青山森人の東チモールだより…祝! 50年目の「独立宣言の日」

「独立宣言の日」を祝う

2025年11月21日、2026年度国家予算案の国会最終審議を終え国会を通過したのち(予算総額は22億9100万ドルであったが、22億1468万9195ドルと調整され11月26日に大統領に提出され、27日に発布された)、シャナナ=グズマン首相は記者たちに、「独立宣言の日が近づいてきた。われわれみんなが、50年前に世界に向けて独立という人びとの夢を示した英雄たちに頭を垂れなければならない」と語りました(『チモールポスト』、2025年11月24日)。

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『チモールポスト』(2025年11月24日)より。

「英雄に頭を垂れる」(大タイトル)。

「カイ=ララ=シャナナ=グズマン首相は、50年前(1975年11月28日~2025年11月28日)、東チモール独立の単独宣言をして、自らを捧げた英雄たちに頭を垂れるように皆に求める」(序文)。

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シャナナ=グズマン首相率いる第九次立憲政府が誕生してから今回で3回目の「11月28日」つまり「独立宣言の日」を迎えます。過去二回の「独立宣言の日」はなんとなくパッとしない地味な祝い方がされましたが、今年は50年目という区切りのいい数字がついたからでしょう、政府は大々的に「独立宣言の日」を祝っています。上記のシャナナ首相の発言はその意気込みを示しています。

首都デリ(ディリ、Dili)のあちらこちらに「独立宣言の日」50周年を祝う大看板や横断幕が見られます。政府主催の行事は限られた大看板で宣伝されるのが常でしたが、ベコラにある小さな役所の建物にも横断幕が飾られています。これはいままでになかったことです。これだけでも政府の意気込みが感じられ、横断幕だけでもお金がたくさん使われたに違いありません。さらに祝賀行事は「11月28日」一日だけを祝日としておこなわれるのではなく、11月24日から29日までの約一週間の日程で組まれました。

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白い雲が空を覆っているなか、東チモール国旗とASEAN旗がはためいている。

2025年11月17日、政府庁舎前の海岸沿いの広場。

ⒸAoyama Morito.

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「11.28」が近づくと東チモール国旗だけが泳ぐようになった。

2025年11月20日、上の写真と同じ場所。

ⒸAoyama Morito.

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「11.28」50周年を祝う大看板。

50年前のフレテリン指導者たちが紹介されている。

大看板をはじめとして町を飾るや大小の横断幕にはこう書かれている。

「東チモール民主共和国の単独の独立宣言

50周年記念、1975年11月28日~2025年11月28日。

過去50年の祝賀が、われわれにとって、

現在の自信と未来の希望を確かなものとするだろう」。

2025年11月17日、国立大学近くにて。

ⒸAoyama Morito.

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二年前の「独立宣言の日」のポスターでは現フレテリン(東チモール独立革命戦線)書記長の当時の若きマリ=アルカテリが独立宣言をするフレテリンの集合写真の枠から外れたことから政治的な不穏さを醸し出し(東チモールだより第503号)、去年の「独立宣言の日」では式典にナショナリズムの内容がないと与党内から批判が出たほどパッとしないものでした(東チモールだより第524号)。今年の政府は、汚名返上とばかりに若きマリ=アルカテリをちゃんと当時のフレテリンの集合写真の枠内に収め、独立宣言をして気勢を上げる当時の指導者たちに最大限の敬意を表し、ナショナリズムを十分感じさせています。

また、抵抗博物館隣りに建設中の記念館「永遠の灯」の工事現場を囲む塀に新たに貼り替えられた大型ポスターには、50年前のフレテリン指導者やFALINTIL(東チモール民族解放軍)のゲリラ指導者たちの写真などが大きく載っています。

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建設中の記念館「永遠の灯」を囲む大型ポスター。

中央部分は解放軍FALINTILの写真集。

右側の二人は、50年前のフランシスコ=シャビエル=ド=アマラル(眼鏡)とニコラウ=ロバト。

左側の写真は、解放軍総司令官のシャナナ=グズマンとオーストラリア人のロバート=ドムの二人。

1990年9月、解放軍を取材したロバート=ドムによるシャナナへのインタビュー記事は東チモールの当時の状況を世界に暴露した。誠に残念ながら、今月(2025年11月)7日、ロバート=ドムは亡くなった。

2025年11月24日、抵抗博物館すぐ隣り。

ⒸAoyama Morito.

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ニュース価値が出てきたか、東チモール

日本の新聞に滅多に載らない東チモールでしたが、ASEAN(東南アジア諸国連合)の加盟国になったことで(10月26日)、これから東チモールの記事が日本の主要新聞にときたま載るかもしれません。2025年11月12日付けの『山梨日日新聞』の「きょうの歴史」というコーナーでは「サンタクルスの虐殺」のことが載りました。これは初めてのことであると、この記事を送ってくれた知り合いがいいます。また、「ASEAN加盟の裏で」「広がる強制立ち退き」「東ティモール インフラ急整備」と見出しが付けられた『毎日新聞』(2025年11月18日)の記事の末尾には、東チモールが「どんな課題に直面しているのか。現場から報告する。=随時掲載」とあります。

東チモールが日本の新聞にとりあげられる傾向に転じたのは、東チモールがポルトガル植民地だった、あるいはCPLP(ポルトガル語諸国共同体)という国際組織の加盟国である、という一般の日本人にとって興味をひかれない存在から、ASEANの一員という日本のメディアにとってニュース価値のある存在になったことの表れかもしれません。

日本のメディアは「独立宣言の日」を報じてほしい

ASEAN加盟国となった東チモールを記事にした大手メディアに是非ともいま東チモールが「11月28日」50周年記念の祝福ムードに浸っていることをとりあげてもらいたいものです。

例えば、「東ティモールは2002年にインドネシアから独立した人口約140万人の小国」(『東奥日報』、2025年10月27日)と伝えた共同通信社は、「独立宣言の日」をどのように解説するでしょうか。もちろん共同通信社だけではなく、東チモールを「インドネシアから独立」した国と表現するメディア(あるいは記者)は、この「独立宣言の日」をどのように解説するのか、わたしは非常に興味があります。

1975年11月28日の「独立宣言の日」とは何ぞや? を解説しようとすれば、2002年5月20日の「独立回復の日」をとりあげざるを得なくなり、東チモールにはいわゆる「独立記念日」が二つあること、そしてそれらの違いを解説しなければならない必然性に直面します。そうなれば、東チモールを「2002年にインドネシアから独立した」と単純に書けなくなるとわたしにはおもえるのですが、はたしてどうなることか、興味津々です。

インドネシアは独立を妨害した国

歴史の解釈は各自・各メディアによってそれぞれ異なることは当たり前のことです。誰が正しく誰が間違っていると一概に断じることはできません。わたしの立場は簡単にいうと、東チモールは一度たりともインドネシアの領土になったことがないという東チモール人の立場に依拠し尊重するものです。つまり、インドネシアの領土になったことがないのにどうやってインドネシアから独立するのですか?…という考え方です。

もちろんインドネシアにしてみれば東チモールを27番目の州に定めたし、オーストラリオはインドネシアによる東チモールの統合を承認しました。東チモールがインドネシアの一部となったと公式見解を示したのは、おそらくこの二ケ国だけです。「東ティモールは2002年にインドネシアから独立した」と書くメディア記者は、インドネシアとオーストラリオの立場にたっているのかもしれません。

1975年11月28日のフレテリンによる独立宣言は16ケ国の承認を得ましたが、1975年~1999年の24年間、インドネシア侵略軍と東チモール人のあいだで戦争が続きました。その期間中、インドネシアに最も軍事支援をする国・アメリカと最も経済支援をする国・日本でさえもオーストラリアのような立場は表明せず、国連における紛争解決の議論の展開を見守る立場でした(欺瞞に満ち溢れた立場であるが)。ポルトガルはもちろん、国連もインドネシアによる統合を認めず東チモールはポルトガルの施政国であるという立場を貫きました。

東チモールの帰属問題に決着をつけるべく1999年8月30日に国連後援による住民投票がおこなわれ、インドネシアの領土になることが東チモール人によって拒否されました。このことは東チモールがポルトガルの施政国に戻ることは意味せず、いっきに東チモール独立への跳躍を意味し、国連暫定統治による準備期間を経て2002年5月20日に独立をしたのでした。つまり「5月20日」の「独立日」とはわかりやすくいうと、1975年11月28日にフレテリンによって宣言された独立が世界中の承認にもとに実現した日です。「独立実現の日」といえばわかりやすいかもしれませんが、東チモールでは「独立回復の日」と名付けられています。こうしていま二つの「独立記念日」の違いを書いて改めておもうのは、東チモールはどこから独立したのか?と問われれば、「ポルトガルから」としか答えようがないことです。インドネシアは東チモールのポルトガルからの独立を24年間武力で妨害しただけの存在です。

二つの「独立記念日」を考えてほしい

「東ティモールは2002年にインドネシアから独立した」とこれからも書き続けるには、1975年11月28日の「独立宣言の日」を無視し続け、2002年5月20日の「独立回復の日」の「独立」だけを見続けなければならないのかもしれません。歴史を正しく伝えるべきメディアがそのような偏った歴史の見方をしてよいわけがありません。

一方、インターネットでみた『毎日新聞』の記事(2025年11月10日)に、「独立から50年、悲願だったASEAN加盟 ポルトガルの植民地だった東ティモールは1975年に独立宣言後、隣国インドネシアの軍事侵攻を受けて併合された」という文章がありました。なんと、「独立から50年」、です!これを書いた記者にやはりわたしは訊ねたい(いい意味で)――「2002年にインドネシアから独立した」という書き方をせずに、「独立から50年」と書いたのはなぜですか、と。

大手メディアが主流とする表現と一線を画した書き方をする記者が登場したのは好ましいことです。これは東チモールがASEANの一員になり日本のメディアにとってもニュース価値のある国になったことによる影響でしょうか。

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抵抗博物館の建物にも「11.28」50周年記念を祝う横断幕が飾られた。

2025年11月17日、抵抗博物館、ⒸAoyama Morito.

下段の集合写真は独立宣言をしたフレテリン政府の閣僚たち。

一列目の人物を紹介すると、左から

アントニオ=ドゥアルテ=カルバリノ(司法大臣)、

ジョゼ=ゴンサルベス(財務大臣)、

ニコラウ=ロバト(首相)、

フランシスコ=シャビエル=ド=アマラル(大統領)、

マリ=アルカテリ(政治問題担当国務大臣)、

ロジェリ=オロバト(国防大臣)。

その上にある集合写真は独立宣言をして気勢をあげるフレテリン指導者たち。

一列目の人物を紹介すると、左から

マリ=アルカテリ、ニコラウ=ロバト、シャビエル=ド=アマラル、ロジェリオ=ロバト。

そしてその上には独立宣言文書が写っている。

独立宣言文(ポルトガル語)にはこうある。

「東チモール国民の至上の願いを具現化し、主権国家としての最も正当な権利と利益を守るため、本日午前0時より、反植民地主義そして反帝国主義の東チモール民主共和国の独立を、単独に、東チモール独立革命戦線・フレテリンの中央委員会は布告し、私は宣言する。

東チモール民主共和国、万歳!

自由と独立の東チモール国民、万歳!

フレテリン、万歳!」

文中の「本日」とは1975年11月28日のこと、そして「私」とはシャビエル=ド=アマラルのこと。

第547号(2025年11月28日)

〈出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net// 

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