青山森人の東チモールだより…暴走する道路拡張工事

ベコラの景観が一変

4月初めの週、とくにその週末、ベコラの大通り(報道の自由通り)の景観が一変してしまいました。3月末までは、道路沿いの建物を道路から離すための準備として、その建物の道路に面した外壁を壊したり、建物が店の場合は店の商品を撤去したり、あるいは奥行きが2~3メートルぐらいしかない小さな店の場合は建物全体を壊されてもいいように再利用できる物資をすべて撤去したりするなどの作業が行われていました。

4月に入ると、政府機関SEATOU(地名都市計画庁)とおまけ的な存在として添えられている公共事業省がベコラの大通りにやってきて、道路沿いの建物の側面を重機で削って道路の幅を広げる作業を始めました。その作業は4月7日ごろまでいっきに爆走し、結果、ベコラの景観は一変してしまったのです。

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2025年4月8日、

写真右側の建物はベコラの診療所。

診療所前には質素な露店をかまえ、生計を立てる人が多数いた。

その人たちはその収入が得られなくなってしまった。

ⒸAoyama Morito.

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2025年4月8日、

ベコラの大通りをいく歩行者はこのように危険な状態にさらされている。

とくに重機のそばを通るときは恐怖である。

安全第一の工事態勢はとられていない。

ただ重機を振り回しているだけだ。

ⒸAoyama Morito.

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ベコラ住民の反発

SEATOUは今年1月からベコラなど各地区にやって来ては、住民との対話、住民との対話、とお題目のように口に出していますが、〝対話〟の実態は一方的な通知です。そもそもの間違いはここにあります。当然、自分の建物と私有地が重機で部分的に削られ破壊される住民と、いわれた通りのことだけをする作業員とのあいだに口論が生じます。ベコラの景観を一変させる作業の最中、ベコラはものものしい雰囲気に包まれました。

この雰囲気のなか4月6日にベコラの現場を訪れたシャナナ=グズマン首相に、果敢に抗議をする女性の姿がSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)で話題になりました。この女性は、政府は法律に則っていないとシャナナ首相に直に物申すと、シャナナ首相は「だったらわたしを刑務所におくればいい」といいながらさっさとその場を去り、耳を貸そうとしないのです。この女性はアデリナ=ジェスス=ロボさん、ベコラの住民です。『インデペンデンテ』(2025年4月11日)の論説にアデリナさんの発言がとりあげられていました。

「カイ=ララ=シャナナ=グズマン首相率いる第九次立憲政府は、道路拡張工事に異を唱えるベコラ住民の反応に直面している。(道路拡張工事に)影響を受ける住民は政府機関のおこなう指し定めに同意しないのである。影響を受ける住民の一人であるアデリナ=ジェスス=ロボは、住民はまだ(工事を)受け入れていないのに、そしてまだ通知書類も受け取っていないのに政府は建物を取り壊していると嘆く。アデリナによれば、住民とSEATOUの第一回目の対話集会のなかで最初にいわれた指し定め(移動距離)3メートルに住民は同意したのであり、二回目の指し定めについて住民はまだ同意していないのだという。

そして同紙はアデリナさんの発言を紹介します。「わたしたちは法律に則った開発を歓迎します。しかし清算・公開性そして事実に沿うことが必要です。土地はまだ手放されていないのです」。「国民がいて国家がある。国家は国民を守らなくてはなりません。しかし補償はまだです。補償がいくらなのかもわからない。まだ同意はしていないのです」。「土地収用・土地使用にかんする法律によれば、国が私有地を公共利益のために使用することは可能ですが、国は手順を踏まなくてはなりません。住民を立ち退かせるだけなら人権侵害です」。

このように語るアデリナさんは、新聞やSNSでは道路拡張の影響を受ける住民という肩書がついているだけですが、弁護士でもあるのです。彼女がたんなる住民ではなく弁護士であると知れば、上記の発言がいかにも法律の専門家らしい発言であると改めて納得できます。

シャナナ首相はもはや専制的

4月10日、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領との会談後の記者会見のなかでシャナナ首相は、ベコラの住民が不満を募らせていることについて次のように述べました。「土地は土地所有者のものである。まったくもってそのとおり。わたしはかれらに云った。裁判に訴えるならわたしは刑務所にいく用意がある、と」。「われわれは(ベコラの)橋の側面を拡張した。そう、わたしが命令した。車両がもっと通れるように道路の幅を広げるように、と。これに敬意を示さないとなれば、わたしは刑務所にいく。そして(土地所有者は)大きな壁塀をつくって道路に来れないようにすればよい。土地は土地所有者のものなのだから」(『東チモールの声』(2025年4月11日)。

また同じ記者会見でシャナナ首相は、ベコラの住民とSEATOUとの間の問題をどのように解決するのかと記者に問われると、政府はクルフンの道路を改修工事したが、クルフンの住民は政府に権利も何も要求しないから工事をすることができたのだ、と返答したのです(同新聞より)。

以上の発言から、道路拡張工事を政府機関に指示するシャナナ首相の立ち位置が明らかになります。住民の苦情には耳を貸さない、住民が権利を主張しなければ政府は政策を順調にすすめることができるのだ、という専制的な姿勢です。今回の道路拡張工事にかぎりません。今年1月から始まった川沿いに不法居住する人たちは無慈悲に家を壊され追い立てられ、去年、路上の露店が警察の暴力で蹴散らされ、さらに遡ると、約1500人の契約教師は一方的に契約が打ち切られると、話し合いを求めて抗議行動をする元契約教師たちを警察が痛めつけるなど、現シャナナ政権が発足してから生じている当局による国民への一連の横暴行為は、シャナナ首相の、話し合いをして問題解決をしようとする意志の欠如を雄弁に物語っています。

それにしても上記のシャナナ首相の言い方は不誠実極まりないといわざるをえないと思います。住民が国を訴えたら「わたしは刑務所にいく」という言い方ですが、まず第一にこの発言の裏には――わたしはこの国の解放運動の最高指導者だった人間だ。そのわたしが罪に問われるはずがないではないか――という冷笑的な態度が感じとれます。シャナナ=グズマンは歴史的事実として解放運動の最高責任者でした。シャナナ首相は自分が〝アンタッチャブル〟な存在であることを甘受して政権運営をしているとすれば、この国にとってこんな不幸なことはありません。第二に、訴えられたら刑務所にいくというならば政府は違法なことをしていることを認めていることになり、SEATOUに作業停止を命令しなければならないことになりますが、作業停止の可能性を微塵も示唆しません。つまり非論理的な態度をとっているのです。第三に――これが一番重要ですが――、文句を言われたら自分が刑務所にいくという極論を言い放つ不誠実な対応です。まずは住民の声を聴き、批判に耳を傾ける姿勢こそ、解放運動の指導だったシャナナ=グズマンに求められるはずですが、その真逆な態度は国民を悲しませ、希望を失わせることになります。

それにしても「土地所有者は大きな壁塀をつくって道路に来れないようにすればよい。土地は土地所有者のものなのだから」という言い草はひどすぎます。いまのシャナナ=グズマンはむかしのシャナナ=グズマンと完全に別人になってしまったとしかいいようがありません。

社会正義を犠牲にしない開発を

先述した『インデペンデンテ』の論説記事に戻ります。アデリナさんの発言をうけて同記事は、

開発は必要であるが社会正義を犠牲にしてはならないと主張し、民主主義国家において人権は守られるべきであり、国民に寄り添った開発をするために、立ち退き問題において政府がとるべき働きを三つ提案しています。

第一に、対立の危険性を取り除くために一方的な通知ではなく住民参加の透明性ある計画を話し合いで進める。

第二に、影響を受ける住民とくに家を失う人や商いができなくなる人が苦しまないように適切な補償を政府が与える。

第三に、立ち退きをしてもらう場合、人道的手順を根本に据える。立ち退きは過酷なものである。社会正義を守るために政府は教会や市民団体などと仕事をするべきだ。

そして同記事は現政権が直面しているのは、国民の生活を破壊しないようして開発をいかにすべきか、という大きな課題なのであると結んでいます。まさに然り! ニュースでは巨額の費用が投じられる「タシマネ計画」(南部沿岸開発事業)が具体的に動き出そうとしていることがさかんに報じられているいま、道路拡張工事でさえこうなのだから、大規模開発は一体どのような災禍が住民に降りかかるのか……? 一抹の不安どころの話ではありません。

住民の善意を踏みにじるな

一変したベコラの景観のなかでとくにわたしの目を引いたのが、「ビラハルモニア」の入り口です。「ビラハルモニア」は、インドネシア軍事占領下の1990年代、わたしが随分とお世話になった宿で、その主のペドロさんとはそのときからの付き合いです。

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2025年3月29日、

ベコラの「ビラハルモニア」の入り口前。

3月下旬の時点では小さな店々は取り壊しを覚悟して

内部を撤去した状態であった。

ⒸAoyama Morito.

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2025年4月8日、

「ビラハルモニア」の入り口前。

上の写真がこうなってしまった。

学生たちが日々利用していた小さな店々は

跡形もなく破壊されてしまった。

「ビラハルモニア」の門もなくなった。

ⒸAoyama Morito.

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あまりにも幅広くえぐられてしまった「ビラハルモニア」の入り口の残骸光景は、1999年9月にインドネシア軍が撤退前にやった破壊活動や2006年の「東チモール危機」でペドロさんの家の一部が破壊されたことを含めても、〝いい勝負〟ではないかと思わせるほどです。それほど取り壊された建物の容量が多いということは、つまりそれだけ広い範囲で私有地を国に接収され土地を失うことを意味するのです。4月8日、わたしはペドロさんに話をうかがいました。

「いやはや、かなりの範囲でやられましたね」とわたしがいうと、顔をしかめることなく平然とした表情をしてペドロさんは、「政府の人間は愚か者ばかりだ。かれらは自分で何をしているのかわかってない」といいます。3月末までには近くにある私立大学の学生が利用するコピー屋さん・文房具屋さんの小さな店々の内部を撤去し、4月、建物の取り壊しは政府が重機でやったといいます。連なっているこれらの店々の補償はどうなっているのかときくと、いまのところその話はないとのことです。店々の内部を撤去することでかかった費用や、店々が運営しないことで被る損害など、些事にわたる賠償・補償を話し合ってから人様の建物を取り壊すのが人としての作法であるはずですが、シャナナ政権はぶっ壊すことがまず先にありきです。

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2025年4月11日、

「ビラハルモニア」の入り口付近。

二階建ての建物に注目。

縦に亀裂をいれているが、

道路から建物を離すために切り崩すためである。

これをするのは建物の所有者である。

このように道路拡張工事は過重な作業を住民に強いている。

そして政府は重機でその建物の一部を壊す。

ⒸAoyama Morito.

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またペドロさんは「政府内に統一性がない」と何度もいいました。これは、政府にはちゃんとした開発計画がない、政府の対応がまちまち、と一般によくいわれる批判と一致します。シャナナ首相に道路を拡張せよと命令されても、部下たちがシャナナ首相に提言したり進言したりすることができる環境になければ、現場で働く部下たちが住民に統制のとれた対応をとれないのは当たり前です。現シャナナ政権を発足からその動向を観ると、シャナナ首相は自分に文句を言えない人員を配置しています。当然、政府は住民と向き合うことはせず、シャナナ首相の顔色ばかりをうかがうことになり、面倒なことになります。道路拡張工事で起こっている住民との摩擦がそれです。

では、住民は政府の開発計画に徹底抗戦の構えを見せているのでしょうか。ペドロさんは、「住民は開発が必要であることは理解している。政府に喜んで協力したいと本当に思っているのに……」といいます。「政府に協力したい」――これは報道を通してよく聞く住民の発する意見です。ペドロさんは、自分のことを含めて住民は本当にそう思っているのだといいます。政府に協力したいという住民の善意をシャナナ首相は汲んでやれば円満にすむのに、なぜ踏みにじるのでしょうか。ずいぶんと罪づくりなことをするものです。

青山森人の東チモールだより  easttimordayori.seesaa.net

第533号(2025年4月14日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14195250414〕