二十一世紀ノーベル賞作品を読む(16-下)

パトリック・モディアノ(フランス)の人となり

モディアノの著作『パリ環状通り』(講談社刊)の訳者・野村圭介早稲田大学名誉教授は巻末の「あとがき」に、こう記す。

パトリック・モディアノは1945年、パリに生まれ、名門のアンリ四世学校を卒業後ソルボンヌの文学部に進んだが、中退して創作に専心する。1968年、弱冠23歳で『エトワル広場』をガリマール(書店)から出版。たちまちロジェ・ニミエ賞とフェネオン賞の両文学賞を得て華々しく文壇に登場。瞠目すべき大型新人として、話題を呼んだ。
翌年には『夜警』、さらに1972年、簡潔な文体と瑞々しい情感を併せ持つ名作『パリ環状通り』を発表。その作家的地位を不動のものとし、名実ともにフランスの新世代を代表する作家となった。列挙した三つの小説の他に、戯曲『ポルカ』(1974年、ジムナーズ劇場で公演、未刊)と、有名な映画監督、ルイ・マルとの共著によるシナリオ『ラコンブ・ルシアン』(日本では『ルシアンの青春』と題して公開)がある。

モディアノは処女作から現在まで、戯曲やシナリオも含め全作品の時代背景を一貫してナチス・ドイツによるフランス占領下に求めてきた。1945年生まれの若い作者は、当然のことながら、1940~44年のこの暗い時代を現実には体験してはいない。しかし、なぜ彼はこれほど執拗に占領時代にこだわるのだろうか。注意すべきは、作者の興味は、この時代を客観的に歴史的に検証し再現することには全くない、ということだ。

彼がことさら占領時代に拘泥するのは、それが一種独特の、不安と混乱に満ちたイメージを私たちにもたらすからだ。モディアノの占領時代とは、もろもろの価値の崩壊に晒された混迷する現代社会と二重写しになった、いわば神話としての占領時代である。作者自身、訳者への手紙の中で、『パリ環状通り』を、いかなる時代背景も無視して純粋のフィクションとして読むことができる、と述べている。彼は、この屈辱の時代が持つ奇妙な雰囲気、作者の愛用する言葉を使えば、その「たそがれ時」のような曖昧模糊とした気分に、魅せられ憑かれていると言えよう。

ナチス・ドイツによる占領時代は、レジスタンスの闘士を始め、数々の英雄たちを生んだ。しかし、パトリック・モディアノが占領時代に題材を求め続けるのは、むしろこの混乱期に、人間の弱さやエゴイズム、時流に流され偶然に左右される人間共通の脆さや浅はかさが、極めて鮮明に露呈されるからだ、と思われる。闇屋、密告者、卑怯者、追従者などといったアンチ・ヒーローこそ作者の想像力を強くかきたて、痛切な共感を呼ぶのだ。彼は『ル・モンド』紙のインタビューで、「自分の少年期を通じてのヒーローは、稀代の詐欺師として名高い謎の実業家スタビスキー(1886~1934)であり、彼に関するあらゆる記事をむさぼるように読み耽った」「絶えざる不安と恐怖に生き、虚妄の上に築かれた砂上の楼閣にも似た、このような男たちの人生ほど自分にとって詩的なものはない」と打ち明けている。

事実、この『パリ環状通り』に、不分明な影をしばし投じ、再び闇の中に消えて行ってしまう様々の人間たち――語り手が執拗に追い求める不可思議な父にしろ、強請を事とする新聞を出すミュラーユや外人部隊上がりのマルシュレ、高等娼婦シルヴィアンヌ、女優くずれのアニーに至るまで、全てどこかうさん臭く怪しげな者たちであり、心弱い人生の落伍者である。そして、作者が秘かに自分を擬している、定かならぬ父を探求する語り手の青年も、正常な人生コースから脱落せざるを得なかった、心優しく感じ易い「デラシネ(故郷喪失者)」なのである。

パトリック・モディアノは30作以上の作品を発表。その作品は36カ国語に翻訳されている。彼が2014年、ノーベル文学賞を受賞した際、スウェーデン・アカデミー事務局長ペーテル・エングルンドは「彼は現代のマルセル・プルースト(二十世紀西欧文学を代表する世界的な作家)である」と評した。翌年、フランスの光輝あるレジオン・ド・ヌール勲章を贈られたが、授与式でオランド大統領は「現代のマルセル・プルースト」という評言に関連して、「現実が消えてしまう状況。過去と現在が交錯する状況。言葉が信じられなくなる状況」と定義した。

初出:「リベラル21」2025.09.10より許可を得て転載
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