共産党はいま存亡の岐路に立っている(その76)

毎日新聞「多党化ニッポン」、中島岳志「リベラル保守と社会民主主義 連帯を」を読んで、自維政権にどう立ち向かうか(3)

毎日新聞の「多党化ニッポン」にはいろんな論者が登場する。11月14日の中島岳志(東京科学大教授、近代日本政治思想)の「リベラル保守と社会民主主義の連帯を」は、多党化時代の複雑な政治構図を読み解くうえで参考になる仮説だろう。中島氏は政治家や政党のスタンスを「リスク」と「価値」という二つの軸で四つに分類し、「政治のマトリクス」という図を用いて説明する。縦軸の「リスク」はリスクの「個人化」と「社会化」、横軸の「価値」は「リベラル」と「パターナル」の二つの方向性に分かれる。縦軸は、人が生活する上でのさまざまなリスクに対して政府がどの程度責任を持つかを示すもので、個人化は「小さな政府」、社会化は「大きな政府」を意味する。横軸は、個人の価値観の問題に政府がどの程度介入するかを示すもので、リベラルは個人の自由や権利を重視し、パターナル(父権的)は権力的な介入を強めるとされる。

この二つの軸を掛け合わせると、①第1象限:リスクの社会化・パターナル、②第2象限:リスクの社会化・リベラル、③第3象限:リスクの個人化・リベラル、④第4象限:リスクの個人化・パターナルというマトリクスができる。これに各政党のポジションを当てはめると、参政と維新・自民はパターナル側の①④、共産・社民・れいわ・立憲・公明はリベラル側の②、国民は②と③の境界線上に位置することになる。中島氏の区分は「保守・革新」といった単線軸ではなく、「リベラル・パターナル」と「大きな政府・小さな政府」を掛け合わせた複線軸で政党の立ち位置を区分するところに特色がある。共産の区分では、自民との関係を重視する視点から公明・国民も「反動ブロック」に入っているが、ここでは公明・国民はリベラル側に区分されている。

中島氏は、日本人の意識調査をすると基本的には②のゾーンが最も多い。それなのに、②に位置する野党はバラバラでうまく集約できていないと指摘する。10月の宮城県知事選では、自民が支える現職と参政が支援する新人との対決になり、立憲や共産が推す候補は勝敗の枠外に置かれた。今後、衆院選では自民と参政の戦いになり、立憲などはないものと見なされる選挙区が出てくると予測する。そして、②に位置する政党が「リベラルな保守」と「社会民主主義」の連帯という立場でまとまっていくことが、有権者に選択肢を示す道だと結論づける。

これまでの政治的対決は、「保守・革新」を主軸にして戦われてきた。「保守合同」や「革新統一」がキーワードになり、各政党は主流にせよ傍流にせよ二大潮流の一翼に位置していたのである。しかし保守と革新の間に「中道」が生まれ、保革の境界線があいまいになると、保守本流・革新本流の中にもさまざまな分流が生まれてきた。「革新的中道」「穏健中道」「保守的中道」といった多種多様な潮流が生まれ、しかも相互の出入りも甚だしい。「多党化時代」というのは、このような状態を指している。

多党化時代の政治潮流に対する各政党の態度も分散している。共産は多党化を自民の劣化にともなう新興勢力の勃興であり、補完勢力の再編過程だと見ている。だから、参政はもとより公明・国民・維新も「反動ブロック」の一翼と位置付け、保革対決の視点から打倒の対象としている。その背景には中道勢力を資本主義体制の延命を図る修正主義だとする根強い革命理論の伝統がある。これに対して中島氏は、自民・維新に対する政治的対抗軸を「リベラルな保守+社会民主主義」だと見ている。極右・排外主義に対抗するには、日本人多数が共有している「リスクの社会化・リベラル」のゾーンを重視し、そこに属する諸政党がまとまることしか政権交代の可能性はないと見ているのである。

共産の「反動ブロック」に対決する国民的共同の可能性が見えない現在、中島氏の指摘は検討すべき一つの課題であるかもしれない。共産が現在の苦境から脱して「革新的国民政党」に成長していくためには、公明や国民がどのような態度を取るかは別にして、当面の危機に対応する大胆な政治方針の転換が求められているのではないか。従来の「保革対決」の発想から抜けられない党指導部を刷新し、多党化時代にふさわしい政治方針を打ち出すことがいま希求されている。(つづく)

「リベラル21」2025.11.28より許可を得て転載
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