5月21日NHK番組「アナザーストーリー 時代に翻弄された歌・イムジン河」。2020年2月の再放送だった。懐かしいザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が流れる。作者がわからない朝鮮民謡と思った松山猛が日本語の歌詞をつけた。1968年のことだった。
北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの
1945年8月15日皇軍日本は降伏した。しかし解放された朝鮮半島は米軍とソ連軍によって占領・統治され、戦直後の「統一朝鮮」の方針は消えて38度線を境に南に1948年8月15日大韓民国が、北に1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国が樹立した。そして1949年8月末ソ連が核実験に成功、1949年10月中華人民共和国が樹立、東西冷戦は深刻さを増し、1950年6月25日戦争が始まった。
朝鮮戦争勃発の翌日6月26日開かれた安保理は、ソ連欠席のままアメリカ主導で行われ、南朝鮮への軍事援助に関する決議案を賛成多数で採択、国連軍が創設された。が、この朝鮮国連軍の指揮権はアメリカにあり、国連は関与できなかったのが実態であった。勃発時、米軍占領下にあった日本は、全土が朝鮮出撃や弾薬、食料、医薬品など補給のための基地となり、平和運動は抑圧された。
その日本国内で何がどう進められたのか詳しいことは未だわかっていない。日本が
朝鮮戦争に関与することは“ほとんどなかった”と、私も教えられた。このことは話題になることも少なく忘れられてしまっている。でも休戦後の今も日本に置かれている朝鮮国連軍(米軍基地を含む)は、一旦戦争となれば日本政府は弾薬、食糧、医薬品度を調達、支援する義務を負っているのだ。
実際には何が起きていたのか
1953年1月日本で発行された『国際科学委員会 細菌戦黒書』(蒼樹社)は発禁となった。ジョリオ・キューリーなどファシズムや戦争に反対してきた科学者らが行った朝鮮国連軍の細菌戦調査報告書だ。時が過ぎて1979年になって日韓関係を記録する会が『資料・細菌戦』(晩聲社)を、そして2000年9月『国連軍の犯罪―民衆・女性から見た朝鮮戦争』(不二出版)が『国際科学委員会 細菌戦黒書』の復刻版として出版され陽の目を見た。
当時、第二次大戦後に結成された国際婦人連盟、国際民主法律家協会、そして国際科学委員会によって調査・告発された国連軍(アメリカ)による細菌戦は世界に衝撃を与え、国連軍の即時撤退や停戦を求める声がひろまったものの、西側諸国では告発した者への弾圧、赤狩りが吹き荒れた。朝鮮戦争で行われた細菌戦は、第二次世界大戦中日本が行ったものをさらに発展させたものと言われ、日本の細菌戦の責任者でありながら東京裁判で裁かれなかった石井四郎が1951年南朝鮮にいたことをロイター通信が伝えている。
日本国内では何が起きていたのだろうか
日本国内で起きていたことは記録が見当たらずわかっていない。が、調べていた人もいた註1)。ジャーナリスト五味洋治著『朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』(2017 創元社)に書いている。五味氏註2)は述べている。朝鮮戦争によって生まれた日米間の軍事協力関係が日本の安全保障体制の基礎となり、今日まで続いていること、そして「その事実を知らなければ、過去の歴史を理解することも、未来を語ることもできません」と。
新しい「日本国憲法」が発布されたばかりの日本に起きていたこと
朝鮮戦争勃発直後1950年7月8日マッカーサーは、「7万5000人の警察予備隊創設と8000人の海上保安庁の増員を吉田茂首相に指令したのです」「同時に進歩的な労働運動や共産党の活動を弾圧するようになりました」。
国会での議論もなかった。
マッカーサーに指令された「警察予備隊」募集は、警察官の月給が4000円だった時代、月給5000円でしかも定期的な昇給や衣食住もつき、任期満了の2年後には6万円の退職金が出る待遇だった。募集からわずか3日間で、約16万6000人が応募したという。そして「行き先も知らされず、専用列車に乗せられた隊員たち」が到着したのは、米軍のキャンプ地、そこで軍事訓練が始まった。「軍であることを隠すため、「戦車」は特車、「歩兵、工兵、砲兵」は、普通科、施設課、特科とよんでごまかしていました」。
アメリカは、日本を反共産主義陣営に引き入れるため早期に独立をさせ、アメリカの同盟国とし安保条約も結ばれた。朝鮮戦争末期には733もの米軍基地や演習場があり、米軍基地から朝鮮半島への出撃回数は100万回に及んだ。その補給倉庫となった日本は、特需によって経済が復活、当時の首相吉田茂は「天祐(天の助け)」と語り、国会で問題発言として追及された。
朝鮮戦争で、そして今
「「日本は戦後70年間、戦場でひとりも殺し、殺されることがなかった」と言われることがよくあります。とくにリベラル系の人びとが好むフレーズです。「だから平和憲法を改悪してはいけない」と。しかしこれはただの「神話」にすぎないのです。朝鮮戦争当時、最前線で日本人が戦闘に参加し、死者も出ています。・・・問題なのは、当時この事実がまったく秘密にされていたことです」。
日本で国際婦人連盟が発行した冊子も、朝鮮戦争当時の南北朝鮮の新聞や国際科学者たちの調査報告書も発行禁止となったことは、そのことを現わしている。
朝鮮戦争で日本が行ったことは日本憲法に反することだったのだ。
ウクライナ戦争でもまた日本は「日本国憲法」を踏みにじっていると私は考える。
戦争を経験した世代も、その教えを受け継いだはずの世代も、次の世代に歴史の真
実を未だに伝えられないでいる。教育の場においても同じだ。
そのことが、戦後も朝鮮人差別の実態に気づかず、朝鮮半島の分断に責任を感じない自分たちにしてしまっているのではないか。
歌「イムジン河」は今も問いかけている。
註)
1. 当時国会議員秘書として安全保障、外交問題に関する調査を担当していた山崎静雄氏がこの戦争に関心を持ち、関連していた自治体の県史などを調べ、『史実で語る朝鮮戦争協力の全容』(本の泉社)を出版、『朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』の著者五味洋治氏に「当時日本は朝鮮戦争に精神的な支援をすると説明されていたのに、現実には物資も体も提供していました。これは日本憲法に反することでした。ところがだれがどういう形で協力を指示したのかをはっきり示す記録がほとんどないのです。わざと記録を残さなかったのかもしれません」と語った。
2. 五味洋治:大学卒業後中日新聞東京支社に入社後、1997年に韓国に語学留学、ソウル支局、中国総局を経て、東京新聞の論説委員。
2025.06.25
記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14296:250626〕