SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】633 五月のポリサリオ

 5月10日に、西サハラ独立運動の指導組織であるポリサリオ戦線が創設されました。

 5月20日に、ポリサリオ戦線は、ラクダ1頭と数丁の旧式ライフルで初出陣しました。

 今から52年前にサハラ砂漠で蜂起した話です。 そして、今もそのサハラ砂漠を舞台に、ポリサリオ戦線を中心にして西サハラの人々は独立を目指し苦闘しています。 

 5月病、5月雨、5月晴れ、、と、日本の5月はなにかとうっとおしいものですが、西サハラの人々にとって、5月は特別な月です。 

① 2025年5月12日、オマル博士の西サハラ難民キャンプ・テレビ声明 :

 「国連総会の要請により、<国連西サハラ調査団>が1975年5月12日から19日にかけて西サハラを訪問してから、50年になる。この訪問は、当該地の人々や領土内の状況に関する直接的な情報を得て、脱植民地委員会の任務遂行を補助することが目的だった。」と、オマル博士は西サハラ難民キャンプのテレビでポリサリオ戦線の声明を読み上げた。

       国家事務局メンバーで国連ポリサリオ戦線代表でMINURSOミヌルソ                       (国連西サハラ人民投票監視団)調整官のシデイ・オマル博士

 オマル博士は、西サハラ国家事務局のメンバーで、国連のポリサリオ戦線代表でMINURSOミヌルソ(国連西サハラ人民投票監視団)の調整官で、国連における西サハラ大使役を務めている。

 オマル博士はテレビ声明で、1975年5月の国連西サハラ調査団報告書の3点を強調した。

1―西サハラの人々は独立の選択で一致しており、モロッコとモーリタニアの両国に帰属することを拒否している。

2―Frente Popular para la Liberación de Saguia el-Hamra y de Río de Oro(Frente POLISARIO)は、支配的な政治勢力であり、調査団がFrente POLISARIOを支持するデモなどで目撃したように、当該地の人々の支持を得ている。

3―国連総会は、当該地の人々が1960年12月の国連総会決議1514(XV)および関連する決議に従って自己決定権を行使できるようにするため、実際的な措置を講じるべきだ。

 <国連西サハラ調査団>は結論として、「国連総会がフレンテ・ポリサリオをサハラ国民の唯一の正当な代表と認め、国連レベルでこの問題を、国連決議1514(XV)およびその他の関連決議に従って西サハラ国民が自決権を行使することによってのみ、解決できる脱植民地化問題として引き続き扱うように」と、勧告した。

② ポリサリオ戦線の創設者エル・ワリ:

 <Frente Popular para la Liberación de Saguia el-Hamra y de Río de Oro(FrentePOLISARIO)>と言う長~いスペイン語の名前を西サハラ独立運動組織につけたのは、創設者のエル・ワリだ。日本語に訳すと、<サギア・エル・ハムラとリオ・デ・オロの解放のための人民戦線>となる。<サギア・エル・ハムラ>はアラビア語で<赤い涸れ川>を意味し、西サハラ北部を指す。<リオ・デ・オロ>はスペイン語で<金の川>の意味で、西サハラ南部を指す。二つ合わせて、西サハラ全土のこととなる。POLISARIO(ポリサリオ)は長~い名前の頭文字を取ったもので、エル・ワリが蜂起した1973年の西サハラはスペイン植民地だった。

 学生時代のエル・ワリ

 エル・ワリは1948年6月、砂嵐が舞う西サハラ砂漠のテントで、産声を上げた。一家は、ラクダや羊を飼い生計を立てるベドウィン(アラビア語で砂漠の民)遊牧民だった。7才になったエル・ワリは羊を任され、兄二人は父のラクダ飼いを手伝った。姉は母を手伝い、二人の弟は、子羊と一緒に育った。ベドウィン一家に反スペイン・ゲリラ兵が入ってきて、長閑なテント生活は一変した。父はラクダを鉄砲に変えゲリラ軍に入ったが脳卒中で除隊し、母は農家で住み込みの女中をやり、一家を養った。が、エル・ワリが13才の時に母は病死し、父も他界し、エル・ワリは羊飼いをやりながら、14才でやっと小学校に入った。

 1973年5月10日、砂嵐のサハラ砂漠で、エル・ワリはポリサリオ戦線を立ち上げた。

 1975年5月12日~19日、国連調査団が西サハラ入りをし、ポリサリオ戦線を認めた。1973年5月20日、エル・ワリと6人の同志はエル・ハンガ・スペイン駐屯所を襲撃。

 1975年10月12日、ICJ国際司法裁判所がモロッコとモーリタニアが主張する西サハラ領土との関係を否定する。西サハラは国連が扱う脱植民地化の当該地域であると認めた。

 1975年11月14日、モロッコ。モーリタニア、スペインが秘密取引で西サハラを分譲

 1975年末、西サハラ難民が大量に出てアルジェリア・チンドゥーフに難民キャンプ設置

 1976年2月27日、エル・ワリがSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)を創設

 1976年6月9日、エル・ワリはモーリタニア戦場で殉教、享年28才。

 エルワリが惨殺されて6年後、ポリサリオ戦線が国連文書で公式に西サハラの代表として認められ、SADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)がAUアフリカ連合で正式加盟国として国名を連ねるようになった。1991年には国連安保理が、西サハラ紛争の平和解決策として<国連西サハラ人民投票>を約束し、紛争両当事者のモロッコとポリサリ戦線がこれを呑み、平和に向けて西サハラの未来が開けようとしていた。が、未だに国連は<西サハラ人民投票>に、手を付けていない。

拙著「サハラの狼(エル・ワリ伝記)」を手にするエル・ワリの実弟バシール

③ 国連は西サハラを放置したまま、一路、国連解体へ、その隙にトランピズムが暴走:

 トランプ米大統領がWHO(世界保健機関) 、FAO(国連食糧農業機関) , WFP(世界食糧計画), UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関) UNFPA(国連人口基金) . などなど、国連関連機関からの脱退を宣言し、国連拠出金の大幅削減を表明してから、国連は慌てて予算の削減、組織の縮小、そして、職員の解雇を始めた。トランピズムが国連を侵食している。老練な国連事務総長は、マスクが進めるトランピズム政府効率DOGEを、嬉々として真似ている。もしかすると、この機を利用して、西サハラを始め、国連が持て余しているしている諸問題を、切り捨てようとしているのかも知れない。既に国連本部は、

 MINURSO(ミヌルソ・国連西サハラ住民投票監視団)にモロッコ雇用人三分の一を削れと言ってきた。

 このところ、国連定例記者会見では、「国連構造改革について事務総長は、多くの国連上級指導者の意見を求めている。全部で約50件あり、中でも私たちの最大関心事である必要なリストラに対して、人道的かつ専門的であることの裏付けを作成中だ」などと、言葉でごまかしながらヒューマニタリアニズム国連は<首切り>報告を続けている。

 トランピズムとはトランプ主義のことで、自国の利益最優先のアメリカ第一主義をいう。

 その昔、フランス植民地主義国家がアフリカ大陸のフランス植民地を<フランス中華思想(フランス第一主義)>で括ろうとしたのに似て、トランプは<トランピズム(トランプ中華思想)>を世界にばらまこうとしている。

 ホワイトハウス報道官は、「米国がシャラー率いるシリア政府に対する全ての制裁を解除すると突然発表した翌日の5月14日、トランプ米大統領がシリアのアフメド・アル・シャラー大統領にイスラエルとのアブラハム和平合意に署名するよう求めた」と、明かした。  

 アブラハム和平合意とは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三大宗教のご先祖とされているアブラハム(アラビア語ではイブラヒーム)の名をかたって、アラブ諸国にイスラエルとの和平合意を迫る企画のことだ。2020年トランプ第一期政権末に、ネタニヤフ・イスラエル首相とクシュナー・トランプの娘婿でユダヤ・アメリカ人がでっち上げた企画で、UAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、スーダン、そして、モロッコが参画し、イスラエルと国交正常化をした。

 闇外交に長けたモロッコは、トランプがモロッコの西サハラ領有権を認めることを交換条件に、イスラエルとの国交正常化を呑んだ。ネタニヤフ・クシュナーの<アブラハム和平合意>が、パレスチナや西サハラの人々を和平ならぬ戦争に追いやっていることを、トランプに進言する人はいないのだろうか?

 能天気なトランプ・ゴッドファーザーは、アラブ首長の超豪華な私邸に案内されてウットリ、、、ホワイトハウスに建設しようとしている舞踏会ホールに想いをはせているようでした。

 湾岸アラブ首長との面談にトランプ・ゴッドファーザーは、ピンクや白で着飾り髪をなびかせた<イエスウーマン>をズラリと同席させました。 「人前に出るときは女性は黒でその美しさを隠せ」と、イスラムは教えているのですが、トランピズムの行くところに戒めなしです。 ハリウッド大好きなゴッドファーザーが、セミヌードの金髪美女を商売大名旅行に同行させなかったのは、、残念です。

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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。                                 著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、                 定価:本体1,800円+税、                                            発行人:松田健二、                                                発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861

同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。

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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。                      「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc                        「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。                  「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo                      「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十  2025年5月17日               SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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