オルハン・バムク(1952~)の『雪』――「9.11」以降のイスラム過激派をめぐる情勢を予見したベストセラー話題作(後)
ドアが叩かれた。Kaは台所から誰かが来たと思った。しかし、飛び出してドアを開けた。暗闇の中にイペッキがいるのを感じた。
「どうしてこんなに遅くなったんだ?」
「遅かったかしら?」
しかし、Kaはその言葉を聞かなかったようだった。
すぐしっかり抱き締めた。頭を彼女のうなじの髪に埋めた。そのまま動かなかった。自分をこの上なく幸せに感じて、待つことの苦しみを馬鹿らしく感じた。それでも、その苦しみで疲れ果ててしまっていて十分には喜べなかった。だから、間違えているとわかっているのに、遅くなったと言ってイペッキを責めて文句を言ったのだった。
しかしイペッキは、父親が出かけるや否や来たと言った。そう、そう、台所に下りていって、ザーヒデに夕食のために一つか二つ何か言いつけたと言った。
でもそれは一分もかからなかった。だからKaを待たせたとは全く思っていなかった。こうしてKaは二人の付き合いのごく最初に、自分の方がより夢中になっていて、傷つきやすいことを示して、力関係で自分が下にいると感じた。
この弱さを怖れて、待つことの苦しみを隠すことは彼を不誠実にすることになるのだ。実際のところ、全てを打ち明けて、恋をしたと思っているのではなかったのか?恋とは、もともと、全てを打ち明けることができることを求めることではないのか?一瞬にしてこの思考の鎖をイペッキに告白するかのように夢中になって話した。
「そんなことは皆忘れてしまってね」とイペッキは言った。
「ここにあなたと愛し合うために来たのよ。」
口づけした。Kaの気に入ったやわらかさの中でベッドに倒れこんだ。この四年間誰とも関係をもたなかったKaにとってこれは奇蹟的な幸せな瞬間だった。そのせいで、この生きている瞬間の肌の悦びにわれを忘れるよりも、むしろその瞬間がいかに美しいかについての思いで一杯だった。
若い頃や初期の性的体験のように頭にあったものは、行為そのものよりもその行為をしていることだった。このことは、まず、Kaを過度の興奮から守った。それと同時に、フランクフルトで中毒状態のポルノ映画のいくつかの詳細や、なぞが解けなかった詩的論理が、目の前を通り過ぎていった。
しかし、自分を興奮させるためにポルノの場面を思い浮かべるのではなかった。以前、頭の中に絶えず幻想としてあったいくつかのポルノの場面を思い浮かべるのではなかった。以前、頭の中に絶えず幻想としてあった幾つかのポルノの場面のその場面のその一部に、ついになれる可能性を祝っているかのようだった。
そのために深い興奮が、イペッキに対してではなく、幻想の中のポルノの女に対して、その女がこのベッドにいることの奇跡に対してであった。服を引っ張って脱がせて、いささか激しく乱暴に、粗野に、不器用に彼女を脱がせると、やっとイペッキであることに気がついた。胸がひどく大きかった。
肩と首の辺りの肌はとても柔らかで、妙な、知らない香りがしていた。外から来る雪明かりで、彼女を眺めた。時々きらりと光る目を怖れた。彼女の目は自信に溢れていた。イペッキがあまり脆く弱々しくないと知ることも彼は恐れていた。
そのために彼女の髪をわざと引っ張った。それを彼女が喜ぶと、ますますやった。頭の中にあるポルノ映画の映像にあったことをやらせてみた。予期しなかった本能の音楽に導かれて乱暴に振る舞った。それも彼女の気に入ったと感じると、心の中の勝利感は同胞愛に変わった。
カルスの町の惨めさから、自分だけでなく、イペッキをも守りたいかのように、力一杯彼女を抱きしめた。しかし思ったほど反応がなかったと感じてそれはやめた。この間、頭の片隅では、性的アクロバットの調和と進展が自分でも思ってもみないバランスで進んでいった。こうしてイペッキから遠ざかった冷静な瞬間に、彼女に暴力で近づいて痛めつけたいと思った。
初出:「リベラル21」2025.03.17より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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