2月25日の朝日新聞は、馬場あき子が47年間務めた「朝日歌壇」の選者を退任すると報じた。半世紀近くも選者であったことに改めて驚いた。97歳、「元気なうちに幕を」と3月をもって引退を決めたとも記事にはあった。そして後任は4月から川野里子が務めることになったとも。
さまざまな組織で、同じ場所に長期間留まることは、デメリットの方が大きいというのは、もはや自明のことと言ってもいいだろう。今回の選者退任は、記事によれば、本人の意志だったようである。昨今の歌壇の様相では、若手の活躍もめざましいので、朝日新聞側の意向も影響したかもしれない。本人が言い出さない限り、首に鈴をつけるのは難しいのが常である。「朝日歌壇」は共選制をとるとはいえ、一人の選者が半世紀近くも留まることは、「歌壇」にも少なからず影響を及ぼしたのではないか。2月25日の朝日新聞は、馬場あき子が47年間務めた「朝日歌壇」の選者を退任すると報じた。半世紀近くも選者であったことに改めて驚いた。97歳、「元気なうちに幕を」と3月をもって引退を決めたとも記事にはあった。そして後任は4月から川野里子が務めることになったとも。
そして、いま一つ、私が注目したのは、後任の川野里子は、馬場あき子が立ち上げた「かりん」という結社の有力歌人であったことである。残念ながら、「やっぱり」という思いが強かった。
馬場さん、もう少し度量のある人かな、と思ったが、やはり自らの結社からの後任を条件にしたのではないか。川野さんの作品も評論も歌壇での評価は揺るがないものである。私も、その評論については、格別の敬意をもって読み、多くの示唆を受けている。
もはや、「結社」などどうでもいいじゃないかの声も聴くが、現在の「歌壇」で持つ意味は小さいとは言えない。地方版の歌壇選者にも、後任は同じ結社の人だったりするのを目の当たりにする。
もう一つ、気になるのは、新聞歌壇選者は、一つのステイタスになっていて、なかなかやめようとしない。そうすると、とくに投稿の常連さんと選者の間に、家族を見守るような関係ができて、私情が入り、歌壇欄の私物化につながってしまうことがあるからである。
最近、私は妙な電話をもらった。当ブログ上で、某新聞歌壇の某選者のある件で批判を書いたことがある。だいぶ前の記事だった。その当人からの電話で、ブログの記事によって、私の名誉は傷つけられたが、それをいまさら訴えたりする気はない。ただ、私の話も聴いてから書いて欲しかったという趣旨だった。この選者の件の事案について、新聞社も歌壇も動いてはいない。歌壇に文春砲はない。
もう十年以上も前になるだろうか、やはり、ある歌人、新聞歌壇の選者も務めている人から、似たような電話をもらった。私の著書での批判によって、私の弟子が何人も去っていった? 名誉棄損で訴えたいが準備はできているか、というものだった。戸惑った私は、私の著書のどの部分が名誉棄損に当たるのかを尋ねると、いま、ネット上で、あなたの著書を読んで、私の批判をしている人がいる。私は生きている人間なのだから、あなたは、なぜ私の話を聞きに来なかったのかとも。件の拙著はこれから入手するつもりだとも言っていたが、その後なんの音沙汰もない。
二人に共通するのは、名誉棄損、裁判、そして、批判するなら、直接本人の話を聴け、というものであった。私は、常々客観的な資料の裏付けを求めながら執筆しているつもりである。存命の人の批判をするには、本人に話を聞かねばならないのか。もし反論があるのならば、メディアや自著で明らかにすべきであろう。歌壇が無風なのは、こんなところに要因があるのかもしれない。
私のわずかな体験ながら「インタビュー記事や自叙伝ほどあてにならないものはない?!」という場合があるということも学習した次第である。
話はそれた?かもしれないが、ご容赦を。

春はもうそこまで。3月2日、4月並みの気温だったが、ベランダ前の枝垂れ桜の支柱工事が朝早くから始まった。半日以上かけての工事であった。
初出:「内野光子のブログ」2025.3.3より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/03/post-b5387c.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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