今年の12月に『日本古書通信』が、来年2026年3月に、『図書新聞』が廃刊になるそうだ。小さな図書館ではあったが大学図書館勤務時代の20年間余、二つとも選書のツールであった。前者の古書店目録によって、古書を購入することはなかったが、新刊紹介や多岐にわたる文献目録が役に立っていた。
また、「これから出る本」(日本書籍出版協会、月2回、1976年5月~)を見ながらの選書や店頭選書するのは楽しみでもあった。退職後は、本屋のレジ脇に置かれていた「これから出る本」をもらってきたものだが、近頃見かけないなと思ったら、2023年12月に終刊していたことを知った。すでに、新しい出版書誌データーBooks(出版書誌データベース)があって不便はないのだが。現役の時は、よく利用した『出版年鑑』も2018年版で終刊、『出版ユース』も2019年3月で終刊になっていること、今回知った。
近年は〈紙〉による情報の衰退は著しく、出版業界、図書館業務の様変わりも甚だしいとはいえ、若干のご縁があった雑誌が、消えていくのは、やはり寂しい。
『図書新聞』
先の『図書新聞』に何度か執筆の機会を得たことは、私にとっては貴重な体験であった。最初の執筆は、『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)出版直後の12月3日号「歌会始 投稿歌壇の最高位に目されるに至ったけれど」であった。12月17日号には、道浦母都子さんの『短歌と天皇制』の好意的な書評が載った。この書評は、彼女の歌集『無援の抒情』(岩波書店 1990年)のエッセイの部にも収録された。そのほぼ10年後の2000年1月から月一で「短歌クロニクル」という、いわば短歌時評の依頼があった。1年という長丁場に不安もあったが、ほんとうに自由に書かせてもらった。そして一番印象に残っているのは、10月21日号の「いつまで<全共闘>を売りにするのですか」であった。道浦母都子さんが1990年代に加速度的に保守化してきたことを事例を挙げて批判したものだった。新聞の発売後しばらく経ったころ、当時の編集長?であった井出彰さんから電話があって、「件の時評を『よくぞ書いてくれた』という人があらわれて、新聞を購読してくれることになった」という主旨のお話で、恐れ入って伺った。これらの時評は『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年2月)にすべて収録している。そして、この本の出版直後、『図書新聞』は「インタビュー内野光子氏に聞く『現代短歌と天皇制』」(2001年3月17日)を3頁にわたって組んでくださった。かなり緊張をしていて、何ほどのことを話したのか、聞き手の米田綱路さんと佐藤美奈子さんが、うまくまとめてくださって、感謝するばかりであった。

その後は、三枝昂之『昭和短歌の再検討』(2001年9月8日)、田所泉『大正天皇の<文学>』(2003年5月24日)、『昭和天皇の<文学>』(2005年11月19日)、櫻本富雄『歌と戦争』(2005年11月19日)、江刺昭子『樺美智子聖少女伝説』(2010年7月31日)などの書評を執筆している。
当時は、地域の500世帯余の地域の自治会の役員を何期か務め、自治会館建設反対、デベロッパーによる隣接地の開発をめぐって、旧役員、業者や市役所との交渉、夏祭りや各種イベントなどで多忙を極めていた。いまから思えば、想像できないほど自治会活動は盛り上がり、私自身も多くの仲間と働いた時期でもあった。

サンザシが実をつけ始めた。栄養価が高く、食べることができるなんて、知らなかった。
初出:「内野光子のブログ」2025.10.6より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/10/post-5a915e.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14459:251006〕