【東チモールだより第534号の追記】
ポルトガル大使館が飾る「4月25日」の横断幕の写真解説のなかで、「『もう二度とゴメンだ!』(NUNCA MAIS!)とは、独裁政権時代の貧しさにたいする拒否の表明だと思われる(が、まだ確認はしていない)」と書いたが、知り合いのポルトガル人に訊ねたところ、その解釈でよいとのこと。
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【東チモールだより第535号の追記】
5月3日に投開票されたオーストラリアの選挙結果(定数150の下院)について、「5月11日の時点で、労働党は77議席から15も増やして92議席、政権維持に必要な76議席を大きく上回りました。保守連合は53議席から40議席、緑の党は4議席から議席ゼロとなり,その他諸派が10議席を獲り、残り8議席はまだ未確定です」と書いたが、その後、5月22日午前の時点で、労働党が93議席、保守連合は43議席(自由党が28議席、国民党が15議席)、緑の党は1議席を確保、その他諸派が11議席、未確定が2議席となっている。なお、大敗した保守連合は、原発建設案をめぐり見直し(自由党)と同案継続(国民党)など政策協議が不調となったことから長年の歴史を持つ保守連合の解消を5月20日に発表した。
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「独立回復」記念式典は国民が主人公であるべき
今年もまた「5月20日」がやって来ました。1975年11月28日が、フレテリン(東チモール独立革命戦線)による東チモール民主共和国の独立を宣言した日であり、26年と半年の時を経た2002年5月20日は、その独立が実現した日といえます。したがって「5月20日」は「独立実現の日」と命名してくれればわかりやすいのかもしれませんが、「5月20日」は「独立回復の日」と名付けられています。今年は「独立回復」23周年です。
さて、一般庶民の家や車への国旗の飾りつけは少ないことなどから祝賀雰囲気があんまり盛り上がっていないと感じた去年と同様の印象を今年もうけました。しかし去年の場合、東チモール人が一方向に流されない個人個人の生活風景があってそれはそれでよいことではないかと感じたのにたいし、今年は、シャナナ=グズマン首相率いる第九次立憲政府政権による大鉈のふるい方が目に余るようにわたしは想えるので、庶民が「5月20日」から距離をおいているのではないかという気さえしています。
例年通り大統領府でおこなわれる「独立回復」記念式典は、外交官や海外からのお客さんたちを招待しての対外向けの行事となってしまい、年々、住民参加の式典でなくなってきました。
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「東チモール民主共和国 独立回復23周年記念
平和と発展を確かにする
2002年5月20日~2025年5月20日」。
なんだかまるで建設会社の広告看板のようだ。
現政権の傾向をよく表している。
2025年5月19日、幹線道路沿いの看板。
ⒸAoyama Morito.
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敷地内の祝賀行事、分断の象徴か
大統領府でおこなわれる記念式典は大統領府の敷地内だけの行事であり、敷地の外は行事とは無縁です。広がりがありません。軍や警察の行進を式典の最後に披露するのですが、少しぐらいは大統領府の敷地から出て、周辺を練り歩き、住民に愛嬌をふりまくぐらいのサービスがあってもいいのではないでしょうか。あるいはまた、いつの間にか無くなりましたが昔あった学校生徒による鼓笛隊の行進を復活させて、これが軍と警察に加担して幹線道路を行進するのもよいでしょう。祝賀気分を嘘でもいいから敷地外に漂わせる努力をすべきです。大統領府の敷地内はたしかに解放的な祝賀気分に溢れていましたが、あくまでも敷地内だけのこと、敷地外は別世界、支配層と庶民の分断を感じてしまいます。
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式典は午前11時に終わる予定であったが、10時15分ごろ早々に終わってしまった。そのあとは各自思い思いの記念写真の撮影会を楽しんでいた。
2025年5月20日、大統領府にて。
ⒸAoyama Morito.
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「独立回復」を達成した2002年以降に生まれた子は今は23歳の立派な大人です。かれら「戦争を知らない子どもたち」に戦争中は指導者と庶民が団結して自由のために闘ったことを知ってもらうための「独立回復」記念日にすべきです。
23年前の「独立回復」以降、権力についた者たちとその周辺に属する機会を得た人びとは支配層を形成していくことになり、庶民は置き去りにされてきていますが、現在のシャナナ=グズマン政権になってから、開発と海外からの投資に意識が強く傾く政権運営の過程で庶民はますます置き去りにされています。
貧しい人たちが政府によって路上での商いを蹴散らされ、不法居住だとして家を壊され土地を追い出されるニュースを見ると、悲しいかな今の東チモールは、東チモール人による東チモール支配にあるといいたくなります。
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新たに設置された会食の場に式典後、政府要員や外交官・招待客が集う。
2025年5月20日、大統領府にて。
ⒸAoyama Morito.
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堅苦しい式典が終わると子どもたちはプールにドボーン。
2025年5月20日、大統領府にて。
ⒸAoyama Morito.
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対照的だった「5月19日」
分断を感じさせる今年「5.20」でしたが、その前日(5月19日)の出来事は対照的でした。その日、マウベレ神父の遺体がベコラ教会から聖職者用の墓地に運ばれ埋葬されたのですが(前号の東チモールだより)、墓地への遺体運搬と埋葬式に大勢の人びとが自主的に参加したのです。ニュース映像などでこの模様を見ることができます。墓地へとつづく道路は群衆で埋め尽くされたのでした。
墓地での埋葬式にはカトリック教会を代表する面々が出席したのはもちろんのこと、野党フレテリン(東チモール独立革命戦線)のルオロ党首とマリ=アルカテリ書記長をはじめとして、与野党のお偉いさんたちが多数集まり、迷彩服を着た兵士たち、そして大勢の庶民が参加しました。まさに東チモールを構成する多様な人びとがここに集結したのです。
民衆に身を委ねたマウベレ神父による「5月19日」の勝ち、東チモール人権力者による「5月20日」の敗けです。
青山森人の東チモールだより easttimordayori.seesaa.net
第537号(2025年5月23日)より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14235250524〕