二十一世紀ノーベル文学賞作品を読む(12-上)

M・バルガス・リョサ(ペルー、1936~2025)――権力構造のからくり、優勝劣敗の構図を鮮明に描き出す

ペルーの現代作家M・バルガス・リョサは2010年、ノーベル文学賞を受けた。授賞理由は「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」。
その代表作の一つ『フリアとシナリオライター』(野谷文昭・訳。河出文庫)の一部を私なりに紹介しよう。舞台はペルーである。

もう随分昔のことだ。当時僕は未だとても若く、ミラフローレス地区のオチャラン街にある白壁の屋敷に祖父母と共に住んでいた。サン・マルコス大学の法学部に籍を置いてはいたけれど、いずれ何らかの自由業で食べていかざるをえないことを覚悟していたと思う。もっとも心の底では、作家になることを望んでいた。その頃僕はラジオ・パナメリカーナで働き、報道部長という派手な肩書きにそぐわないささやかな報酬を得ていた。
それでも職場では自分勝手なことができたし、勤務時間も融通が利いた。仕事の内容は、各新聞から面白そうな記事を拾い出し、適当に手を加えてニュース番組用の原稿に仕立てるというものだった。
僕の下で編集に携わっていたのは、パスクアルという髪を整髪料で塗り固めた青年で、彼は大惨事が三度の飯より好きだった。ニュースは正時ごとに一分間流されたが、十二時と夜九時の<エル・パナメリカーノ>だけは十五分過ぎに始まった。いずれにしても、何回分かを一度に準備しておけたので、僕は外に出ては長いこと街を歩き回り、コルメナ街でコーヒーを飲んだり、時には大学に顔を出したり、僕たちの仕事場より活気のあるラジオ・セントラルに寄ったりしたものだった。

二つの放送局は同じオーナーが経営し、サン・マルティン広場から目と鼻の先のベレン街に隣り合うようにしてあった。似ているところは何一つなく、むしろ悲劇に登場する姉妹のように、一方は気品を具えているのにもう一方は欠点だらけで、実に対照的だった。
ラジオ・パナメリカーナは真新しいビルの二階と屋上を占めていて、スタッフも番組も野心的で、スノッブでコスモポリタン的な雰囲気を具え、モダンであること、若々しいこと、そして貴族的であることを売り物にしていた。アナウンサーはアルゼンチン人ではなかったが(ペドロ・カマ-チョならそう言ったに違いない)、そうであってもおかしくはなかった。
溢れんばかりのジャズとロック、それにクラシックを少々という具合に音楽を盛んに流し、ニューヨークやヨーロッパの最新ヒットをいち早くリマに紹介した。だからといって、ラテンアメリカの音楽をないがしろにした訳ではない。但し最低限の洗練度が常に要求され、国産ならば厳選された上で<ワルツ>のレベルの音楽のみが電波に乗った。

<歴史を作った人々><世界は今>といった幾分のんびりした知的番組がある一方で、<クイズ・コンテスト><有名人への大ジャンプ>のような軽いノリの番組もあったけれど、度を超す馬鹿馬鹿しさや俗っぽさに陥ることはできるだけ避けようとする意志のようなものが窺えた。
パスクアルと僕が受け持っていた報道部があること自体、文化に対する配慮の一つの証だった。報道部のオフィスは屋上に建てられた木造の小屋で、そこからは点在するゴミ捨て場や、リマの家々に未だ残るコロニアル・スタイルの窓が見えた。屋上の小屋へはエレベーターが通じていたが、いつも着く前に扉が開いてしまうという恐ろしい代物だった。

それに引き換え、ラジオ・セントラルの方は、中庭や迷路のような廊下が沢山ある古い屋敷にちんまり納まり、スラングを連発するアナウンサーの悠長な喋り方を聞くだけで、その大衆性と郷土色が感じ取れた。ニュースはほとんど扱わず、ペルー中心のアンデス音楽が幅を利かせていた。
インディオの大物歌手が公開番組に出演することもちょくちょくあり、そんな日は何時間も前から人々が入り口に群がっていた。ブラジルやカリブ、メキシコ、アルゼンチンの音楽も盛んに流し、特にユニークなところもなく、単純で、誰にでも受け入れられる番組だった。例えば<電話リクエスト><誕生日にはセレナーデ><コメディ界の噂><セルロイドと映画>といった具合だ。しかし何といってもメインはラジオ劇場で、放送される回数もさることながら、高視聴率を得ていることが、あらゆる調査によって裏付けられていた。
その種の番組は一日に少なくとも六回は放送され、マイクに向かう声優たちの様子をこっそり見るのが僕の大きな楽しみだった。落ち目を迎え、食うに困った惨めな男優や女優の若々しく優しい透明な声と、彼らの皺だらけの顔や不愛想な口、くたびれた眼は、余りにも大きくかけ離れていた。

熱帯魚の水槽みたいなスタジオの中で、台本を両手にマイクを囲み、「アルベアル家の人々」の第二十四回を始めようとする声優たちをガラス越しに指差しながら、ヘナロ・ジュニアは予言めいたことを言った。
「ペルーにテレビが普及したら、連中は自殺するしかないだろうよ」。
実際、ルシアノ・バンドの声にほろりとする主婦たちが、彼の丸くなった背中と藪睨みを目にしたとしたら、ホセフィナ・サンチェスの甘い囁きに若かりし頃を思い出す年金生活者たちが、彼女の二重顎や口髭、絶えずぴくぴく動く耳や浮き出た血管を目にしたとしたら、さぞかし幻滅したことだろう。けれどテレビがペルーにやって来るのは未だ遠い先のことで、ラジオ劇場の数ある番組の人気は当分安泰のようだった。

初出:「リベラル21」2025.5.09より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6750.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14210:250509〕