昨夜のNHK7時のニュースで、7月25日、ベルリン近郊のポツダムで広島・長崎の原爆犠牲者の追悼行事が行われたと報じられた。ポツダムと原爆犠牲者追悼との関係がすぐには結び付かなかった。 被爆した広島の市電の敷石と長崎のある神社の石をあしらった立派な記念碑を前に若い人たちも黙祷を捧げていた。

ポツダムに、こんな記念碑があったかな、と「ポツダム会談」が開かれたというツェツィリエンホフ宮殿を訪ねたときのことを思い出していた。私たちが、ポツダムを訪ねたのは、2008年8月だったから、もちろんこの記念碑はなかったとわかる。
米英ソの首脳が日本の降伏条件などを協議する中で、トルーマン米大統領が日本への原爆投下を承認し、軍に命令した日が1945年7月25日だったという。ちょうど80年目だったのである。
調べてみると、2005年12月、ドイツ・ポツダム市議会は、平和市長会議へ加盟したことを機に、トルーマンが滞在した建物「トルーマン・ハウス」の前を「ヒロシマ・ナガサキプラッツ」と命名した。その広場に、記念碑建立のためのカンパ活動が始まり、2007年7月に日本とドイツ市民の有志により「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」が結成され、2010年7月25日に、追悼碑除幕にいたった。アメリカサイドから反対の意見もあったが、碑文には、原爆投下の経緯と共に「原爆の破壊力は、数十万の人々を死に追いやり/人々に計り知れない苦しみをもたらした/核兵器のない世界を願って」、とドイツ語・日本語・英語の三か国語で記されている。
ポツダム市議会とポツダム市民に敬意を表するばかりである。
<参考>
・原爆投下を承認した地”ドイツ ポツダムで犠牲者の追悼式典
(NHK NEWS 2025年7月26日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250726/k10014875031000.html
・ドイツ・ポツダムに原爆追悼記念碑が完成
(原水協ニュースペーパー 2010年10月1日)
http://gensuikin.peace-forum.com/2010/10/01/101001newspaper_4/
・原爆投下命令80年で追悼行事 元米大統領滞在の地―独ポツダム
(時事通信 外信部2025年07月26日配信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025072600134&g=int

2008年8月撮影。ポツダム会談は、背景の宮殿の建物で行われた。
上記の葉書は、1972年1月、ポトナム短歌会の大先輩の金子元英さんから頂いたはがき。デュセルドルフでの勤務が長く、この新年はベルリンで過ごし、東独のポツダムに訪問し、「民族問題」について考えさせられこと、日本には「沖縄」という課題があるとも書かれていた。この年の5月15日にアメリカより施政権が返還され、「日本復帰」したのだが。
初出:「内野光子のブログ」2025.7.27より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/07/post-5a82ac.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14347:250728〕