての専門家:「それではマルクスの半分に過ぎない」
出典:taz 11.1.2025
原題:Karl Marx-Experte über Außenpolitik„Dann ist es eben nur ein halber Marx“
Interview von Yelizaveta Landenberger
https://taz.de/Karl-Marx-Experte-ueber-Aussenpolitik/!6058339
taz: グラスマンさん、カール・マルクスはモスクワに対してどのような考えを持っていたのですか?
グラスマン:マルクスは、ロシア政治の歴史の中で二つの不変の要素を見ていました。それは、専制政治と、帝国主義または膨張主義と言える組織的な侵略の対外政策です。国家の偉大さの表現としての領土の征服には、常に既存の政治単位の破壊を伴います。これら二つの定数を結び付けているのは、ロシアが、ロシア国外からやってきた自由の精神を再び封じ込め、ロシア国内に二度と現れないようにするために、民主主義や共和主義を消滅させようとしていることなのです。1867年、当時分断されていたポーランドとの連帯イベントであるロンドン・ポーランド会議での演説で、マルクスは文字通り、ヨーロッパにはポーランドを回復するか野蛮になるか、そのどちらかしか道はないと述べました。
taz: 著書の中で、マルクスがポーランドに傾倒していたことが詳しく書かれていますね。なぜ彼はポーランドにそれほど興味を持ったのでしょうか?
グラスマン: 実際、彼は生涯を通じてポーランドの独立国家の復活を訴え続けた。ポーランド・リトアニアは、近代的な憲法と一定の三権分立を備えた政治的にはかなり先進的な国だったが、1772年以降、ロシア、プロイセン、オーストリアの3つの独裁国家に分割されていた。遅くとも1830年のポーランド蜂起以来、いわゆるポーランド熱は西ヨーロッパの人々の間に広まっていた。マルクスがエンゲルスとともに『共産党宣言』を執筆していた頃、彼は初めてポーランドの党大会に参加した。遅くとも1848/49年の革命が失敗した後は、ポーランドがロシアを封じ込める有効な手段であると認識したため、この方面への関与をさらに強めたのです。
<インタビュー相手のティム・グラスマンは、マルクスの危機理論について博士論文を書いている。ベルリン・ブランデンブルク科学・人文科学アカデミーの研究員であり、『マルクス・エンゲルス完全版』の編集者でもある。著書のタイトルは「モスクワに対抗するマルクスー労働者階級の対外政策について」>
taz: 現在の状況との類似点は明らかです。プーチンは、オレンジ革命やその後のマイダンが、ウクライナからロシアに波及することを非常に恐れていました。多くの左翼が、一方ではロシアの帝国主義を軽視し、他方では攻撃を受けたウクライナとの連帯を示さないことは驚くべきことです。今日、欧米の左翼の多くは、ウクライナが完璧な国ではないという事実―汚職といったキーワード―など二次的なことにこだわっています。
グラスマン: マルクスの時代でさえ、社会主義者の大多数は、なぜポーランドの独立を支持すべきなのか理解できなかったのです。興味深いのは、マルクスと同時代のミハイル・バクーニンが、ヨーロッパにとって最大の脅威はロシアではなく、当時統一されたばかりのドイツにあると見ていたことです。ドイツ人は 「野蛮と教養(文化)を組み合わせている」とは、バクーニンの言葉のひとつです。だから彼は、スラブ諸民族はドイツに対して団結しなければならないと考えていた。バクーニンは、ポーランドがドイツの勢力圏に陥らないようにするためには、この汎スラヴ計画の先頭に実際にツァーリが立つことも可能だとさえ言っていたのです。それは、今日の雑誌「コンクレット」の立場とほぼ同じです。また彼らの考えでは、ある種のドイツ的在り方が問題であり、EUは「第四帝国」のようなもので、プーチンは反ファシズムの役割を果たしているというのです。そして、ウクライナ人のように自発的に 「第四帝国 」に入ろうとする者は、ナチスにしかなれないというわけです。
taz: プーチンの中に反ファシストを認めるとは驚きですね。
グラスマン:実際に次のように考える人はかなりいます。「プーチンは資本を部分的に管理しているので、これはすでに社会主義に一歩近づいている」と。しかし、それはマルクスの考え方とはまったく違う。彼らは、ウクライナのような国は、その政治形態だけでもロシアよりも進歩的であることを認識していないのです。今日の左翼の多くに、「西洋」に対する存在論的な拒絶がみられます。しかし、マルクスにはこれがありません。なぜなら、彼は市民社会の中にも進歩的な要素があることを認識していたからです。ブルジョアジーは古い絶対主義を打ち破ったのです。
taz: では、根本的な問題は、多くの左翼がマルクスを正しく読んでいないということなのでしょうか?
グラスマン:今日「マルクス主義者」であるということは、せいぜい『資本論』を何度も読み返すことくらいでしょう。マルクスは偉大な経済学者であり、階級、危機、資本の理論家です。 しかし、マルクスは政治理論家としてまともに受け止められていません。たとえば、彼が権威主義的な政治形態に対する偉大な分析者であり反対者でもあり、政治的解放と呼ばれる民主主義を擁護していたという事実は、しばしば無視されています。マルクスが、ロシアの独裁政治の起源に捧げた140ページにも及ぶ一連の論文が、ソ連モスクワに依っている『マルクス・エンゲルス著作集』(MEW)には意図的に収録されなかったことは、象徴的です。しかし、それでは半分のマルクス、切断されたマルクスに過ぎません。私は毎日マルクスのテキストを扱っており、ロシアとポーランドがマルクスにとって重要であることは常に知っていました。しかし、長い間、その背景に何があるのか理解できませんでした。2022年2月24日のロシアの大侵攻は、私を震撼させ、今日もなお私を緊張させ続けていますが、(マルクスを理解するうえでーN)私の目を開かせてくれました。
taz: なぜ政治的マルクスは、マルクス主義者から無視されるのでしょうか?
グラスマン: マルクスの政治理論は、多くの左派が自然発生的に思い込んでいることと矛盾しているのです。そこから、私たちは「資本論」を研究しているのだから、世界の主敵は資本主義大国であるアメリカだ、と短絡につながるのです。しかし、世界には反動的で権威主義的な勢力が存在することを忘れてはなりません。そして、マルクスの外交政策の優先事項は、それらに対して行動を起こすことでした。
taz: あなたは、ポーランドがなぜマルクスにとって興味深い国であったかを説明してくれました。彼はウクライナについて何か書いていますか?
グラスマン: 彼は、キエフとモスクワは決して一緒になるものではないと強調し、17世紀に民主的な特徴を持ちながらモスクワによって破壊されたウクライナの政治形態であるコサック共和国について書いています。マルクスは、ウクライナをポーランドと並んで、独立した民主主義の伝統を持つもう一つの主体とみなしていました。 エンゲルスにとっても、ウクライナが国家であり、ウクライナ語が独立した言語であることに疑問の余地はなかった。彼は当初、歴史的な民族と歴史のない民族という奇妙な考えを提唱していました。とはいえ、ウクライナの運命を決めるのはウクライナだけだ、と彼は生涯の最後に書いています。
taz: あなたの本の中に、マルクスが娘のジェニーと一緒に写っている写真がありますね。彼女は首に大きな十字架を着けています。マルクスは宗教批判家でしたから、それは奇妙ですね。
グラスマン:それはポーランドの反乱十字架であり、ポーランド独立運動への連帯の象徴です。もちろん、マルクスは宗教の友ではありませんでしたが、政治闘争においては極めて現実的であり、些細なことは見過ごすことができたのです。今日、欧米の左翼の多くは、ウクライナが完璧な国ではないという事実、つまり汚職というキーワードなど、二次的なことにこだわっています。しかし、1870年にフランスのボナパルティズムがプロイセンに宣戦布告したとき、マルクスとエンゲルスはこの想定される大国間の対立に中立を保たず、当初はドイツの「ボナパルティズムの攻撃に対する防衛戦争」に組みしました。エンゲルスには、社会民主労働者党がこのような「国家存亡のための戦争」において、「完全な棄権を説き、あらゆる二次的考慮を第一の考慮よりも優先させる」ことは不可能だと思われました。
taz: マルクスの時代と現代の間に本当に類似点を見出すことができるのでしょうか?
グラスマン:私は、マルクスがロシア、西ヨーロッパ、東ヨーロッパの三つ巴の構図を把握する分析の鋭さは、他の追随を許さないと思います。また、地上の社会主義の楽園では決してなかったソ連では、帝国主義政策との一貫した決別もなかったのです。しかしもちろん、マルクスに行けば何でも揃うとは決して言いいません。 今日の地政学的な状況は、中国の存在によって異なっています。現在の資料を批判的に分析し、例えば、1991年以降の西側のウクライナに対する裏切りの歴史を書かなければなりません。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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