今月で24回目を迎える「ヘーゲル研究会」は、毎月一回、月の最終土曜日の午後行われてきた。「法(権利)の哲学」研究の泰斗である滝口清栄先生にチューターをお願いして、輪読会形式で行なわれている。ドイツ古典哲学のなかでも難解中の難解を以て鳴るヘーゲルだけに読解には苦労するが、60年代のあの過去と現下の混乱の世界情勢などから問題意識や課題意識を触発されつつ、各人各様にヘーゲルに喰らいついていっているのである。私事ながら、私が北海道から東京の大学に入学して驚いたのは、文学部の哲学科や倫理学科の教室は、多くの学生で溢れかえっていたことであった。哲学などやっても喰えないよと、周りの大人から忠告されていただけに、これはうれしい誤算であった。60年代後半は、政治の季節であっただけではなく、哲学の季節でもあったのだと、今にして思う。
もとい、以下の拙文は、筆者による覚書風のメモである。
※ドイツ語のRechtには、法、権利、正義といった意味がある。
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「法(権利)の哲学」§270 国家と宗教との関係について
本文では、へーゲルは国家の目的は、特殊的利益をも保持しつつ、普遍的利益を実現することである、云々と述べています。ヘーゲルの国家のイメージは、それから100年後に打ち出されたマイネッケの所謂「国家理性」や、ウェーバーの国家権力論とは相当隔たっています。後者はかの「職業としての政治」という講演のなかで、トロツキーの定義を援用しつつ、国家権力とは、「暴力装置の独占的所有であり、それに基づき、法の執行にあたって強制力を及ぼすものである」。したがって政治とは、そういう権力をめぐる争闘なのだとしています。それはある時期、ナチスの御用学者を演じたK・シュミットの「政治の本質は、友と敵の区別にある」という定義とも通じるところがあります。第一次世界大戦やロシア革命の「悲劇」を体験した立場からみれば、ヘーゲルの国家論は牧歌的とすらみえるほど、ドイツ的リベラリズムの旧き良き理念を謳ったものといえるかもしれません。私個人としては、現代のグローバリズム=超国家と国家の錯綜した波瀾の時代において、ヘーゲルのドイツ的リベラリズム思想が、危機にあるリベラル・デモクラシーを救い出すうえで、どこまで助けになるのか見極めたいと思います。
さて、§270の註解(Anmerkung)では、ヘーゲルは国家と宗教をめぐる問題圏、つまり政教分離という近代的原理の意義について委細を尽くしております。ヘーゲルは政教分離の起源についてはふれていませんが、それは、16~17世紀に生起したヨーロッパの宗教戦争の教訓を、つまり、新旧キリスト教間での国家権力と結びついての血で血を洗う蛮行の反省を淵源としています。具体的には、ピューリタン革命(1642~1649)から名誉革命(1688)に至る激動の時代を生きたJ・ロックが打ち出した「寛容の精神」こそが、政教分離の思想的源であるといっていいでしょう。宗教上であれ、思想上であれ、自己の無謬性信仰からくる絶対化に起因する、異なる信仰や思想を有する他者を排斥する態度を改め、自己を相対化することによって、つまり可謬性を認容することによって、寛容な精神的態度が生まれます。寛容の精神が成熟していくと、信仰の自由を認め合う社会空間が生まれます。やがて商品経済社会の発展とも相俟って、お互いがお互いを人格として認めあう<相互承認>によって契約社会=市民社会の土台が築かれていきます。そこではプロテスタンティズムに典型的なように、信仰の絶対性が支配するのは、あくまで個人の内面の領域にかぎられ―個人主義信仰――、爾余の世界は、諸価値が併存したり、価値的には中立であったりする領域とみなされます。
このようにして政教一致という古代・中世的原理は廃棄され、公権力は市民の内面的な事柄(信仰、思想信条)に介入してはならず、また宗教も国家権力を政治利用してはならないという、近代国家の原則が確立されることになりました。
しかしよく考えてみると、実は政教分離の原則は、政治原則上の論争よりはるか昔、キリスト教成立時にすでに信仰世界と世俗世界との関係如何というかたちで教義上問題になっていました。それを象徴するのが、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」(マタイ福音書)という有名なイエスの言葉でした。当時ユダヤの地はローマ帝国の支配下にあり、その植民地支配の手先である総督ピラトに税を払うことは是か非かという挑発者の問いにイエスが答えたのが、上の言葉だと言われています。神への信仰と納税義務は、次元が異なるものとして分けて考えよ、信徒としてではなく市民として税を支払うべし、というのがイエスの答えであったと解釈されています。しかし捉え方によっては、イエスの答え方はいかにも方便で、宗教的プラグマティズムのにおいがすると感じられる向きもあるかと思います。
宗教共同体における信仰義務と世俗世界の義務との弁別、両義務間の緊張と相剋の問題は、今日でも通用するきわめて重要な問題だと思われます。我々の生きてきた時代、日本の社会は、「オウム真理教」と「統一教会」という狂信性の強いカルト教団によって、大いに悩まされ傷つきました。それだけにヘーゲルの分析から学ぶべき点は少なからずあると思います。しかしそれにしても、カルト崇拝とまじめな信仰とのちがいはどこにあるのでしょうか。少し回り道の議論になりますが、お付き合いください。
キリスト教の「教会」(ecclesia,church,Kirche)を創始したのは、最初のキリスト教の教父と呼ばれたアウグスティヌス(Augustinus 354-430)でした。彼は、世俗世界から分かたれそれを超越するものとして、教会を「神の国」として定義したのです。つまり、教会は、神の愛の体験を分かち合う信仰共同体として、また神の恩寵を信徒に仲介し救済の手助けをするところなのです。この世における「神の国」であることによって、教会は絶対者への帰依という信仰に純化された精神世界でありつつ、同時に信徒にとっては現実的世界でもあります。信徒たちは、教会という信仰共同体にある意味でかくまわれ、信仰を育み貫くことができました。それは他面では、宗教的ユートピア――イエスの再臨や千年王国など――を教会内にしなやかに「閉じ込めて」、それが世俗世界の在り方と正面衝突することを回避させることになります。
もっともどのような宗教であれ、誕生して間もない荒々しい時期は、宗教的ユートピアをかざして、世俗世界に切り込んで「広宣流布」するものですから、その意味でカルト性を大なり小なり帯びるものなのです。私が上京して間もなく熱烈な勧誘を受けた仏教宗派の新聞は、死の淵から生還した奇跡の物語で埋め尽くされていました。
「こうした(既存の秩序に対する―N)否定的態度がたんに内心の心術や見解であるにとどまらずに、現実界へと向かい、そこで力を発揮するときは、宗教的狂信が生じる」(世界の名著版 P.501)
このヘーゲルの言葉は、宗教的ユートピアをダイレクトにこの世に持ち込もうとする態度から、宗教的狂信が生まれるとしているのです。どういうことでしょう。それには「エホバの証人」という好例があります。この宗派は、聖書原理主義を唱える特異な宗教団体ですが、その教義が精神世界のうちに、あるいは信徒団体内に収まらずに一般社会のうちに出て、輸血による救命という医療の常識と世俗的生命倫理と真っ向から衝突するとき、物議をかもすことになります。そのような信仰にもとづく行為は反社会性をおびて、場合によっては、「オウム真理教」や「統一教会」のように犯罪行為へと暴走するのです。
ヘーゲルは宗教的狂信の機序を、改めて次のような哲学の言葉で説明しています――長いので、パラフレーズしました。
「(宗教的狂信は)神と直接無媒介の関係を求め、無制約性を求めて己の主観性を真理の認識と客観的な権利と義務との知へと高める労働を自らに課さない」(世界の名著版 p.502)
くどいようですが、宗教的狂信とは、この世をあの世に直ちに一体化させることが信仰の義務であると考え、急進的な行動に走ることです。その立場からみれば、あの世とこの世を使い分ける宗教的プラグマティズムは、信仰の純粋さを汚すものだと映ずるのです。ヘーゲルは神と己との媒介的関係を重視するのですが、その場合仲介の役割を果たすのは当然教会ですが、ヘーゲルはそれだけではないというのです。人間はだれでも主観的な確信や霊感から信仰の道に入るのですが、それだけでは真の信仰たりえない。人類が営々と(精神的肉体的―N)労働によって代々築き上げてきた文化教養を我がものとて、信仰を豊かなものにしていく努力が不可欠なのだと言います。その文化教養のうちには、国家機構や法制度などの客観的な秩序に属するものも含んでいます。
へーゲルは、フランス革命におけるジャコバン独裁の残酷さ――政治的狂信性も、宗教的狂信性と似たような機序で行なわれたとみています。「抽象的諸観念が暴力になったとき、…途方もない光景を引き起こしたのである。・・・一切の現存のものや所与のものを転覆して、いまやまったくはじめから思想によってやり直し、たんに勝手に理性的だと信じ込んでいるものだけを。新しい体制の土台にしようと欲したのである」(世界の名著版 §258 p.482)
かつて急進的な青年学生運動に対して、革命運動史では「最大限綱領主義」と名付けられる批判がなされたことがありました。たとえば、「世界同時革命」などという空疎なスローガンで、既存の体制を転覆させられると単純に考えた流派が存在しました。現状と最終目標を媒介する中間的な改良的政策の積み重ね抜きに、一気に最終目標に駆け上がろうとしたのです。未熟と言えば、それまでなのですが、中間が不在ですから、目標達成に失敗するや、今度は一気にニヒリズムにまで転げ落ちる愚を犯すことになります。
さて、結論を急ぎましょう。
ヘーゲルは国家と宗教をめぐる問題で旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)とを随所で比較していまが、ここでは私なりの簡単な比較をしておきましょう。
カトリック教会は、神と信徒を仲介する存在であり、七つの秘蹟(サクラメント)――聖体、洗礼、堅信、叙階、婚姻、告解、終油――という宗教的儀式により、信徒に救済という名の精神的安堵をあたえました。しかしのちのカトリックは、巨大組織化して官僚的硬直化や教義のドグマ化が進み、さらには「免罪符」によって腐敗堕落が進みました。中世国家と競合しつつ、権威主義的原理によってそれを支える役割を果たしました。世界のカトリック教会の信者数は13億人以上で、依然としてキリスト教最大の教派です。共同体的な結合のつよいラテン・アメリカでは多数派であり、ヨーロッパのロマンス語圏である、フランスやイタリア、スペインなどもカトリックの国です。フランスはカトリックの国ですが、1905年制定の「ライシテ法」によって厳格な政教分離が進んでいます。
プロテスタントは、聖書に還れという運動でした。カトリックでは、教会は信徒に聖書を読ませないようにしていました。宗教改革は、神と信徒を仲介する教会の役割を基本的には不要とし、神の言葉である聖書に直接触れることを重視しました。そのため、ギリシア語やラテン語で書かれていた聖書の、民衆の言葉であるドイツ語やフランス語などの民族語訳が進みました。プロテスタントは、信仰の基本を神と我との直接的関係に措く個人(主義)信仰です。M・ウェーバーは、かの「プロ倫」でさまざまなプロテスタント諸派を扱っていますが、それらはいずれもKircheではなく、Sekte(sect)なのです。
プロテスタントは、教会という仲介者を不要とし、個人信仰が基本となるといいました。が、これはこれでまた問題が生じるのです。ヘーゲルは近代の主観性原理をもたらした宗教改革の意義を強調するのですが、その一方で先ほど紹介したように、神と直接無媒介の関係を求める傾向を、宗教的狂信に陥る危険性があるものとして批判的にも見ています。宗教的狂信に至らないまでも、信仰の主観主義化、個人主義化は、それだけでは信仰の共通基盤の喪失という危険性が生じかねないと見抜いているのです。その難題を克服すべく、個人主義原理と共同体原理との高次の統合による共通善の確立を哲学原理の最終目標に措いているのではないでしょうか。これはおいおい追究していきたいと思います。
最後に一言。ヘーゲルが政教分離という近代的な原理を賞賛しつつ、しかしその一方で国家と宗教の精神文化的不可分離性を説いています。ヘーゲルはリベラリズムに立脚しつつも、国家は単純に価値中立的なものでない人倫体でなければならず、そのためには国家と宗教との間に緊張と協力の関係が不可欠とみているのではないでしょうか。マルクス主義系の解釈では、ヘーゲルは市民社会の矛盾――富の偏在と貧困の深刻化――は国家において止揚しうるものとしている、というものでした。しかしヘーゲルの国家は、マルクス主義体系における共産主義――そこでは階級矛盾は、最終的に克服される――と等置されるようなものであるかどうか。私見のかぎりですが、ヘーゲルの市民社会国家論は、今日謂うところの社会国家(福祉国家)の先駆的な構想だったのではないでしょうか。この点もおいおい深めていきたいと思います。
いずれにせよ、国家のリアリズムと宗教のアイデアリズムの相互刺激と相互連携がなければ、人間的生の全うできる政治秩序は可能ではない、§270からそういう印象を受けました。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1347:250310〕