ちきゅう座からのお知らせ「同志・松田健二の死を悼む」で、松田さんが逝去されたことを知りました。
何度か言葉を交わしただけなのですが、今、こうしてちきゅう座の会員としていられるのは松田さんの助言のおかげです。もし会員になれなかったら、古希をすぎても工員のなりそこないのままで、表層までのぼやけた社会認識しかもってないと思います。ちょっと長くなりますが、松田さんと出会ったときの、前後も含めて当時の背景ときっかけについてざっと紹介させてください。
アメリカ子会社の立て直しも目途がたって、2005年春に帰国しましました。三週間後には声をかけてくれた転職先に出社しなければならないため、住まい探しに奔走してやっと見つけたのが新浦安の駅裏にある高層マンションの一階でした。小さいながらも庭やパティオもあり、中学生の子どもと四人家族には十分な住まいでした。隣駅にはディズニーランド、京葉線で東京駅にでれば銀座も日本橋もすぐそこ。ビッグサイトも幕張メッセへも京葉線で一直線、成田空港も羽田空港も隣のホテルからリムジンバスで快適、日常生活にも仕事にも便利なところでした。ところが、そんな日常がある日一変しました。東日本大震災です。海抜五十センチほどしかなかったところに液状化現象で街中グチャグチャになってしまいました。
海抜何センチ残っているかというところのマンションの一階、夜中にも余震警報が鳴っておちおち寝てもいられません。電気もガスも水もなく、家族全員で避難体制をという生活でした。早々にしっかりした土地のあるところへ引っ越さなければと、あちこち探してゴールデンウィークには横浜港北ニュータウンに引っ越しました。新浦安が便利すぎたのでしょう、何もない寂しい、不便な街でした。
丁度その頃、若いころから見てきたことや考えてきたことを書き残しておかなければと考えだしました。還暦もすぎて、活発に動けるのも、あと何年でもないだろうと思ってのことです。ところが情けないことに人文系の教養がなさ過ぎてどうにもなりません。社会や経済を勉強しなければ、そのためにも意味のある雑誌を探しはじめました。二十代に教科書のようにしていた『世界』の乱視には辟易してましたし、四十代から読んでいた『Economist』はEconomist臭さが鼻についてアレルギー症状を起こしてました。休みの日には隣駅にあるショッピングセンターの本屋に行って、あれこれみてましたが適当な雑誌が見つかりませんでした。
ある日、何もないだろう思いながら本屋の書棚をみていて、記憶に間違いがなければ、「社会主義理論学会」の月刊誌が目に留まりました。帰宅して早速読んでみましたが、愚生にとって意味のある記事は冒頭とそれに続く二、三篇だけでした。それでも雑誌を捨ててしまうのを躊躇って机の脇に置いて、たまにパラパラとページをめくっては本の広告を眺めてました。当然そこには社会主義理論学会や関係する出版社の広告がありました。知的閉塞状態が続くなかで、素人ゆえの世間知らずからで恥ずかしいのですが、思い切って社会主義理論学会の会員にさせていただけないでしょうかと、自己紹介も含めてメールを送りました。
無視されて返事なんか来やしないと諦めていたところに、松田さんから、「メールにあった自己紹介を読ませてもらったけど、社会主義理論学会よりちきゅう座の方がいいんじゃないかと思うんだけど……」という内容のメールを頂戴しました。
「ちきゅう座」と言われても皆目見当もつきません。なんなんだろうとインターネットで「ちきゅう座」を覗きにいきました。高尚な論考が掲載されていました。とてもじゃないけど、愚生のようなものがお邪魔していいのだろうかと心配でしたが、勇気をだして会員にさせて頂きました。
ちきゅう座の催し物案内に「世界資本主義フォーラム」を見つけた時には、大上段に構えた名称に軽い衝撃を受けました。出席してみたいという気持と、オレなんかが出かけて行っていいものなのかと不安になりました。なんせ「世界資本主義」と銘打ったセミナーですから。
何度目かのセミナーの案内をみて、会場だった大崎の立正大学に出かけました。私用で大学構内に入ったことがなかったので、恐る恐る守衛さんに「世界資本主義フォーラム」に出席したい旨をお話して校内に入る許可をお願いしたのですが、守衛さんはソッポを向いたまま勝手に行けというものでした。そんなに簡単に誰だかわからない人を校内に入れていいものなのかと拍子抜けしたことを覚えています。
フォーラムの十人ほどの出席者の中には岩田昌征先生もいらっしゃいました。お恥ずかしい話ですが、日銀副総裁と同姓だったことから人間違いして、帰宅して女房に「今日、日銀の副総裁の話を聴いてきた」と興奮して話したのを覚えています。
還暦すぎてもこの程度の社会認識のものがちきゅう座という場で勉強させて頂きました。古希も過ぎましたが勉強の先は見えずにいます。そのすべての始まりの松田さんのアドバイスでした。
お亡くなりになられる前にお礼を言えたらよかったのにと悔やんでます。
2015年12月11日
藤澤豊
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14564:251211〕













