雑誌の廃刊が続く中で(3)『早稲田文学』【第十次】の休刊

  なにしろ、明治24年、1891年10月、東京専門学校(現早稲田大学)の坪内逍遥が主宰となって創刊した『早稲田文学』、伝統ある文芸雑誌である。2017年末、金井美恵子特集への執筆依頼にはいささか戸惑った。金井さんとは、寄稿した拙稿の冒頭にも書いたのだが、現代歌壇を「歌会始」を頂点とする「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」となしたエッセイがきっかけで、わずかながらの交流があった。(以下敬称略)

  2012年、金井美恵子は「たとへば〈君〉、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」(『深沢七郎 没後25年ちょっと一服、冥途の道草」『KAKADE道の手帖』2012年5月)という長い題名の文章を、深沢七郎特集のムックで発表した。その直後から歌壇時評などで少しざわつき始めていたので、私も読むに至り、歌会始の選者、岡井隆や永田和宏らが本流をなす現代歌壇、現代歌人への鋭い批判であることを知った。私が共感するところも多かったので、押しつけがましいとも思ったが、拙著『天皇の短歌は何を語るのか』を送ったのだった。すると、金井からは、思いがけず、拙著を好意的に紹介しているエッセイ集が届けられ、以降もささやかな交流を続けていたからだろうか、特集号への依頼につながったのだろう。

 私は、金井美恵子の短歌批判に対して、歌壇、歌人はどう対応したかを、文献でたどることにした。「自浄作用が働かない歌壇 金井美恵子の短歌批判に歌人どう応えたか」としてまとめた。『早稲田文学<金井美恵子なんかこわくない>』2018年春号(1027号)に掲載されたのであった。文末には、網羅的ではないけれど、歌壇の反応と思われる文献のリストも付した。

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続きは以下をご覧ください。
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    では、「風流夢譚」が『中央公論』(1960年12月)に発表された当時の歌壇の反応はどうであったのか。1961年2月号の『短歌』で「歌壇月評・問題点をさぐるとして」、近藤芳美『喚声』、上田三四二『金石淳彦論』、リカ・キヨシ『祖国・朝鮮』、深沢七郎「風流夢譚」を対象に、山本成雄、武川忠一、葛原繁、前登志夫の4人が一堂にそれぞれ評するという新しい企画で 、深沢の「風流夢譚」が俎上に上っていた。

    4人の評するところ、いま読んでも、私にはわかりにくいのだが、山本は「作者自身<夢譚>とことわっている通り、ことごとく意表をついた道化ぶりに、いっそうの生彩をあたえるものとして、<型>の文学ともいえる和歌を持ち出しているのであ」り、意図にかかわらず皮肉がただよっていて、短歌に対するパロディ」と評する。武川は、深沢にとって「<和歌>はこの素材以前のものだ。そのような意味での<型>として巧みに採用されているに過ぎない」とし、<和歌>の問題であるよりも「彼自身の和歌に対する認識」の方が興味の対象になる、としている。葛原は「革命、皇室、和歌、風流等に対する庶民の側からの皮肉や風刺を感じはするが、そうした問題提出の前提となる深沢の姿勢」がどうもつかめない、とし、「特に短歌の問題として真面目に『風流夢譚』を取り上げる必要もないし、必要性を僕は感じない」と。前は深沢が「風流と和歌を、皇室というものへ結びつけた発想は、常識的であっても、この着想に興味深いものがある。この小説は読んでいて実におかしかった」が、しかしそれだけだったと。前は「現代の短歌は、もっと風流があっていいと思い、和歌的領域こそ取り組むべきだ」とし、「深沢七郎さんよ、あんたももっともっと短歌を勉強して下さい」と結ぶのだった。
 

 詳しくは、以下のコピーをご覧ください。
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   どうだろう、深沢が意図したであろう「和歌」と「皇室」との関係への問題提起に、誰も応えていないように思えた。そういう意味では、金井への対応とどれほどの差があるのかは検討を要するだろう。

   あらためて、短歌と天皇制の問題となると、歌壇の反応の曖昧さ、鈍さは変わらないように思った。

『早稲田文学』【第十次】は、2007年5月にスタートして、2022年春号をもって休刊となった。戦中・戦後1934年から49年までの【第三次】以後は、休刊しては、復刊することを繰り返して来たので、今後も、近い将来【第十一次】が復刊されることを期待したい、部外者ながら思うのだった。

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佐倉の秋祭りは麻賀多神社の祭礼で、10月10日・11日・12日と続く。周辺24町の山車が出るらしい。


10月10日の夕方、佐倉囃子の太鼓の音とともに、やって来た「野狐台」の山車。私たちの住まいの住所は鏑木町(かぶらぎまち)だが、野狐台町内会に属している。「やっこだいまち」と読む。

 
「野狐台町」の「やっこ」の印半纏と狐のお面をつけての踊りが続く。


夜には「栄町」の山車もやってきた。

初出:「内野光子のブログ」2025.10.11より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/10/post-ba61ee.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14468:251012〕