SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】654 西サハラ人民独立運動半世紀

 今から50年前の1975年10月12日に、西サハラの人々は一致団結して独立を目指そうと蜂起しました。 その50周年記念日を前に、アルジェリア西端チンドウーフの砂漠にある難民キャンプでは、革命運動50周年を記念して、催しがありました。 

 が、50年経っても独立の兆しが見えてこない、なんだか、やるせないお祭です。

① 半世紀前の1975年10月12日:

 この日、当時はスペインの植民地だった西サハラで、西サハラ住民が独立運動組織ポリサリオ戦線の旗の下に、一斉蜂起した。西サハラの難民も被占領民も諸外国に散った移民も、西サハラ人全員が<民族統一の日>と銘打ち、独立運動を誓った。

 西サハラ砂漠のポリサリオ戦線解放区では、紀元前数千年の洞窟画が残っていたり、サハラ砂漠は海だったという証拠の貝の化石があったり、西サハラは古くから現存していたという証拠にでくわす。紀元前まで遡るのは大変だから、アラブ人が西サハラに移住してきた時から今日までの略史を紹介する。

*700年代にアラビア半島のラクダを連れたアラブ人が西サハラを征服し、イスラム化する。

*1884年、ベルリンでの列強アフリカ分割会議を受け、スペインが西サハラ領有を宣言。

*1919年、スペイン植民地軍に逆らった西サハラレジスタン闘士<青いスルタン>が殉教。

*1960年、第15回国連総会で植民地独立付与宣言が採択。西サハラを植民地と規定。

*1973年、独立運動の指導者・エルワリがポリサリオ戦線を創設。

*1975年10月12日、西サハラ人民がポリサリオ戦線の下、西サハラ独立に向け一斉蜂起。

*1975年10月16日、国際司法裁判所がモロッコとモーリタニアの西サハラ領有権を否決。

*1975年11月14日、スペイン、モロッコ、モーリタニア秘密取引。西サハラ難民発生!

*1976年2月27日、エルワリが西サハラ難民キャンプでサハラアラブ民主共和国を建国。

*1976年6月9日、西サハラ独立運動の指導者エルワリがモーリタニア軍に惨殺される。

*1982年、OAU(AUの前身)が西サハラを正式加盟国に承認。84年モロッコOAU脱退。

*1991年、国連安保理が西サハラ国連人民投票を提案し和平合意、MINURSOを創設、

*1999年、MINURSO(国連西サハラ人民投票監視団)の下で投票が予定。が、なし!

*2007年、国連西サハラ人民投票を嫌うモロッコが西サハラのモロッコ地方自治州を提案。

*2016年、潘基文前国連事務総長が西サハラを訪問し、西サハラ難民に早期解決を約束。

*2020年11月12日、モロッコが1991年の両当事者停戦を破棄。現在まで交渉再開なし。

半世紀前に西サハラ独立運動の指導者エルワリがパレスチナ国旗を真似て作った西サハラ国旗  今も西サハラ難民キャンプに翻っています

② 半世紀経った2025年10月12日:

 10月12日の<民族統一の日>に先立つ10月10日午前10時、国連安保理本会議場で、タファン・デ・ミストラ国連西サハラ事務総長個人特使とアレキサンダ―・イヴァンコMINURSO(ミヌルソ国連西サハラ人民投票監視団)団長兼事務総長代理が、非公開で半年間の西サハラ活動報告をした。MINURSOは11ある国連PKO(平和維持活動)の一つで、国連縮小を図る事務総長は、UNIFIL(レバノン暫定軍)の廃止を決めている。    

 MINURSOの任期は10月30日に安保理で検討される。他のPKO協議では、当事者の意思表示が当たり前だが、オマル西サハラ国連代表は呼ばれていない。おかしい??

 10月12日に向けて、SADRサハラ・アラブ民主共和国の元首相で教育担当大臣タレブ・オマル氏が、西サハラ全人民に次のような檄を飛ばした。

 「国民統一記念日は殉教者との契約を更新し、不動の精神を強化する機会だ。我々が団結を堅持することは、モロッコ占領当局に抗する強力な対応策となる。この好機に、自分たちの大義と正義を全うする決意を、新たにしよう」   

 しかし、この日は、国連総長自ら推薦した<トランプ・ノーベル平和賞発表の日>で、ホワイトハウスのみならず、国連事務総長定例記者会見室までもが、受賞祝い気分で、西サハラを巡る、一年に一度の国連安全保障理事会協議は、全く注目されなかった。

 ノーベル平和賞を切望するトランプ・ゴッドファーザーは、国連事務総長の支援声明に満足せず、10月8日、長女イバンカの婿でユダヤ系アメリカ人の美しい詐欺師クシュナーを、ハマスとイスラエル和平合意が行われていたエジプトに送った。トランプ・ゴッドファーザーは恒例のホワイトハウス雑談会見で、「私は8コの停戦をやってのけた、その私にノーベル平和賞をよこさなかったら、ノーベル平和賞委員会は言い訳を探すのに苦労するゾ!」と嘯いた。

③ トランプ・ノーベル平和賞ならず、ホッと一息の西サハラ:

 義父の悲願<ノーベル平和賞>を取得するため、美しい詐欺師クシュナーは親友ネタニヤフ・イスラエル首相と共謀して、<平和>と名の付くイベントを乱発した。<ガザ平和>の実態はトランプ・ノーベル平和賞獲得工作だ。ハマスは「人質を返す」と言っただけで、それに対してネタニヤフはトランプの合意20項目など無視して、連日ガザ爆撃を続け人殺しを重ねている。いくら<ガザ平和20項目>を唱えても、<ノーベル平和賞>など取れないから、<人質返還合意>を<平和合意第一段階大成功>と書き換え。人質家族に「トランプ大好き」デモをやらせ、ガザのサクラ住民に「トランプ、アリガトウ」と叫ばせた。そしてダメ押しで、クシュナーとネタニヤフが5年前にでっち上げた<アブラハム平和合意>を再び担ぎ出し、クシュナーに「平和を絶え間なく求めてきた父」と、宣伝させた。

 5年前の2019年、トランプ第一期政権の時でっち上げたこの<平和合意>では、主役、ネタニヤフ、クシュナーに次いで、モハンマド・サウジアラビア皇太子やモハンマド・モロッコ国王が暗躍した。そして5年後の<ノーベル平和賞>工作のクシュナーは、ガザ戦争勃発記念10月7日に両ムハンマドをモロッコのカサブランカ宮殿で対面させた。

 「<中東の平和>を目指してきたトランプ・ファーザーにノーベル平和賞を」と、クシュナーはアブラハム平和合意をアピールし、エジプトの合意会談でも、トランプを絶賛した。

 一方、ムハンマド六世モロッコ王は、トランプのノーベル平和賞のために一肌脱いだわけではない。ムハンマド六世の狙いは、あくまでも西サハラなのだ。5年前にクシュナーはイスラエルが中東アラブを凌駕する事を目指し、トランプ・ファーザーに商売優先の<アブラハム平和合意>という<イスラエル・アラブ国交正常化>を売り込んだ。「アラブのメッカはサウジアラビア」と信じるトランプは大乗り気で、UAE,バハレーン、スーダン、、と、サウジの周辺を攻略した。

 これを好機と見たモロッコ国王モハンマド六世は、イヴァンカとクシュナー夫妻を王女・王子と持ち上げ、モロッコに国賓招待をした。モロッコ国王はイスラエルとの国交正常化を承諾する代わりに、<西サハラはモロッコの領土>と言う書類にサインをするようトランプに迫った。トランプはあの陰毛サインをした。

 トランプの<モロッコの西サハラ領有権承認>は、モロッコとトランプ米政権という両者間だけの合意で、国際法や国連憲章に違反するだけでなく、自分たちの物でない土地を勝手に取引するという、倫理的にも商売取引の仁義上にも反する<犯罪行為>だ。 

 ところが、2025年10月10日、ノーベル平和賞はヴェネズエラの反体制派指導者マリア・コリナ・マチャド氏(58)に授与された。もしトランプが受賞していたら、ユダヤ系アメリカ人の娘婿クシュナーが再びモロッコ国王とグルになって、西サハラ強奪工作を再開させるのは、間違いない、、民族団結50周年記念・10月12日に向け、<トランプ、ノーベル平和賞ならず>は、何よりの贈り物です。

 トランプは<ノーベル平和賞>受賞に向け、ウィトコフ大統領特使を通じてプーチン露大統領に推薦の言葉をねだったりしました、が、「骨折り損のくたびれ儲け」に終わりました。 ABC米TV によると、あのお喋りトランプが、ホワイトハウス雑談会見で<ノーベル平和賞貰えず>に関して、一言もなかったそうです。 自分で<トランプ賞>を作って、自分に授与すればいいんじゃないですか? 

 政府閉鎖、移民戦争、政敵粛清、反トランプ州に軍隊派遣、、そして、国内戦争、、トランプ・ゴッドファーザーは自ら仕掛けた戦争の火種を、<ノーベル平和賞>でチャラにできると、思ったのでしょうか?。

 この瞬間も、あんさんの盟友ネタニヤフはガザ・ジェノサイドを続行しています。

 ガザ停戦をキッチリやってくださいね!


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 「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。                                 著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、                     定価:本体1,800円+税、                                               発行人:松田健二、                                                     発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861

同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。

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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。                        「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc                            「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU

Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。                     「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo                     「Last Colony in Africa]  英語版URL:   https://youtu.be/au5p6mxvheo

WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十  2025年10月11日                     SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/                            〔eye6034 : 251011〕