<はじめに>
トランピズムとは、一部で譲歩しつつも世界の覇権的支配は維持し、かつ傘下にある諸国の安全保障のコストと責任は基本的に負わないという身勝手極まりないものである。このような極端な自己中心主義では、西側同盟国を束ねることは現実政治的にも政治道徳的にも不可能である。衰えつつある国力の歴史と内部構造を直視することなく、非を一方的に他国に転嫁するやり方は、衰退を加速するだけであろう。しかも覇権国家であり、基軸通貨国であるアメリカの身勝手な振る舞いは、世界経済に甚大な影響を及ぼす。1930年代の世界恐慌は、ニューヨーク株式の大暴落を起点としたが、今回はトランプの高関税政策が起点となり、株式の暴落~金融恐慌~世界の全般的危機という負の連鎖を引き起こす可能性がある。経済恐慌は、国際関係においても、国内状況に措いても、諸勢力の分断と対立抗争を不可避とする。ファシズムの抬頭の歴史を顧みればわかることだが、そのような状況下では、多くの国民が安定化と求心軸を求めて独裁者の登場を許すのが通例であった。
この世界の趨勢を読み解くには、かなりの程度レーニン帝国主義論が役に立つのではなかろうか。ニ十世紀初め、欧米諸列強の経済戦争はますます白熱化してきた。金融寡頭制の支配の下、列強間の経済の不均等発展は、既存の地政学的版図を揺るがし、市場再分割のため列強間での戦争を不可避とする、とレーニンは述べた。その後第二次世界大戦を経て、レーニンが不可避とした世界戦争を回避するため、国連の創設、国際通貨体制、自由貿易体制といった国際協調の制度的枠組みが構築された。もちろんその裏付けは、アメリカの圧倒的な経済力軍事力であったのではあるが。
それから80年ほど経て、欧米諸国の国力の相対的な衰え、中国、インドをはじめとする新興諸国やグローバル・サウスの抬頭が顕著となった。そうした変化に対応できない既存の枠組みは有効性を失いつつあり、それゆえ地域紛争が、地政学的な版図をめぐる戦争につながる危険性が高くなっている。その意味で、世界はレーニンが分析した野蛮な時代に後戻りしつつあるといってよいのではないか。資本の野蛮さの復活は、グローバリゼーションが席捲する国際関係にかぎられず、資本主義システムの新自由主義型への変容から来るとされている(デヴィッド・ハーヴェイ)。従来のやり方では利潤を確保できず、資本蓄積に困難をきたすようになった資本は、生産過程だけでなく、自然過程を含む社会生活のあらゆる領域を市場へと包摂し、搾取と収奪を強めている。
トランピズムの保護主義政策は、グロバリゼーションによる国内産業の空洞化に対する反動であり、ビックテックや金融資本がそんな愚策に本気で協力するわけもない――そこがトランプの弱点になろう。いずれにせよ、トランピズムは自由貿易体制の破壊と世界経済のブロック化を招く危険性がある。もちろん自由貿易体制といってもフラットな相互依存の体系であるわけではなく、巨大な多国籍企業や金融資本の活動を規制しえず、世界的な貧富の拡大や地域格差の拡大に対して有効な手立てを講じえないでいる。しかしたとえそうであったも、自由貿易体制が、恐慌と戦争への防波堤であることは世界の一致するところだ。国際的なルールを破壊すれば、世界は魑魅魍魎の跋扈するカオスとなり、弱肉強食の鉄のおきてが支配することになるからだ。
西欧文明と西欧型市民社会は、民主主義、人権、法の支配などといった普遍的価値体系を創出してきた。普遍的であるというのは、それらの価値を体現する制度設計と構築において、それぞれの国がおかれた歴史的社会的条件の違いに応じて特殊的な色彩を帯びるものの、しかし人類史においてあまねく共通する準拠点たるの意義を持つということである。もっともその価値体系には、上から強制的に押し付けられるものでないことも適用規定として含んでいる。
以下、西独68世代のエースだったヨシュカ・フィッシャーによる今後の世界の見通しを紹介する。おそらく頭脳においてはフィッシャーに劣らないであろう上野千鶴子氏や姜尚中氏が、大新聞の人生相談蘭の人気アドバイザーとなっている光景を見て、複雑な思いに駆られるのは私だけであろうか。
欧州が最後の希望か?(書評)
――ヨシュカ・フィッシャーは最新刊※の中で、権力に基づく新たな世界秩序について述べている。絶え間ない武力紛争への回帰はあり得るのだろうか?残念ながらそうだ、と当コラムニストは言う。
出典:taz FUTURZWEI 22.4.2025
原題:Europa als letzte Hoffnung? Von Udo Knapp
https://taz.de/Kommentar-zu-Joschka-Fischers-Ideen-einer-neuen-Weltordnung/!vn6083201
※書名:Die Kriege der Gegenwart und der Beginn einer neuen Weltordnung「現在の戦争と新たな世界秩序の始まり」J・フィッシャー著

未来への道筋を示す:ヨシュカ・フィッシャー元外務大臣/dpa
ヨシュカ・フィッシャーは最新の世界政治診断の冒頭で、「ルールに基づく世界秩序からパワーに基づく世界秩序への移行」、つまり「競合する大国間の絶え間ない武力衝突の過去への回帰」について述べている。赤と緑の(社会民主党と緑の党のシュレーダー連立政権)時代の外務大臣、が最新刊で投げかけた大きな疑問、それは「80億人以上の人々が将来どのような世界秩序の中で暮らすのか」というものだ。「秩序がなく、複数の大国が対立し、利害、価値観、非合理的な野望を抱く混沌の中で、しかし、それ以前の世紀とは対照的に、核兵器、デジタル技術、人工知能を備えている?」
我々は(今も)どのような世界秩序の中で生きているのだろうか?
フィッシャーにとって、今日の世界秩序の重要なデータは、プーチンがツァーリズム的な大国主義を政治的な指令に昇華させたこと、独自の将来モデルを持たずに中国に依存するようになったこと、ヨーロッパを不安定化させる可能性があるが、中国のジュニア・パートナーとしてしか世界権力の展望を共有できないことある。習近平は中国共産党の新毛沢東主義時代を引き継いでいる。彼は中国を経済的、技術的、軍事的に世界第2位の大国へと導いた。中国は共産主義を自称する独裁国家だ。ここでは社会の普遍的利益は国家理由であり、いかなる個人の自由よりも優先されるのである。
ドナルド・トランプ米大統領は「アメリカを再び偉大に」キャンペーンで米国の孤立主義に立ち返っている。アメリカが経済的、技術的、軍事的に依然として世界一の強国であるため、彼にはそれができる。トランプは、合理的であろうと非合理的であろうと、あらゆる手段を使って全世界に対するリーダーシップを主張し、アメリカの利益を貫徹するだろう。
ヨーロッパとグローバルサウス
欧州とEUは、パワーポリティクスと防衛の面で弱体であり、人口減少の影響を受けて内部分裂している。アメリカとともに大西洋同盟の中でグローバルな政治的役割を果たしたいのであれば、EUは権力の集中化を実現しなければならない。これが成功しなければ、汎大西洋的な自由な西側諸国はもはや存在しない。そうなれば、ヨーロッパは世界政治において役割を果たさなくなる。これは、アメリカの大規模な援助がなくても、ヨーロッパがウクライナを独立国家として確保することに成功するようでなければ、なおさら当てはまる。
フィッシャーによれば、イスラエルの将来をめぐる中東での戦争は、対立する国家が共存するための拘束力のある枠組み条件を設定するうえでの現在の世界秩序の弱さを示しているだからこそ、中堅国イランは地域全体を不安定にし、世界中で宗教的、イデオロギー的な紛争を引き起こすことができるのだ。
世界の新たな分割
最後に、世界が民主主義と独裁主義に分裂する状況が定着していることに注目すべきである。双方が権力と影響力を争っている。フィッシャー氏は、「アメリカの自由主義の原則、その力と創造性、そして西洋の覇権」の上に築かれた以前の世界秩序は、「この世界的な権力構造の前に、力と受容性を失ってしまった」と語る。新たな世界的秩序の枠組みがなければ、混乱と戦争が世界政治を不安定にし、地域大国は戦争とテロを通じて自国の利益を貫徹する機会を利用することになるだろう。このような地政学的状況において、フィッシャーは世界平和のためにひとつの選択肢しかないと考えている。「世界共同社会にとって最良の選択肢は、この2つの世界的大国が保証する、等しく協力に基づく米中平和である。そうすれば、世界は改めて世界的な安定を取り戻すことができるだろう」
現実政治と普遍主義的民主主義
この考えは、「米中二極体制」(Duopols Amerika-China)の現実政治的な合理性に依拠しており、彼ら自身の社会モデルの世界的な政治的知的覇権を放棄することを前提としている。フィッシャーは、このようにして、自由主義的な西欧の民主主義と法の支配の理念を、そして自由と人権の正当性を普遍的なものとする主張を、自らの影響圏内でのみ確保される単なる権力政治実体へと局地化している。世界は、権力政治的に割り当てられた影響力の及ぶゾーンに分割され、そこには厳格な不干渉協定が適用される。
数十億の人々にとって、民主主義は到底達成不可能な夢物語に過ぎないだろう。彼らにとって抽象的な世界平和のためなら、恣意性と抑圧も容認されるだろう。リベラルな自由運動を破壊的に、必要であれば暴力をもって支援してきた西側の偉大な伝統は、歴史に残ることになる。(しかし)それは難しいことだが、他方で、ヨシュカ・フィッシャーは、アメリカの大西洋をまたぐパートナーとして、また西欧の思想と行動の共通の拠りどころとしてのヨーロッパを簡単に諦めるわけではない。彼は、ドイツが推し進めるEUの深化を、西側諸国全体を普遍主義コースに保つ好機と見ている。彼は、プロイセンの権力闘争から抜け出し、そして二度の世界大戦を引き起こして自ら世界大国になろうとしたドイツ国家の発展の跡をたどる。彼は、1945年以降の、家父長的に連合国に伴われながらのドイツ連邦共和国の台頭の経緯を、そしてアデナウアーによる西側への忠誠政策を経て再統一に至り、EUの中心的な民主主義大国となった――それは、EUのために意図的に主権を放棄したからこそ成功した――経緯を述べる。ドイツは、自己利益と自己責任の観点からリベラルな西側のために立ち上がり、EUの深化に積極的に賛成し、ヨーロッパにも広がっているネオ・ナショナリズムに反対しなければならない。ヨシュカ・フィッシャーによれば、EUはトランプ大統領にもかかわらず、アメリカを全世界のためにリベラルな方向に導くことができるという。これは、ヨーロッパの歴史的な重みに確実に対応する役割である。そして、これはフィッシャーからドイツの政治家への明確なメッセージでもある。
(機械翻訳により、適宜修正した)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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