O・パムク(1952~)の人となり――(東西)文化の衝突と交錯を表現する新たな境地を見出す
2006年にノーベル文学賞を受けた際、オルハン・パムクは「故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴を見出した」と評された。
パムクは1952年にトルコの古都イスタンブールの裕福な家に生まれ、現在までの生涯のほとんどをこの地で過ごした。子供時代のこの地は、華やかな観光地ではなく、かつてのオスマン・トルコの栄光が瓦礫となった処を野犬の群れが徘徊。瀟洒な木造建築の屋敷は次々に火事に逢って焼け落ち、その後から醜いコンクリートの建物が生え出す。そして西欧化を目指す人々は過去を忘れることが近代化だと考えている。そのような処であった。
彼は物心がついてから成人するまで画家を志していた。イスタンブール工大で建築学を学んでいたが、執筆業志望に転じ、イスタンブール大ジャーナリズム科を卒業する。1982年、初めて書いた小説『ジュウベット・ベイと息子たち』で文壇デビュー。同作はトルコの文学賞の最高権威とされるオルハン・ケマル賞を受賞した。
翌1983年の次作『静かな家』ではマダラル賞を受賞。85年の『白い城』はほとんどの西欧語に訳され、『ニューヨーク・タイムズ』で絶賛されるなど、国際的知名度を高めた。1998年、『わたしの名は紅』は国内外各紙の書評で大きく取り上げられ、国際的ベストセラーとなり、フランスの最優秀海外文学賞など諸外国の文学賞を受けた。
2002年の『雪』はトルコ北東、アルメニアとの国境付近の町カルスを舞台にした政治小説。前作『わたしの名は紅』をしのぐベストセラーとなった。2005年にはスイス紙へのインタビューで国内でタブー視されているアルメニア人虐殺問題に関して直言し、国家侮辱罪に問われている。
バムクはこの作品『雪』を「最初で最後の政治小説」と規定。作品の冒頭に、「文学作品の中で政治とは、コンサートの最中に発射された拳銃のようなもので、耳障りで忌まわしく、しかも無視することもできないものだ。いま、我々はこの醜いものに触れることになる。」とスタンダールの『パルムの僧院』から引用している。この「醜いが無視することもできないもの」即ち「政治的な事柄」を題材にして、しかも芸術や詩や恋を語り、(さらにミステリーもある)素晴らしい文学作品となっている。
この『雪』は、英訳版(2004年)が英国・オランダ・米国でベストセラーに入った。折からのイスラム過激派のテロリストの動向やイラク戦争なども同書への関心を煽ったとも言われる。
バムクは『雪』の後、『イスタンブール――街と思い出』(2003)を出版した。二十二歳までの自伝と、文学者フロベール、ゴーティエ、ネルヴァルその他によって書かれたものや十八世紀の銅版画(エッチング)などを通して、自分の育った町イスタンブールについて語っている。
評者である私も、2011年に、トルコ国内を十日間ほど旅行している。重宝したのは、店舗の看板がローマ字表記だったこと。アラビア文字からの切り替えは「トルコの父」と仰がれるケマル・アタチュルクの決断による。彼は全国民にローマ字の学習を強制し、自ら街頭に出て大衆の教化に努めた。トルコ人のイスラム信仰はケマルの世俗化政策によってかなり様変わりし、礼拝や禁酒などの戒律遵守は中東アラブ諸国などと比べかなり緩い。そして、その世俗化こそが現代トルコの一定の繁栄を支えている。
バムクに戻る。彼は絶えず実験的で新しいことを作品で試みてきた。インタビューで「新しいものを試さずには、変わったことをせずにはいられない。小説は西洋の伝統だけれども、西洋のしたことを盲目的にコピーするのではなくて、自分にふさわしい、実験的な、誰もがしなかったことを今まで計画してきた。だからノーベル文学賞授賞の理由の一つが『小説芸術を変えたこと』と言われて、とても嬉しかった」と語っている。
2005年、スイス紙へのインタビューで国内でタブー視されているアルメニア人虐殺問題に言及。国家侮辱罪に問われ、世界のメディアから注視された。翌年1月に不起訴となるが、国際的に認知された有名作家の発言はトルコの欧州連合(EU)加盟問題にも関わるトルコの人権問題に波及した。バムク自身は「長年タブー扱いされてきた問題にも触れられるべきだという意図で行った発言が歪曲された」としている。
2006年、フランクフルト・ブックフェアで平和大賞を受賞。翌年、「故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴を見出した」としてノーベル文学賞を受賞。トルコ人のノーベル文学賞受賞は史上初だった。2008年、受賞第一作『無垢の博物館』を発表。近代化の波が押し寄せるイスタンブールを舞台にした恋愛小説で、2012年春には作品世界とリンクした同名の博物館がイスタンブールに造られた。
パムクは当初から小説と現実の博物館を一体のものとして構想。同博物館は小説の内容に沿って展示が行われると同時に、1950年代から半世紀にわたるイスタンブールの市民の生活を再現するものとなっている。ノーベル賞の賞金は同博物館の設立のためにつぎ込まれたという。
コロンビア大客員教授(1985~1988)を経て、2006年に同大の中東言語文化学科教授に就任した。バムクは日本の作家も英訳を通してよく読んでいて、特に谷崎潤一郎に「西欧に耽溺しながら、後に失望し、自国の古典に回帰したところ」に共鳴する、としている。
初出:「リベラル21」2025.03.19より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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