二十一世紀ノーベル文学賞作品を読む (19-下)

オルガ・トカルチュクの人となり――博学的な情熱によって、生き方としての越境を試みる

オルガ・トカルチュクは1962年、ポーランド西部、ドイツ国境に程近いルブシュ県スレフフに生まれた。ワルシャワ大学で心理学を専攻。在学中から養護施設でボランティアを経験し、卒業後はセラピストとして研鑽を積む。こうした心理学の知識と実地経験はその後の創作に大いに生かされることになる。

1993年、『本の人びとの旅』で本格的に文壇にデビュー。ポーランド出版協会新人賞を受賞。1996年出版の第三作『プラヴィエク村とそのほかの時代』は国内で最も権威ある文学賞ニケ賞の読者賞を受ける。本は十八か国語に翻訳され、この成功によって自身の出版社を国内に設立、執筆に専念する環境を整えた。
ユニークな比喩表現や詩的な叙情性、神話と日常が不可分に混じり合う作品世界は、ラテンアメリカ文学のマジック・リアリズムにも比される。自著『逃亡派』に関し、作家自身はこう言う。「この世界の幾百万の人々が、常に探求の旅に出ている。でも、一体何を探しているか判らない。こういう人々を何と呼ぶか。このテーマから幾つかインスピレーションを得ました」。

『逃亡派』は、旅は世界中の誰にとっての日常でもある、そういう時代の小説と言える。古来、旅は文学の主要モチーフだった。神話や伝説、聖書の中で、人は常に旅をしている。『オデッセイア』も『神曲』も、一種の紀行文学だ。それに、何らかの理由で母国を離れた亡命者の筆による亡命文学もまた紀行文学の変種と捉えるなら、ポーランドにはこのジャンルにおいて独自の複雑な系譜が存在する。
列強に分割され、国自体が消失した経験。占領支配の記憶は、文学史に執拗に影を落とす。そうした作品に描かれる異郷は、しばしば恐れや孤独や疎外感の源であったり、自己発見を促す一種の鏡像であったりする。また、社会主義政権下のポーランドでは、個人は今ほど好き勝手に旅することは許されておらず、文学者の旅も独特の意味を帯びていた。
とはいえ、東欧革命から三十余年を経て、旅はかつての東側でも、とうに久しく日常である。国外に出るために特別な努力は要らず、従って「亡命」という現象も存在しない。それどころか、ポーランドは今やEUの一員なのだから。
『逃亡派』は、旅が世界中の誰にとっての日常でもある、そういう時代の小説である。

「リベラル21」2025.12.08より許可を得て転載
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