『何処にいようと、りぶりあんー田中美津表現集』―田中美津と私(2)

 この田中美津の著書『何処にいようと、りぶりあん』は、実は1983年すでに、社会評論社から出版されている。この時の田中美津自身の「おわりに」も、当然ながら今回もそのままである。
 「本作りを手伝ってくださった松田健二、吉清一江、松田博公、そして装丁・挿絵の貝原浩の皆さん、どうもありがとう。」
 松田健二さんは、社会評論社社長、吉清一江さんは、同じく社会評論社から出版されていた『女・エロス』の編集長、松田博公さんは、前回の拙稿でもご紹介した、当時は共同通信社の記者である。
 この1983年という発行年自体、田中美津の衝撃的な最初の書『いのちの女たちへーとり乱しウーマン・リブ論―』(田畑書店)からも、すでに11年が経っている。その間の、人物論、リブ運動論、堕胎論、からだ論などがまとめられている。最初の書に見られるような「講談調」(?田中美津独自の口調・文体)は幾分抑えられてはいるが、それでも「評論」というには行間から「生身の田中美津があふれ過ぎている」というので、当時から副題は「表現集」だったのだと。
 そして、今回はインパクト出版会からの再発行である。その経緯は定かではないが、田中美津さんが、昨年8月7日に死去され、おそらくインパクト出版会の元社長深田卓氏の采配で、田中美津を偲ぶ書として、再刊されたものと思われる。今回は、田中美津の「おわりに」の後、米津知子さんの「リブ空に 浮かんだ 竹トンボ」の一文が付されている。
 今回の書の発行年月日を確認すると、2025年1月20日。「書評」というには、かなり時間が経ってしまったが(その個人的な顛末は前回参照)、何と、いまこの原稿を書き進めている今日は8月7日!先ほど気づいたのだが田中美津の1周忌その日ではないか!しかも、8月7日とは、広島原爆忌の翌日、ということも、今回改めて確認した。おそらく、私はこれからは、田中美津の命日を忘れることはないだろうと思っている。

 本書の目次(内容)は次の通りである。

 よんどころなく他人(ひと)を語れば ― 鏡の中のあたし
   自画像・沖縄のおんなたち・阿部定/わが怠惰と諦念を刺す・永田洋子はあたし
   だ・私の平塚らいてう批判
 いま泣いたカラスの唄 ― 中絶と子殺しと
   女にとって子殺しとは何か・中絶は既得の権利か/あえて提起する・おんどろおん
   どろ/メキシコ闇堕胎事情
 ごきりぶ﹅﹅ホイホイこの道ひとすじ ― 混沌のままに 

   新宿やさぐれブタ箱話・私の殺意は乾いている/しあさってのジョーから太田竜

   さんへ・女だけの共同体・燃えよ、コレクティブ
 窓をあけてよ、りぶりあん ― 生きてく手ざわり
  

   子連れブタ参上・からだからの女性学・再々度からだから出発・れらはるせ/こ
   どもとおんなのからだ育て
 ナツビラ再見 ― リブの創生期
  

  便所からの解放
 おわりに


 リブそらに浮かんだ竹トンボ  米津知子

中絶は既得の権利か
 1996年、名称を変更して制定された「母体保護法」。それ以前は、それも戦後1948(昭和23)年に制定されていた優生保護法だということは、現在承知している人はどれ位居るのだろうか。しかも「優性保護」というあからさまな差別を堂々と称している法律名。私自身を含めて、戦後の日本が「障害者差別」に如何に鈍感であったか・・・このことを端的に証拠だてる事実でもある。
 さて、その1996年の母体保護法においても、第2条の2において、「胎児が、母体外において生命を保続することができない時期は、現在では妊娠21週6日以下・・・」とある。したがって、「妊娠21週6日」までは、法定されている理由によっての「妊娠中絶」は認められている。ただ、それ以降は、何と、1907(明治30)年制定の堕胎罪が生きて居り、現在も罪に問われる。
 この間の問題は、母体保護法制定時にも改めて論議されたものの、現実的には何も変わってはいない。
 「性」にまつわるさまざまな問題―性交・妊娠・堕胎・出産―もまた、法的には「結婚した夫婦」にのみ認められている。このような「限定」された関係性の中での問題ながら、しかも「少子化」社会の深刻さが嘆かれる社会の中で、フェミニズムの世界では、「産む・産まないは女の自由(権利)!」と主張されてきたのは事実である。
 しかし、田中美津は、1972年、すでに次のように述べている。
― 中絶させられる客観的状況の中で己の主体をもって中絶を選択する時、あたしは殺人者としての己を、己自身に意識させたい。
 ああそうだよ、殺人だよと、切りきざまれる胎児を凝視する中で、それを女にさせる社会に今こそ退路を絶って迫りたい。(98)
― 確認せねばならない。あたしたちは、未だかつて一度も、堕胎の権利も自由もこの手に握ったことがない、というその事実こそ!そしてさらには、堕胎は権利なのかどうかをあたしたちは、くり返しくり返し問い続けていかねばならない。(99‐100) 

 現実に根を持たない論は「空論」だが、しかし、田中美津のこの時代(1980年代)をはるかに超えた現在(2025年)、一層進む「少子化」社会の中で、にもかかわらず、「出生前診断」による中絶件数も増えているという。
 「セックスとは?」― 結婚・家庭とセックス、結婚・家庭外でのセックス、セックスと妊娠、妊娠と中絶、妊娠と出産・・・これらを、私たちは、まじめに考え、意見を交わすことすら怠っているのかもしれない。その意味では、田中美津の腰の据わった「まじめさ」に、もう一度相対すべきなのかもしれない。(続)       2025.8.7

 『何処にいようと、りぶりあんー田中美津表現集』(インパクト出版会2025.1.20)

記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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