二十一世紀ノーベル文学賞受賞作品を読む(14-下)

ヘルタ・ミュラー(ドイツ、1953~)の人となり――80年代ルーマニアの抑圧的政治状況を告発

1989年暮れのチャウシェスク政権の崩壊は、世界を駆け巡った独裁者夫婦の衝撃的な処刑シーンの映像と共に今なお記憶に新しい。しかし東欧改革の流れの中で唯一流血の革命を経験したルーマニアは、「革命」という言葉が空虚に響くほど旧支配層を権力に留まらせた。1996年11月の大統領選で旧共産党支配に終止符が打たれるまで、革命のけりが付くまでにほとんど丸七年かかったことになる。『狙われたキツネ』の訳者・山本浩司氏(元広島大学総合科学部講師)は「あとがき」にこう綴る。

作者のヘルタ・ミュラーは、1953年、ルーマニア西部バナード地方のドイツ系少数民族(シュヴァ―ベン人)の村に生まれた。ティミショアラ大学でドイツ文学とルーマニア文学を学んだ後、金属工場で技術翻訳の仕事に就くが、79年に秘密警察への協力を断ったことから職場を追放される(これは失業を犯罪と見做すルーマニアでは極めて危険な状況だった)。それ以降は、学校の代用教員をしながら創作に勤しみ、82年にブカレストで発表された『澱み』がドイツ本国でも高い評価を受けることになる。

しかし84年には職業従事と作品公表を禁じられ、出国申請に追い込まれる。そして遂に87年3月にルーマニアを出国して、現在はベルリンに在住している。そのミュラーの長編第一作に当たる『狙われたキツネ』は、ルーマニア革命の発端となったバナート地方の中核都市ティミショアラを舞台として89年夏から革命までの状況を描いている。
日向ぼっこをする二人の妙齢の女性という牧歌的な冒頭の場面は、その一人アディ―ナの灰色の少女時代が回想されることで暗い影を投げかけられ、やがて二人の勤め先である学校や工場の今の現実が淡々と物語られていくうちに、すっかりどす黒い闇に包み込まれてしまう。

なぜなら、確かに過去を振り返っても、ただ埃にまみれた希望のない風景が広がるばかりだとはいえ、職権濫用や不法行為が横行する職場やパンを求める長い行列を見れば、誰もが国外逃亡か自殺を考えずにはいられないほどまでに、状況は悪化して、破滅の淵に近づいていると言えるのだから。
もちろん、作者の経歴を見れば判るように、学校や工場の現実描写は、彼女自身の実体験に裏打ちされている。そして、このようにして日常の細部が入念に語られることによって、自然と80年代のルーマニアの抑圧的な政治状況が告発されていく仕掛けになっている。

その頃のルーマニアでは、対外債務の返済を最優先させる政策が採られ、国民は極端な窮乏生活を強いられていた。政治の世界では親族支配がまかり通り、国民の不満は秘密警察や相互密告制度によって抑圧されていたのである。しかし同時にルーマニアの現実に要請されたものでもあった。というのはチャウシェスク独裁の末期には、電気の供給がしばしばストップして、ただでさえ街灯の少ないルーマニアの町は暗闇に包まれることが多く、小型懐中電灯を持たずに外出することはできなかったからだ。
しかも国内で消費すべき食糧を外貨稼ぎのために輸出に回したせいで、深刻な食糧不足に陥っていた。パンや肉を手に入れるには夜明け前から行列に並ばなければならなかったし、並んでも手に入るかどうか判らなかった。

ところが独裁制の世の常とはいえ、一般市民が塗炭の苦しみを味わっているというのに、いわゆる指導者階級は様々な特権を享受していた。この作品の中で言えば、学校長や工場長、高級将校、秘密警察将校などがこの階級に当たる。一般市民が画一的な灰色の団地に押し込められているのに対して、彼らは閑静な住宅街に一戸建てを構えている。
この「天国と地獄」の構図は田舎でも同じで、村長などの権力者だけが特別な恩恵を受けている。しかも、特権階級は、入手困難な食料品、コーヒーや化粧品など高級嗜好品や輸入品を裏でいくらでも手に入れていた。

このような指導者階級の不正に対する批判の意識は、この小説に一貫して流れている。この小説は何よりも秘密警察の恐怖に怯える市民たちの物語なのだ。チャウシェスクは反対派を抑圧するために内務省のセクリターテという組織を強化していった。独裁者は批判のビラを作られないように、国内のタイプライターを全て登録させたというし、セクリターテは国の隅々にアンテナを張り巡らせていた。

ミュラーの小説の中で迫害される人々は皆批判的な知識人階級ではあるが、決して大物ではない。ただの教師アディ―ナが学校の勤労奉仕に対して批判的な発言をしただけで執拗にマークされるのだ。しかも彼女を追い込んでいく秘密警察もしがないサラリーマンでしかないという点で、絶望はさらに深まる。あのチャウシェスクですら殺されてしまえば、只の農民でしかないのだ。この悪の凡庸さには目が眩みそうになる。

ミュラーは作品『澱み』が西側で高い評価を受けたことにより、政府から危険視されながらも安易に命を奪えない存在となった。しかし、彼女に対する尋問や家宅侵入、脅迫、執筆禁止などが相次ぎ、遂にミュラーは西ドイツへと出国した。

初出:「リベラル21」2025.7.19より許可を得て転載
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