韓国通信NO771
盗まれた対馬の仏像が12年半ぶりに日本に帰って来た。返還にこれほど時間がかかったのは、仏像は倭寇によって略奪されたので日本に返す必要はないと旧所有者の韓国の寺(浮石寺)が主張したためである。
折しも、歴史認識、従軍慰安婦、竹島(独島)領有問題、放射能汚染水産物の輸入禁止問題などで日韓関係が険悪だった時期に重なった。
遅すぎたが、今回の返還によって日韓間の懸案がひとつ解決してホッとしたのは事実である。NHKを始めとするテレビおよび新聞各紙も過去を水に流すかのように仏像の帰還を好意的に報じた。
事件は落着して「メデタシ」というところだが、「韓国通信」が事件以来指摘してきた日本が略奪した多くの文化財は返還されないままである。それを知らぬはずがないメディアの「ノー天気」ぶりは見逃すわけにはいかない。対馬の仏像被害にあれほど憤慨したにもかかわらず、加害についてほお被りする姿に呆れてしまう。

<敬天寺石塔の物語>
高麗時代、開城の名刹の石塔は韓国国立中央博物館のシンボル的存在である。大理石で作られた塔は13.5mの威容を誇り見る者を圧倒する。塔は1907年に田中光顕宮内大臣の指示で、武装憲兵らによって不法に日本に運び出された忌わしい歴史を持つ。(韓国通信No241/2010/10/18に詳しい)巨大な建造物が許可もなく持ち出されたことからわかるように、わが国にはいまだ数多くの文化財が返還されないままになっている(2013年現在その数61,409件にのぼる)。
<返還されない文化財>
侵略国の収奪は人間、天然資源、農業作物に始まり、文化財に及ぶ過酷なものだった。もちろん世界に共通するものだが、最近は国連が主導して世界各国において「奪ったものは元の場所に」へと文化財の返還運動が大きな流れになっている。かつての侵略行為に対する世界規模の和解の試みである。わが国でもその機運がなかったわけではない。
日韓併合100年にあたる2010年に菅直人首相(当時)が「植民地支配によって国と文化を奪い、民族の誇りを深く傷つけた」と反省を語り、「朝鮮王室儀軌」を返還したが、実態は1965年に締結された日韓条約付随協定にもかかわらず、返還は遅々として進んでいない。北朝鮮の返還請求があれば更に増える目も当てられない状態なのだ。
文化財の返還から見た日本の立ち遅れは「過去を直視しない」「過去を反省しない」戦前から戦後と続く保守政権の悪しき伝統に根ざすものだ。民族精神の結晶である文化財を奪ったままでは、わが国の世界との平和的共存の姿勢が根本から疑われはしないだろうか。
初出:「リベラル21」2025.5.19より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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