ゼロ経済成長でも自然の搾取は消滅しない

斎藤幸平君は制御不可能な資本の蓄積=経済成長によって地球規模での環境破壊は進みもはや不可逆な領域に入りつつあるとして、資本主義の廃絶を声高にとなえるのだが、ではゼロ経済成長になったら、地球規模の環境破壊=自然の搾取はなくなるのだろうか。

斉藤君はマルクスの後期の物質代謝の観点を生かせとくだくだ説くのだが、彼の議論には全く経済モデルというものが存在しない、ただ言葉で表現しているだけでいるから、全くの読み抜けがあっても全くノーチェックなのだ。近著の「マルクス解体」もあれやらこれやら、マルクスから始まって、西欧マルクス主義や近年の環境経済学やらの引用と解説がうんざりするほど積み上げられているが、眼目は「マルクスに帰れ」のひとこと以上のものはない。

さて本題だが、高須賀義博先生に習って小麦と鉄の経済で説明しよう。

小麦は消費財でもあるし鉄の生産過程での副原料でもあるとしておく。鉄は消費財にしてかつ小麦の生産過程の生産手段だとしておこう。簡単のために労働者は消費者でもあるが、資本家は、監督労働はするとして、消費はしないとする。あくまで簡単化のためです。

小麦の生産に

50人の労働者、100Kgの小麦 100Kgの鉄が投入されて700Kgの小麦が産出される

同様に鉄の生産に

50人の労働者、100Kgの小麦 100Kgの鉄が投入されて700Kgの鉄が産出される

労働者一人当たりの実物賃金が

小麦5Kg、鉄5Kg

とすると

産出された700Kgの小麦と鉄はそれぞれ500Kgが労働者の賃金へ割り当てられ、のこりのそれぞれ200Kgのうち100Kgが小麦の生産過程に、100Kgが鉄の生産過程に割り当てられれば、ちょうど過不足なく労働者と生産過程に充当され、翌期に全く同じ規模で生産を始めることが出来る。

いわゆる単純再生産が繰り返され、この時経済成長はゼロだ。

がこのモデルには斎藤君の大好きな地球との物質代謝が明示されていないので、あたかも自然にはいっさい手を掛けずに永遠にゼロ成長が続くような錯覚をしてしまうことになる。

まず小麦の方だが、

なぜ100Kgの小麦を投入して700Kgの小麦が産出されるのか?無から有が生まれたのだろうか?答えは簡単、大地からの栄養の吸収と大気からの二酸化炭素の炭酸同化作用によって600Kgという100Kgの投入を超える産出が生じたのだ。

同様にして鉄も

じつは投入を超えた600Kgに相当する鉄鉱石が自然から削り取られてこの過程に投入されていたからなのである。

どうだろうか、単純再生産=経済成長ゼロでも、労働者が労働者として再生産されるにたる消費を続けていくならば、それ見合いで自然の「搾取」が付きまとうのだ。ごくごく簡単な話で、斎藤君お得意の、お勉強の成果をひけらかすためだけに意味のあるうんざりするような長たらしい引用もここには一切必要ない。

さてさて環境破壊せずにどういう経済が可能なのだろうか?労働者の賃金をゼロにしますかね。

物質代謝の経済モデルも少し勉強してから、たんと考えて頂きたいものだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.ne
〔study1361:251028〕